スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王座戦&確定的事実

2020-09-04 18:59:57 | 将棋
 鶴巻温泉で行われた昨日の第68期王座戦五番勝負第一局。対戦成績は永瀬拓矢王座が4勝,久保利明九段が1勝。
 振駒で永瀬王座の先手となり,後手の久保九段のノーマル四間飛車。先手が居飛車穴熊から銀冠穴熊,後手はミレニアムから銀冠。序盤も中盤も長い将棋で,多くの分岐があった筈ですが,ここもそのひとつだったと思います。
                                        
 実戦はここで☖5八ととしました。先手は☗6四桂から攻め合いに。後手が☖6三金と逃げると先手も☗7八銀打と固め,☖6四龍☗同馬☖同金となりました。
                                        
 部分的には後手が駒得することができたのですが,第2図から☗5九歩と打たれ,後手の攻め駒が一掃される展開となってしまい,穴熊相手には勝ち難い将棋になりました。第1図で☖4六角と打つと☗4五馬とされ,☖5八とと入れなくなってしまうのですが,☖5六金と引いておけばまだ先手に重圧が掛かる展開が続いたようには思います。
 永瀬王座が先勝。第二局は9日です。

 遺稿集Opera Posthumaの編集者たちの配慮は,フッデJohann Huddeに対するものとライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに対するものとではその内容が大きく異なりました。もしもフッデもライプニッツも,同じように自身とスピノザとの間に関係があったことを秘匿しておいてほしいと要望したのであれば,フッデに対する配慮は万全のものでした。これに対してライプニッツに対する配慮は,ある点,すなわち『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を主題としたやり取りと,そうしたやり取りがあったことを明るみに出す書簡七十および書簡七十二については遺稿集への掲載を見送るという,フッデよりも強い配慮を示しているのに,別の点,すなわち書簡四十五書簡四十六を掲載したという点では,フッデに対してなされたような万全の配慮がされてはいないというにとどまらず,むしろ何らの配慮もされなかったといわなければなりません。このことも,遺稿の編集作業が始まる以前の段階で,シュラーGeorg Hermann Schullerが『神学・政治論』絡みの書簡は抜き取っておき,掲載された2通の書簡については,理由があって抜き取り漏らしてしまったのだとすれば,合理的に説明することができるのではないでしょうか。ですからシュラーがそのような行為に及んだということは,あくまでも僕が作った物語ではありますが,一概に真実ではないということもできないのではないかと思います。
 ここまでの検討から分かるのは,確かにライプニッツとスピノザとの間には,遺稿集には掲載されなかった,あるいは現在に至るまで発見されていない書簡があったことは確実ですが,そうした書簡の内容は,『神学・政治論』を主題としたものだけであっただろうということです。したがってその書簡の中で,ライプニッツがスピノザに対して,思惟の属性Cogitationis attributumおよび延長の属性Extensionis attributumの直接無限様態と間接無限様態は何であるのかという質問はしていないでしょう。『神学・政治論』が主題であるのなら,そのような質問が出てくる筈はないからです。そして,編集者のライプニッツに対する配慮はかなり変則的なものであった可能性が高いですから,チルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhaus以外にはこのことを問い質した人物は存在しなかったということが,確定的な事実としていえると僕は考えているのです。

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