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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

新人王戦&スピノザとダ・コスタ

2024-10-08 19:09:11 | 将棋
 4日に指された第55回新人王戦決勝三番勝負第一局。対戦成績は服部慎一郎六段が4勝,高田明浩五段が0勝。
 振駒で服部六段の先手となり矢倉。後手の高田五段が急戦に出て,攻め合いの将棋になりました。
                            
 ここで後手が☖2四歩と受けに回ったため☗4六桂と打たれ☖2三玉☗3五桂☖1二玉☗2四飛と攻められ先手の勝ちになりました。
 第1図は☖5九金と打って☗同銀に☖7八金と取れば☗同王☖8八金☗7七王☖7九飛成☗6六王のときに☖5四桂と打って詰みでした。実戦は4六に桂馬を打たれてしまったためにこの筋が消失しています。後手としては痛恨の一局になってしまいました。
 服部六段が先勝。第二局は21日に指される予定です。

 スピノザの親族およびスピノザの死およびその後の事柄についての探求はここまでとして,再び『スピノザ 人間の自由の哲学』に戻ります。次もまた史実に関わることです。
 『破門の哲学』の冒頭で,ウリエル・ダ・コスタUriel Da Costaが宣告された破門を解いてもらうための儀式をスピノザが見つめている場面が描かれています。この儀式が屈辱的なものであったために後にダ・コスタは自殺してしまうのですが,その場面をスピノザが見守っているという構図です。この儀式が行われたとき,スピノザはまだ子どもでしたが産まれてはいましたから,実際にそのようなことが起こったとしても,それを史実に反することだと断定することができるわけではありません。ただしこれは著者である清水の想像であって,確かにスピノザがその儀式の場にいたということを意味するのではありません。これが清水の想像であるということは,『破門の哲学』にも書かれているのであって,清水はそれが史実であったと主張しているのではありませんから,その点には留意してください。
 『スピノザ 人間の自由の哲学』の第二回の中で,その場にスピノザがいたかどうかはともかくとして,幼いスピノザとダ・コスタの間には,面識があったとしても不自然ではなかったということが書かれています。
 僕は知らなかったのですが,19世紀のドイツにカール・グツコウKarl Ferdinand Gutzkowという作家がいて,この人が『ウリエル・アコスタUriel Acosta』という戯曲を書いているそうです。なお,アコスタはダ・コスタの別名と考えてください。つまりこの戯曲の主人公はウリエル・ダ・コスタです。吉田はこの戯曲を読んだことがあるそうです。戯曲自体は実在のダ・コスタとはかけ離れた境遇のメロドラマに仕立て上げられていて,面白くはなかったそうですが,第五幕にバールーフ・スピノザという8歳の少年がアコスタと会話をする場面があり,ここは印象に残ったそうです。もちろんこれはスピノザのことです。この会話は,アコスタが自らの思想をスピノザに伝える,あるいはスピノザに託すというような内容になっていますが,8歳の少年に語るような内容とは僕には思えず,いかにも不自然な感じは受けました。
コメント
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