昨日は
井田さんの5回目となる
遺作展に伺いました、
4年が経ちました。
あの春は
ほんとに桜が満開で。
闘病中の自画像を
燕の工房のお手洗いに
掲げています。
座ると
ちょうど目の前の位置に。
絵とゆうわけではない絵。
ながさんの絵も
そうですが
そんな絵を私は
大切にしたい
と思うのです。
橋の下で暮らしても
絵を描きたいと言っていて
最小限の生活をしていた井田さんが
遺したものは
絵だけだったのだなと
年を追うごとに感じます。
そして
それらは
絵とゆうわけではない絵
としての力を持つ。
毎年1回
彼の
新しい絵達に
まだまだ出会える。
遺作展に伺いました、
4年が経ちました。
あの春は
ほんとに桜が満開で。
闘病中の自画像を
燕の工房のお手洗いに
掲げています。
座ると
ちょうど目の前の位置に。
絵とゆうわけではない絵。
ながさんの絵も
そうですが
そんな絵を私は
大切にしたい
と思うのです。
橋の下で暮らしても
絵を描きたいと言っていて
最小限の生活をしていた井田さんが
遺したものは
絵だけだったのだなと
年を追うごとに感じます。
そして
それらは
絵とゆうわけではない絵
としての力を持つ。
毎年1回
彼の
新しい絵達に
まだまだ出会える。
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