職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

融合

2011年01月21日 | ヤスさん日記
真実に向かう時
には
足がすくむ時もありますね。
でも
それでも進みたいな
と思う今日この頃です。

ただただ
今日を一所懸命に
未来を見据えて。

今回取り組んでる
作品のテーマは
「春と修羅」
「高田屋嘉兵衛」
どちらも
私の心に残るもの

融合させる
ということです。

融合
ということが
どんな色を
醸し出せるか
私にとっても
興味深いもの
ですね。

今は
ただただ
目の前の銅板に取り組んで見ます。
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分岐線

2011年01月20日 | ヤスさん日記
いろんなモノゴトや
人生に於いては
分岐線
ってのが存在します。
目に見えなくて
でも
ナニカそこに在る線が。

その分岐線を
左に行くか
右に行くか
留まっているか
で大きな違いになるものです。

時間の流れが早い
今日この頃ですもの
その分岐線を見逃さない
ってことも
重要なポイントなのでしょうね。

タイミングって
子供のように無邪気で
どんな方向にも
一直線で進んでゆきます。
一見考えているようにみえる
留まるという選択も
先に進んでいる人からみれば
すぐに遠い後方に見えてしまう。

でもですね。
どれを選んでもいいんです。
この場所
その場所
あの場所

お互いがわけあってきたモノを
発揮できれば
それでいいのです。

そしてら
また新たな絆も生まれる。

そんな分岐線。
ひとつ言えることは
誰かのために
という言葉で上塗られた
我欲
を持った時に
見えなくなってしまうモノ
なのかもしれませんね。

さて
今日も新潟は
真っ白な雪ですよ。
この雪の透明さが
癒してくれますように。
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風を探しに

2011年01月19日 | ヤスさん日記
記憶を辿る旅
にでることにしました。
始めての国に
どんな記憶があるのか
それを私という受信機が
どんな反応を示すのか
そんな旅です。

なぜ風が吹いているのか
なんて
考え始めると
あそこの海の温度が上昇して
とか
あの山があそこにあって
とか
いろんな状況があって
風が吹いているわけですが
今はその
風がここに吹いている
ということを感じています。

嬉しくも切なくもあり
いろんな映像を運んできてくれる
そんな風を身体いっぱいに。


今回は
なぜ風が吹いているのか
を確かめに行ってみようと思います。

そこに
どんな海があるのか
どんな山があるのか
わかりませんが
風が吹いている方向に
足を踏み出してみる
ということだけは
やってみたいと思うわけです。

どこから
吹き出している
なんて明確な場所はない
のかもしれないし
風はどんどん強くなるかもしれない
けれども
踏み出してみたいのです。

いろんなタイミングが
その風を
確かな感覚として
教えてくれたり。
スケジュールが
ぽっかりと空いていたり。

時は今なのでしょう。

そんな
風を探す旅です。

そうだ
嘉兵衛が海に漕ぎ出す時も
こんな感じだったのかも。
あの時代の海に漕ぎ出すような
感覚は
命がけですものね。
風を読み
波を読み
精神を船一杯に広げる。

そんな旅でもあります。

さて
それまでにできることを
しっかりとやります。
今日も空は開けてきましたよ。
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師匠からのお年玉

2011年01月18日 | ヤスさん日記
師匠からのお年玉
をいただきました。
ストイックって
私の中での解釈は
「誰にも奪われないものに価値を置くコト」
ですが
これがお前に教える最後の事だ
って言われてもらった2本の鏨。
この価値を知っているのは
全国でも数十人でしょう。
そんな魂を
どう伝えていけるのか。
この2本の鉄の棒は
どんな金属よりも重くて
貴重なものとなります。

15の頃から彫金の世界に入り
徒弟制度のまだまだ残る数十年前から
ただひたすらに
技術を邁進してきた師匠。
脂の乗っていた頃は
作れば売れる時代。
毎日が
金属と鏨と金鎚
だったとか。

