スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

コパノリチャード&記号化

2022-01-21 21:31:30 | 名馬
 先週の船橋記念を勝ったキモンルビーの父はコパノリチャードです。父はダイワメジャー
 2歳の11月にデビューして新馬を勝利。12月の特別戦は2着でしたが1月の特別戦で2勝目。アーリントンカップで2戦目に負けていた馬を逆転して重賞制覇を達成しました。賞金を加算したので皐月賞に出走するも13着。距離適性からNHKマイルカップに進みましたが8着でした。
 復帰戦となったオープンは16着と大敗でしたが続くスワンステークスを勝って重賞2勝目。マイルチャンピオンシップは4着,阪神カップはリアルインパクトの10着でこの年のキャンペーンを終了しました。
 4歳の初戦となった阪急杯で重賞3勝目。続く高松宮記念で大レース制覇を達成しました。続く京王杯スプリングカップは7着。
 秋はスプリンターズステークスで復帰し12着。JBCスプリントに出走して16着。阪神カップはリアルインパクトの3着でした。
 5歳初戦の阪急杯は6着。連覇を狙った高松宮記念は5着。休養して出走した函館スプリントステークスで14着に大敗すると,スプリンターズステークスが13着,スワンステークスが12着,京阪杯が14着と,大敗が続いて引退となりました。
 4歳の春がピークで,5歳の夏以降は大敗続きでしたから,種牡馬になる時点での印象は悪くなってしまいました。キモンルビーが出世頭になりそうです。

 それが神Deusといわれる理由があるわけではないというのは,絶対に無限な実体substantiaのことが神という記号で示されなければならない理由はないということです。つまりそれは神と別の記号であっても構わないのです。このあたりはスピノザの哲学が唯名論であるということと関係しています。スピノザはシモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesに宛てた書簡九の中で,それ自身が吟味されるために立てられる定義Definitioは,真verumである必要はなく,十分に理解されさえすればよいのだといっていますが,このことは唯名論と関係しています。なぜなら,図形とは一定の空間を囲むふたつの直線である,という言明があったとして,これは図形とか直線といわれているものを僕たちが普通に解しているところのものとすれば,意味が不明であるとしかいいようがありませんが,この言明をしている人が,直線というのを僕たちがいうところの曲線と解し,図形というのをそうした曲線によって構成されるものであると解しているなら,意味は理解することができますから,定義として成立するのです。ただこうした定義によって成立する公理系の内部においては,たとえば四角形を図形ということはできないというだけです。
                                         
 したがってこうした定義は,私は一定の空間を囲むふたつの直線のことを図形という,というような仕方で言明されるなら,意味は滞りなく通じますから,定義として成立するのです。したがって,どのようなものが図形と記号化され,またどういったものが直線と記号化されるかということには,大した意味があるわけではありません。このことは,私はXであるものをAという,という命題においては,Aが何であっても,意味が通じさえすればいいわけですから,Aの部分がどのように記号化あるいは言語化されていても構わないということから理解することができるでしょう。
 第一部定義六は,神は無限に多くの属性から成っている実体substantiam constantem infinitis attributisと解するintelligereという形式で定義されています。よってここまでに検討したことから明白なように,神という部分はどのように記号化されていてもよいのです。無限に多くの属性から成っているということが十全に認識されるということだけがすべてであるといえます。

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