日本時間で昨日の深夜にフランスのパリロンシャン競馬場で行われた凱旋門賞GⅠ芝2400m。
シンエンペラーは左によれる発馬で隣の馬に迷惑を掛けました。レースの前半は先頭から3馬身ほどの4~5番手を追走。やや外目を回っていたのでフォルスストレートの付近では先頭から5馬身くらいの7番手になりました。フォルスストレートの出口の前から騎手の手が動き始め,やや差は詰まったのですがそれ以上は追いつくことができず,最後まで走るのを止めるところはなかったのですが順位は下げ,勝ち馬からおよそ12馬身差の12着でした。
前走のときもいいましたが,2000mでは日本の馬が強いのですが,2400mになるとヨーロッパの馬の方が全体的なレベルが上です。しかも今年は馬場が悪くなりましたから,日本の馬には余計に厳しかったように思います。
最後に僕の方から次のことをいっておきます。
フロイデンタールJacob FreudenthalもナドラーSteven Nadlerも,競売によってスピノザの葬儀費用および借金は完済することができて,僅かながら剰余金が出たとみています。このことについてナドラーはフロイデンタールの見解に従っていて,フロイデンタールはコレルスの伝記Levens-beschrijving van Benedictus de Spinozaにある報告を計算することからそのようにいっています。ただ,コレルスの伝記がすべてを報告しているのかどうかは分からないのです。競売の売上に関しては記録が残っていますから,そのことによってスペイクがどの程度の収入を得ることができたかははっきりしています。しかし葬儀に関する支出に関していうと,たとえば葬儀屋がスピノザの親族,つまりレベッカRebecca de SpinozaとダニエルDaniel Carcerisに対して未払いの葬儀代を請求し,これが2月28日に支払われています。支払ったのはおそらくスペイクで,だからスペイクはこの代金もレベッカに対して請求したと思われます。ところがこの代金は,棺代やその装飾と思しき費用や,葬儀の参列者にスペイクが振舞った2リットルのワインの代金よりも安価になっています。なので,6台の馬車が出たようなスピノザの葬儀費用として十分であったかは定かではありません。スペイクは前もっていくらかを葬儀屋に支払っていて,葬儀の後に同じ葬儀屋からそれでは賄えなかった分の請求を受けたので,その分の領収書だけが残っていたという可能性もないわけではないのです。
フロイデンタールおよびナドラーの報告とコレルスの伝記を合わせて読む限り,スペイクはリューウェルツJan Rieuwertszを通してシモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesのきょうだいから葬儀費用を出してもらった上で,さらに競売によって葬儀代と借金を上回るだけの利益をあげたというように解釈できます。しかし実際には競売だけではスピノザの葬儀に必要な費用のすべてを捻出することができたというわけではなくて,それでは不足した分をリューウェルツに送ってもらったのかもしれません。レベッカは請求された金額から支払いを済ませると少ししか残らないから相続を放棄したのですが,レベッカにすべての葬儀費用が請求されていたかというと,実はそうではなかったかもしれないのです。
シンエンペラーは左によれる発馬で隣の馬に迷惑を掛けました。レースの前半は先頭から3馬身ほどの4~5番手を追走。やや外目を回っていたのでフォルスストレートの付近では先頭から5馬身くらいの7番手になりました。フォルスストレートの出口の前から騎手の手が動き始め,やや差は詰まったのですがそれ以上は追いつくことができず,最後まで走るのを止めるところはなかったのですが順位は下げ,勝ち馬からおよそ12馬身差の12着でした。
前走のときもいいましたが,2000mでは日本の馬が強いのですが,2400mになるとヨーロッパの馬の方が全体的なレベルが上です。しかも今年は馬場が悪くなりましたから,日本の馬には余計に厳しかったように思います。
最後に僕の方から次のことをいっておきます。
フロイデンタールJacob FreudenthalもナドラーSteven Nadlerも,競売によってスピノザの葬儀費用および借金は完済することができて,僅かながら剰余金が出たとみています。このことについてナドラーはフロイデンタールの見解に従っていて,フロイデンタールはコレルスの伝記Levens-beschrijving van Benedictus de Spinozaにある報告を計算することからそのようにいっています。ただ,コレルスの伝記がすべてを報告しているのかどうかは分からないのです。競売の売上に関しては記録が残っていますから,そのことによってスペイクがどの程度の収入を得ることができたかははっきりしています。しかし葬儀に関する支出に関していうと,たとえば葬儀屋がスピノザの親族,つまりレベッカRebecca de SpinozaとダニエルDaniel Carcerisに対して未払いの葬儀代を請求し,これが2月28日に支払われています。支払ったのはおそらくスペイクで,だからスペイクはこの代金もレベッカに対して請求したと思われます。ところがこの代金は,棺代やその装飾と思しき費用や,葬儀の参列者にスペイクが振舞った2リットルのワインの代金よりも安価になっています。なので,6台の馬車が出たようなスピノザの葬儀費用として十分であったかは定かではありません。スペイクは前もっていくらかを葬儀屋に支払っていて,葬儀の後に同じ葬儀屋からそれでは賄えなかった分の請求を受けたので,その分の領収書だけが残っていたという可能性もないわけではないのです。
フロイデンタールおよびナドラーの報告とコレルスの伝記を合わせて読む限り,スペイクはリューウェルツJan Rieuwertszを通してシモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesのきょうだいから葬儀費用を出してもらった上で,さらに競売によって葬儀代と借金を上回るだけの利益をあげたというように解釈できます。しかし実際には競売だけではスピノザの葬儀に必要な費用のすべてを捻出することができたというわけではなくて,それでは不足した分をリューウェルツに送ってもらったのかもしれません。レベッカは請求された金額から支払いを済ませると少ししか残らないから相続を放棄したのですが,レベッカにすべての葬儀費用が請求されていたかというと,実はそうではなかったかもしれないのです。