前世代の先輩達
そんな時代に育まれた技術は
必ず確かなものなのです。

そして
その確かなもの
を次世代のこの時代に生きている
私達は
どんなカタチで次に伝えられるかを
本当に深く深く
考えながら行動しなければ
なりません。

技術と生産は一体であり
生活の糧と時間も一体であり
残すべき技術と
残る事のできる技術との
兼ね合いもあったり
「必要とされる技術とは何か」
がいつも頭の中にあるわけです。

この技術も必ず
時代の要請に合っているはず
その鍵を開けたいな
と思う今日この頃です。

さて
私にできるコト
目の前のコトと
いつかのコトを
一緒に励んでゆきたい
と思います。
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歓喜

2011年01月17日 | ヤスさん日記
なんだなと思いました。
先日からの問い
喜びと学びの中で
歓喜の渦に入ると
左も右も
上も下も
融合されて浮遊するような
そんな体験が
宇宙というコトなのかもしれません。
宇宙って
空の上に在るのかもしれませんが
すぐココにも在るのかもしれません。

今までの常識って誰が作ったのでしょう。
常識と思い込まされている
日々の中で
そこを超えるひとつのきっかけに
踊りというものもあるのだろうな
と感じました。

「歓喜」

常識やモラルで
本性を縛られているのなら
それを紐解く鍵は
歓喜の中にありそうです。
常識やモラルを乗り越えた
てっぺんからは
きっと
光も闇も見えるでしょう。
ただそれは
分かち合っているだけで
どちらも同じコトだな
と。

本性を解放しようとすれば
縛ろうとされるでしょう。
本性には奥があり奥の奥があり
またその奥にも奥があるでしょう。
どこを本性とするか
学ばなければなりません。

私はきっと
あそこら辺にあるだろうな
という本性を表現してみようと
思います。
そして
みんなと喜びの渦の中で
いつかは肉体を離れていく
だけなのですね。
きっと。

左も右もなく
上も下もなく
あたたかく
包まれる空間。

さて
新潟は大雪ですよ。
雪掻きでもして
冬の味わいを尽くしてみます。
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他の人のイベント

2011年01月16日 | ヤスさん日記
実は
私は自分の開催するイベントが
大好きなのです。
そこに集まってくれるスタッフ仲間や
お客様の笑顔や
創り上げる空間
みんなのお陰であったかくなる
から。
そして
今までも
他の人の開催するイベントを
応援していたのです。
こころから。

でも
今日は今までとは一味違う
こころから知って欲しいという
他の人のイベント。
きっと
他の人
という表現が違うくって
私の細胞の何処かが
繋がっている
のかもしれません。

それくらいに
こころから
魂から
惹きつけられるのです。

音楽
踊り
動き


ひとつひとつの動きに
線が見えて
それをトレースするだけで
ものが出来上がるのです。
この直感を表現するには
私はものづくり
しかないのですが
それを
表現するには
まだまだ修行が足りません。

それでも
表現したいという
衝動は在るのですね。

そんなイベントは午後から
きっと
新潟に光の柱が立ちますよ。
いつかながさんも
体験してくださいね。
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証明したいこと

2011年01月15日 | ヤスさん日記
証明したいこと
ってありますよ。
なぜ証明したいか
それは
後進が少しでも動きやすくなれば
と思うのです。
今の時代をの中で
なら
私の選択は
技術向上をしながらも
没個にならずに
ということです。

