寝不足
なんですけどね。
久しぶりに
肌艶が良くて
額に手を当てた時に気持ちいい。
この感覚
久しぶりでした。
年明けて数日
スランプを抱えていた
のかもしれません。
振り返ってみれば。
悶々と考えていたことを
思い出してみると
どうしようもないことばかり。
でも
考えてしまう。
考えてしまうのは
よいことでしょう。
でも
自ら行動制限をかけてしまうような
そんな悶々さは
自由から掛け離れていますよね。
先日
夜ご飯を食べながら
youtubeを見ていたら
哲学者の國分功一郎さんが
アンナハーレントの自由の概念を説明されていて。
「意識の自由は論理的に成り立たない
経験の上で自由は成り立っている。」
と話されていたのです。
意識の自由は
行動の制限などをされて
そこに自由さを求める人の衝動だと。
意識の中で遊ぶ
想像を膨らませる
って
大切なことと思いますが
それが自由と概念かと言われたら
確かに
考えあぐねてしまいます。
自由を
自らに由するとするなら
意識や想像は
全く私の中から出現することは
ないのかもしれません。
では
経験は
全く私のものなのかと考えてみると
確かに
拘束されない状況でこそ
一人でも自由
と言えるかもしれません。
かもしれない。
だけに
考えている
ってことなのですが。
寝不足ですが
精神の解放を感じて
これは自由とゆうことなのかと
考えている朝。
その精神の解放を
行動に移した時にこそ
自由とゆうのかもしれない
とも思いつつ。
燕市は
昨日の雪ももう溶け始め。
穏やかな土曜日の始まり。
薪ストーブに火をつけて
また
コツコツと叩き始めるとします。
なんですけどね。
久しぶりに
肌艶が良くて
額に手を当てた時に気持ちいい。
この感覚
久しぶりでした。
年明けて数日
スランプを抱えていた
のかもしれません。
振り返ってみれば。
悶々と考えていたことを
思い出してみると
どうしようもないことばかり。
でも
考えてしまう。
考えてしまうのは
よいことでしょう。
でも
自ら行動制限をかけてしまうような
そんな悶々さは
自由から掛け離れていますよね。
先日
夜ご飯を食べながら
youtubeを見ていたら
哲学者の國分功一郎さんが
アンナハーレントの自由の概念を説明されていて。
「意識の自由は論理的に成り立たない
経験の上で自由は成り立っている。」
と話されていたのです。
意識の自由は
行動の制限などをされて
そこに自由さを求める人の衝動だと。
意識の中で遊ぶ
想像を膨らませる
って
大切なことと思いますが
それが自由と概念かと言われたら
確かに
考えあぐねてしまいます。
自由を
自らに由するとするなら
意識や想像は
全く私の中から出現することは
ないのかもしれません。
では
経験は
全く私のものなのかと考えてみると
確かに
拘束されない状況でこそ
一人でも自由
と言えるかもしれません。
かもしれない。
だけに
考えている
ってことなのですが。
寝不足ですが
精神の解放を感じて
これは自由とゆうことなのかと
考えている朝。
その精神の解放を
行動に移した時にこそ
自由とゆうのかもしれない
とも思いつつ。
燕市は
昨日の雪ももう溶け始め。
穏やかな土曜日の始まり。
薪ストーブに火をつけて
また
コツコツと叩き始めるとします。