5日に霧島ファクトリーガーデンで指された第46期女流王将戦三番勝負第一局。対戦成績は西山朋佳女流王将が34勝,福間香奈女流五冠が42勝。これはNHK杯の予選を含んでいます。
霧島酒造の社長による振駒は歩が4枚で西山女流王将の先手となり四間飛車。後手の福間女流五冠が向飛車にしての相振飛車。先手の矢倉,後手の美濃という戦型でした。
後手が歩を垂らした局面。この手は先手の意表を衝いたようです。
ここから☗8三歩成☖同銀☗同桂成☖同玉と清算したのですが,後の手順からすると先に☗7五角と上がっておいた方がよかったと思われます。その方が☗6四歩が厳しくなったからです。
実戦のように進めたのなら☗4二銀と打つのがよかったようですがそこで☗7五角と出ました。後手は当然の☖5五飛。そこでまた☗6六角ならまだ難しかったのですが,それでは何をやっているか分かりません。よって☗6四歩と突きましたがここでは甘く,☖3六桂と王手をされて収拾がつかなくなりました。
福間女流五冠が先勝。第二局は15日に指される予定です。
グツコウKarl Ferdinand Gutzkowの戯曲はあくまでも戯曲ですから,創作です。戯曲に書かれている会話がダ・コスタUriel Da Costaとスピノザとの間であったことはあり得ないのはもちろん,実際にスピノザとダ・コスタが顔見知りで,何らかの会話を交わすことがあったということでさえグツコウの創作であると解さなければなりません。とくにこの会話の中で,スピノザはアコスタすなわちダ・コスタのことを,オーハイムと呼びかけます。このオーハイムというのは古いドイツ語で,母親の兄弟,すなわち母方の伯父ないし叔父という意味があったそうです。つまりグツコウの戯曲の中では,ダ・コスタがスピノザの母の兄弟という設定になっています。スピノザの母はハンナですが,ダ・コスタがハンナの兄弟であったわけではありません。このことから最もよく理解できるように,これは完全な創作なのです。
しかし吉田が指摘しているように,ハンナとダ・コスタは,きょうだいではなかったとしても,ハンナの一族とダ・コスタの一族は,遠縁だけれども親戚関係にあったという説があります。『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』では,少なくともハンナの一族もダ・コスタの一族も北ポルトガルから迫害を逃れてアムステルダムAmsterdamにやってきたのであって,ポルトガル時代まで遡ると,両一族に何らかの関係があったと考えられるといわれています。
さらにこれとは別の関係があります。スピノザの父であるミカエルは,アムステルダムのユダヤ人共同体において,理事会の役職についていたことがあったのですが,1637年から1638年にかけてはウリエルの弟であるアブラハムが同じ役職に就いています。さらにこのふたりは,1642年から1643年にかけては,ユダヤ人の学校の評議員を務めています。したがって,スピノザの父とダ・コスタの弟は,間違いなく知り合いであり,おそらく会話を交わすような間柄であったと思われます。
これらのことを踏まえれば,スピノザとダ・コスタの間に面識があったというグツコウの設定自体は,それほど不自然なものではないだろうと吉田はいっています。ウリエルとアブラハムが仲のよい兄弟だったかは分かりませんが,不自然でないのは確かでしょう。
霧島酒造の社長による振駒は歩が4枚で西山女流王将の先手となり四間飛車。後手の福間女流五冠が向飛車にしての相振飛車。先手の矢倉,後手の美濃という戦型でした。
後手が歩を垂らした局面。この手は先手の意表を衝いたようです。
ここから☗8三歩成☖同銀☗同桂成☖同玉と清算したのですが,後の手順からすると先に☗7五角と上がっておいた方がよかったと思われます。その方が☗6四歩が厳しくなったからです。
実戦のように進めたのなら☗4二銀と打つのがよかったようですがそこで☗7五角と出ました。後手は当然の☖5五飛。そこでまた☗6六角ならまだ難しかったのですが,それでは何をやっているか分かりません。よって☗6四歩と突きましたがここでは甘く,☖3六桂と王手をされて収拾がつかなくなりました。
福間女流五冠が先勝。第二局は15日に指される予定です。
グツコウKarl Ferdinand Gutzkowの戯曲はあくまでも戯曲ですから,創作です。戯曲に書かれている会話がダ・コスタUriel Da Costaとスピノザとの間であったことはあり得ないのはもちろん,実際にスピノザとダ・コスタが顔見知りで,何らかの会話を交わすことがあったということでさえグツコウの創作であると解さなければなりません。とくにこの会話の中で,スピノザはアコスタすなわちダ・コスタのことを,オーハイムと呼びかけます。このオーハイムというのは古いドイツ語で,母親の兄弟,すなわち母方の伯父ないし叔父という意味があったそうです。つまりグツコウの戯曲の中では,ダ・コスタがスピノザの母の兄弟という設定になっています。スピノザの母はハンナですが,ダ・コスタがハンナの兄弟であったわけではありません。このことから最もよく理解できるように,これは完全な創作なのです。
しかし吉田が指摘しているように,ハンナとダ・コスタは,きょうだいではなかったとしても,ハンナの一族とダ・コスタの一族は,遠縁だけれども親戚関係にあったという説があります。『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』では,少なくともハンナの一族もダ・コスタの一族も北ポルトガルから迫害を逃れてアムステルダムAmsterdamにやってきたのであって,ポルトガル時代まで遡ると,両一族に何らかの関係があったと考えられるといわれています。
さらにこれとは別の関係があります。スピノザの父であるミカエルは,アムステルダムのユダヤ人共同体において,理事会の役職についていたことがあったのですが,1637年から1638年にかけてはウリエルの弟であるアブラハムが同じ役職に就いています。さらにこのふたりは,1642年から1643年にかけては,ユダヤ人の学校の評議員を務めています。したがって,スピノザの父とダ・コスタの弟は,間違いなく知り合いであり,おそらく会話を交わすような間柄であったと思われます。
これらのことを踏まえれば,スピノザとダ・コスタの間に面識があったというグツコウの設定自体は,それほど不自然なものではないだろうと吉田はいっています。ウリエルとアブラハムが仲のよい兄弟だったかは分かりませんが,不自然でないのは確かでしょう。