京都で指された昨日の第72期王座戦五番勝負第三局。
永瀬拓矢九段の先手で角換わり。後手の藤井聡太王座が右玉に構える序盤戦でした。終盤は攻め合いとなり,先手に分がある戦いに。
この王手に対して☗9七歩と打って受けたため,☖7八銀で後手の逆転勝ちに。
第1図の後手玉は詰めろになっています。☗7三銀☖9二王に☗9三歩と打つのがその手順。ところが9七に歩を打ってしまうと☗9三歩が二歩で打てないため,後手玉の詰めろが外れて逆転という仕組みです。
将棋は相手玉を寄せてもその前に自玉が寄せられれてしまうと勝てません。ですから相手玉への攻めよりも自玉の安全度を優先するのがセオリーです。第1図で☗9七桂なら先手玉は詰まず,後手玉の詰めろも継続したので先手の勝ちだったのですが,部分的に先手玉の安全度だけを考えれば,☗9七桂より☗9七歩の方が安全です。棋士の習性が生んだ逆転という印象でした。
3連勝で藤井王座が防衛。第71期からの連覇で2期目の王座獲得です。
スチュアートMatthew Stewartは,シュラーGeorg Hermann Schullerが自分の役割を大きく見せるために,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに対して遺稿の買取りを打診したといっています。つまりシュラーは実際には遺稿をライプニッツに売却するような権限がなかったのだけれど,自分にはそういう力があるということをみせようとして,ライプニッツにそのような打診をしたということです。ライプニッツはこの打診に対してはっきりとした返事をしなかったのですが,その間にシュラーは遺稿集Opera Posthumaを出版するという方針になったということをライプニッツに伝えたので,フロイデンタールJacob Freudenthalはその点を重視して,編集者たちの間で方針の変更があったと解しているのです。僕はすでにいったように,この点はスチュアートの説に理があると考えますが,なぜシュラーがそのような打診をライプニッツにしたのかということは,よく分からないです。
シュラーのライプニッツに対する打診が,編集者たちの総意であったと仮定してみましょう。この場合,編集者たちは適切な買い手を探さなければなりません。その中でライプニッツの名前が出て,ライプニッツと定期的に書簡のやり取りをしていたシュラーが,編集者たちを代表してライプニッツに対して遺稿の買取りを打診したということになります。
後に編集者たちは方針を変更し,遺稿集を出版することになります。しかしもしも遺稿集の編集者たちが事前にライプニッツに対して遺稿集の買取りを打診していたのだとすれば,遺稿集を出版するにあたって,ライプニッツがどのような意向を有しているのかということも理解していたとするのが妥当です。シュラーは方針が転換されたということをライプニッツに伝えたのですから,その際の意向というのがライプニッツからシュラーに伝えられるでしょう。シュラーは遺稿集の編集者を代表してライプニッツとやり取りしているのですから,この意向というのが編集者たちの間で共有されることになります。
ところがすでに説明したように,ライプニッツの意向というのが編集者たちの間で共有されていたという形跡がありません。それが共有されていたのなら,書簡四十五と書簡四十六が遺稿集に掲載されなかった筈だからです。
永瀬拓矢九段の先手で角換わり。後手の藤井聡太王座が右玉に構える序盤戦でした。終盤は攻め合いとなり,先手に分がある戦いに。
この王手に対して☗9七歩と打って受けたため,☖7八銀で後手の逆転勝ちに。
第1図の後手玉は詰めろになっています。☗7三銀☖9二王に☗9三歩と打つのがその手順。ところが9七に歩を打ってしまうと☗9三歩が二歩で打てないため,後手玉の詰めろが外れて逆転という仕組みです。
将棋は相手玉を寄せてもその前に自玉が寄せられれてしまうと勝てません。ですから相手玉への攻めよりも自玉の安全度を優先するのがセオリーです。第1図で☗9七桂なら先手玉は詰まず,後手玉の詰めろも継続したので先手の勝ちだったのですが,部分的に先手玉の安全度だけを考えれば,☗9七桂より☗9七歩の方が安全です。棋士の習性が生んだ逆転という印象でした。
3連勝で藤井王座が防衛。第71期からの連覇で2期目の王座獲得です。
スチュアートMatthew Stewartは,シュラーGeorg Hermann Schullerが自分の役割を大きく見せるために,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに対して遺稿の買取りを打診したといっています。つまりシュラーは実際には遺稿をライプニッツに売却するような権限がなかったのだけれど,自分にはそういう力があるということをみせようとして,ライプニッツにそのような打診をしたということです。ライプニッツはこの打診に対してはっきりとした返事をしなかったのですが,その間にシュラーは遺稿集Opera Posthumaを出版するという方針になったということをライプニッツに伝えたので,フロイデンタールJacob Freudenthalはその点を重視して,編集者たちの間で方針の変更があったと解しているのです。僕はすでにいったように,この点はスチュアートの説に理があると考えますが,なぜシュラーがそのような打診をライプニッツにしたのかということは,よく分からないです。
シュラーのライプニッツに対する打診が,編集者たちの総意であったと仮定してみましょう。この場合,編集者たちは適切な買い手を探さなければなりません。その中でライプニッツの名前が出て,ライプニッツと定期的に書簡のやり取りをしていたシュラーが,編集者たちを代表してライプニッツに対して遺稿の買取りを打診したということになります。
後に編集者たちは方針を変更し,遺稿集を出版することになります。しかしもしも遺稿集の編集者たちが事前にライプニッツに対して遺稿集の買取りを打診していたのだとすれば,遺稿集を出版するにあたって,ライプニッツがどのような意向を有しているのかということも理解していたとするのが妥当です。シュラーは方針が転換されたということをライプニッツに伝えたのですから,その際の意向というのがライプニッツからシュラーに伝えられるでしょう。シュラーは遺稿集の編集者を代表してライプニッツとやり取りしているのですから,この意向というのが編集者たちの間で共有されることになります。
ところがすでに説明したように,ライプニッツの意向というのが編集者たちの間で共有されていたという形跡がありません。それが共有されていたのなら,書簡四十五と書簡四十六が遺稿集に掲載されなかった筈だからです。