スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

京浜盃&認識論の相違

2009-03-27 19:12:32 | 地方競馬
 大井競馬は今週から夜の開催へと移行。第一弾の南関東重賞として25日に京浜盃が行われました。
 逃げ宣言をしていたチョットゴメンナの先導。人気のナイキハイグレードが2番手で,スーパーヴィグラス,ガイアボルトが続きました。
 向正面で後方にいたシュバレスクやワタリシンセイキといった馬が上昇はしていきましたが,前にはあまり関係なし。チョットゴメンナは3コーナーで失速。ナイキハイグレードが早めに先頭に立つ形となりそのまま直線に。追ってきたのは中団に構えていたシャレーストーン1頭。この2頭が馬体を離したまま競り合う形になり,一旦はシャレーストーンが先頭に立ったようにも思えましたが,最後は差し返す形になったナイキハイグレードが優勝。頭差の2着にシャレーストーンで,4馬身ちぎられましたが3着は先行したスーパーヴィグラスが残ってちょっとした波乱。
 優勝したナイキハイグレードは昨年11月のハイセイコー記念以来の勝利で南関東重賞2勝目。このレースを人気で制した馬は必ず南関東クラシック路線の主役になっていますので,無事ならこの馬もそうなるでしょう。強敵になるのは2着のシャレーストーン以外だと,もしかしたら牝馬かもしれません。父はアグネスタキオン
 鞍上はこれが地方競馬通算1000勝目となった大井の戸崎圭太騎手で,先週の桜花賞に続く南関東重賞制覇。京浜盃は初制覇です。管理するのは船橋の川島正行調教師で,こちらは2005年以来となる京浜盃2勝目となっています。

 こうしたことを踏まえて,今度は単に認識論的観点からのみ,スピノザの哲学とニーチェの哲学を比較してみます。
 第二部定理七系は,神のうちにある形相的なものと客観的なもの,すなわち観念は,一対一で対応し合うことを示していると理解することができます。これは別の観点からいえば,認識は存在と平行するのであって,これを超越することはないという意味にも解釈できると僕は思います。
 次に,第二部定理一一系は,人間の精神だけを対象として語られていますが,どんな個物の精神についても妥当するような内容を有しています。したがって,神の無限知性のうちには,ありとあらゆる精神が含まれているということになります。
 これらのことから理解できるように,観念というのを,ある人間の,ないしはある個物の精神のうちにある観念というように考えてみても,あるいは神の自己観念というように考えてみても,これが形相的なものとしての自然を超越することはありません。しかし実在的なものの一切は内在的であり,超越的ではないということはすでに説明した通りですから,スピノザの哲学においては精神による事物の認識一般もまた,超越的ではあり得ず,内在的であるということになっているのです。
 一方,ニーチェが力への意志による自己超克を主張するとき,認識の射程は実在の射程を超越しえるということを含ませている,少なくとも,そのように解釈できる余地を残していると僕には思えます。だから,スピノザの立場からのニーチェへの,それが超越論であるという主旨の反論は,まだ意味を持っているというように僕は考えるのです。
コメント
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