スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

カネヒキリ&ライプニッツの情報源

2015-11-02 19:29:03 | 名馬
 先月のハイセイコー記念を勝ったトロヴァオカネヒキリの産駒です。父はフジキセキ。Kane Hekiliはハワイの雷の精。
                        
 2歳7月のデビュー。芝で2戦した後,3歳になってダートの未勝利戦で9馬身差をつけて初勝利。続く条件戦は大差で圧勝。芝の重賞で敗れるとダートのオープンを9馬身差で圧勝。続くユニコーンステークスで重賞初勝利を達成すると,ジャパンダートダービーで大レース制覇。秋初戦のダービーグランプリも制して大レース2勝目。次の武蔵野ステークスは2着とダートで初の黒星を喫しましたが,ジャパンカップダートは大接戦で制し大レース3勝目。この年のJRA賞の最優秀ダートホースとNARグランプリのダートグレード競走最優秀馬に選出されました。
 4歳初戦のフェブラリーステークスで大レース4勝目をあげてドバイワールドカップに挑戦し4着に健闘。帰国初戦の帝王賞は2着でした。
 ここで屈腱炎を発症。長期の休養に入って復帰したのが6歳の秋。2年以上の休養明けだった武蔵野ステークスは9着でしたが,2戦目のジャパンカップダートで復活の大レース5勝目をあげると東京大賞典も連勝。この年もJRA賞の最優秀ダートホースとNARグランプリのダートグレード競走特別賞馬に選出されています。個人的にはこの東京大賞典の頃,寝たきり,死の瀬戸際にあったことが思い出されます。
 7歳初戦の川崎記念で大レース7勝目。しかしフェブラリーステークスは3着,かしわ記念が2着。
 ここでまた故障してしまい翌年の帝王賞で復帰すると2着。マーキュリーカップを勝ち,ブリーダーズゴールドカップで2着に負けた後,またまた故障。今度ばかりは復活ならず,引退となりました。
 これだけの長期休養がありながら,その前後で大レースを多く勝ったのは競走馬としては稀有な存在。種牡馬としても何とか成功してほしいと思っている1頭です。

 自分がスピノザに出した手紙を遺稿集Opera Posthumaの編集者から取り戻した理由は,スピノザは思想上の要注意人物であったから,親しい交際があることが発覚するとアムステルダム市長としての立場に影響を及ぼすことをフッデJohann Huddeが案じたためでした。このことが事実なら,スピノザとフッデの間に親しい交際があったことは,世間にはさほど広まっていなかったことになります。これはスピノザの死後ですから,1676年の時点でのことになります。
 ところがライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizは,スピノザとフッデが相識の関係にあることを知っていました。しかも単に相識であると知っていただけでなく,自身の光学研究の評価を依頼していることからみて,少なくとも光学の部門においては,かなり親密な関係にあると把握していたといっていいでしょう。この手紙は1671年10月に出されたものです。ライプニッツがパリに行ったのはこの翌年です。つまりこの時点ではライプニッツはまだドイツにいたのであり,この書簡もフランクフルトから出されています。ファン・デン・エンデンFranciscus Affinius van den EndenやホイヘンスChristiaan Huygens,チルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausといった,スピノザと親しくまた面識もあった人物たちと出会う前のライプニッツが,オランダでも広く知られていなかったと思われるスピノザとフッデの関係をなぜ知り得たのでしょうか。
 最もありそうな想定は,ライプニッツがシュラーGeorg Hermann Schullerを介してこの事実を知ったということだと思えます。『宮廷人と異端者The Courtier and the Heretuc : Leibniz,Spinoza,and the Fate of God in the Modern World』では,シュラーはアムステルダムAmsterdamにおけるライプニッツへの情報提供者という立場になっていて,それがシュラーについての最も適切な説明であるとは僕は考えませんが,そういう働きをシュラーがしたというのは事実です。スピノザもフッデも1671年の時点では著名でしたから,ライプニッツがそれぞれを知っていても不思議ではありませんが,このふたりが親密であるということは,自分の力だけでは知り得なかったと思われます。
 もしこの想定が正しいなら,シュラーとフッデもまた相識であった可能性が高いと思われます。よってフッデが遺稿集の編集者に,自身が出した手紙を返却するように依頼することが可能であったことになります。

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