Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

ルート181から見えるもの・続き

2006年09月19日 | 中東のことを考えたりして
4時間30分もの間、見続けられたのは、
カメラがとらえる人たちに個性があるからだ。

イスラエル兵に拷問を受けたパレスチナ女性。
イスラエルへの入植を誇らしげに語る老人。
触れると深く切れる有刺鉄線を製造している工場の青年。
哲学の本についてマニアックに語るイスラエル兵。
エチオピアから移民したユダヤ系の老人の潤んだ目。
故郷を離れて50年経つのに、今だにイスラエルに馴染めない移民。
入植の苦難の歴史が刻まれた碑文を澄んだ眼で読み上げるユダヤの少女。

映しだされる人は、皆、違う。
顔も。表情も。体格も。主義主張も。
みんな、自分が正しいと思っている。
あるいは、正しいと信じたいと思っている。

あの狭い国土に、これだけのさまざまな人がいる。
そう思わせるための4時間30分なのか、
と上映が終わったときに気がついた。
人と自分は違うことを。

差異というものを、どうして人は認めたがらないのだろう。
平和な日本に住んでいてもそう思う。
自分(たち)と違うものを、なぜ恐れるのだろう。

この映画は、イスラエルが悪いとかパレスチナのせいだ、と
いった善悪の判断をいったん中止し、
イスラエルの人々の断面をえぐり取り、
そのえぐり具合を僕らに見せつけるのだ。


コメント
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