鎚起銅器
一枚の平らな板を器にする。
そこにも
2つの系譜があるわけです。
形は機械で作り
表面を手作りで加工するもの

平らな板からひたすらに叩き
成形してゆくもの
と。

さて
どんな違いがあるか
ということですね。

カップとしての使用目的
鍋としての使用目的
水を注ぐ
煮るを考えれば
どちらでも
いや
前者の製法が手間もかからず
お客様に手にとってもらいやすい
はずです。

それもよい。

けれども
後者の製法に
なんと言われようとも
心血を注ぐのは
何故か
ということなのですよね。

やっぱり
器としての使用目的の視点が
新しい角度に入り始めている
のだと思うのです。

それはやはり
銅の器
の中に含まれるけれども
伝統工芸の鎚起銅器
なんです。

没個にならない為には
世間を体験し
逆説的に
自分の中に深く入り込まなければ
体得できないコト
もあるようです。

ひとつの器に
何万回金鎚を振るうのでしょう。
その証明は
いつかでしょうけれど
兎に角
可能性を広げて
やり続けてみますね。

ながさん
こちらは雪がゆっくりと
降り遊んでます。
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空間というコト

2011年01月14日 | ヤスさん日記
畳の上にごろんと
仰向けになってみます。
新潟は
フワフワとした雪が
フワフワと降ってます。
いつもとは逆の風景
眼下から
フワフワとした白が
舞っています。

薪ストーブのあったかさと
窓の外の白と
やかんの湯気と
に包まれながらうとうとと。

そんな時こそ
神様は
インスピレーションを
与えてくれるもの
なのでしょうか。

今年の新作は
シアトル式cafeにぴったりの
タンブラーで始まりました。
アイテムとしてのモノ
持ち歩いた場所に
なにかひとつの空間を作れるような
そんなモノを
展開できればなと。

空間というものは面白いもので
アトリエのように
誰にも触れ得ない所もあれば
cafeのように
互いに触れ合いながらも
居続ける所もある。

静寂の中の方が落ち着く時も在れば
喧噪の中の方が没頭できる時も在る
そんな空間。

誰しもが持っていて
けど
どこまでなんて
線を引けない空間。

今年は空間というコトを
意識してみようと思います。
いつものcafeの
いつもの席
この窓から見る夜空に雪も
素敵ですよ。
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さてと。

2011年01月13日 | ヤスさん日記
さて
と一息ついてみます。
意識的に
さて
と。
大きく呼吸して
浅い呼吸を
深い呼吸に変えて
身体の中の空気を
入れ替えて
血液の巡りを
よくするように。
大きく大きく。

大きい巡りの中に
小さい渦がどんどんできる
そんなイメージをしてみます。
できては消えていく
小さな渦は
私に沢山の経験をさせてくれます。

私という意識は在るけれども
身体の細胞は
どんどん入れ替わっているようです。
考えてみると
面白いモノですよね。

どうせなら
素敵な細胞に生まれ変われ
と思う今日この頃です。
さて
な新潟は快晴です。
真っ白な雪が
キラキラと陽光を照り返しています。
今日もいい一日です。
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記憶を辿る

2011年01月12日 | ヤスさん日記
記憶の断片が
どんどん繋がってゆく時
ってありますよね。
何気なく覚えていたコトが
あるひとつの出来事によって
繋がり始めて
ひとつの場面から
ひとつの物語へと
入ってゆく。

お風呂の中で読んでいた
司馬遼太郎さんの
「菜の花の沖」
しばらく
読むコトができなかったのですが
読み始めたら
当時の日本とロシアの関係
ロシアで過ごした人々の事
エカテリーナ二世
と読み進めることができました。

以前読んでいた
エカテリーナ二世と
ポチョムキンの恋文
その中には
歴史観の中では
感じられないコトも
あるわけです。

記憶って
どこで繋がるかわからないモノです。

匂い

体温
空気

食感
静けさ

確かに在る
はずなのに
どこに在るのかわからない
それが
顕現してくる
時には
恐れがあるかもしれない
けれども
それを包み込んだときに
それは
解消される
のではないかな
と思う今日この頃です。

そして
ひとつだけ言えること
記憶を繋げるきっかけの鍵は
体験が持っている
とゆうことでしょうか。
そこで感じた事を
しまいこまないでおく
とゆうことでしょうか。

私もそんな記憶を
辿ってみたいとおもいます。
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