スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流王位戦&人間に共通の本性

2023-03-20 19:22:02 | 将棋
 17日に指された第34期女流王位戦挑戦者決定戦。対戦成績は甲斐智美女流五段が5勝,伊藤沙恵女流三段が13勝。
 振駒で甲斐女流五段が先手となり,伊藤女流三段の雁木に対して速攻を仕掛ける力戦の相居飛車戦になりました。
                                        
 第1図は速攻を仕掛けた先手の攻めがうまくいっていないので,すでに後手が有利だと思われます。ここで☖3六歩とさらに攻めを催促するような手を指しました。
 ☗同角はさらに押さえ込まれそうです。なので☗3三歩成と成り捨てました。
 後手は☖同金と応じました。この場合は☗4五桂と跳ねる一手。そこで力強く☖4四金と上がるのが後手の狙いの一手。☗3六飛には☖3五銀と手厚く打ち,☗3九飛に☖3六歩と打ちました。
                                        
 これで先手は飛車角が使いにくい形。さらに銀取りも残っているので銀を逃げざるを得ません。第2図となっては後手の優勢がはっきりしました。
 伊藤女流三段が勝って挑戦権を獲得第28期以来6年ぶりの女流王位戦五番勝負出場。第一局は来月26日に指される予定です。

 現実的にAという人間が存在して,このAがやはり現実的に存在する人間であるBと何らかの関係を有すると仮定します。このとき第二部定理三九により,AとBに共通かつ特有であるものは,共通概念notiones communesとしてAのうちに発生することになります。人間に共通の本性essentiaは,AとBの間でのみ特有であるということはできませんが,AもBも人間であるという観点からは特有であるといえます。そしてAもBも現実的に存在する人間と仮定されているのですから,AとBに共通しているのはそれ自体で明らかです。よって人間に共通の本性は,この仕方でAの精神mensのうちに共通概念として生じることになります。したがって論理的には,現実的に存在する人間は,人間に共通の本性を十全に認識するcognoscereことになると僕は考えます。そして現実的に存在する人間が,他の現実的に存在する人間と関係をもたないということはそれ自体が非現実的なので,現実的に存在するすべての人間の精神mens humanaのうちに,人間に共通の本性が,共通概念としてあると僕は考えます。第二部定理三八系は,もっと一般的にいくつかの共通概念が現実的に存在する人間の精神のうちにあるといっていますが,人間に共通の本性は,そうした共通概念のひとつであると僕は考えるのです。
 ただしこれは論理的にこうなっているだけで,現実的に存在する人間の精神のうちにある特定の共通概念について,それを人間に共通の本性というように認識することができるのかということについては,僕はいくらかの疑問を有しています。ただこの疑問を解消する前に,僕が示した論理そのものについて反論があり得そうに思えますので,そちらを探求しておきます。これは,第二部定理三七によれば,共通概念は個物res singularisの本性を構成しないといってる点に関連します。僕が示した論理では,人間に共通の本性は共通概念として現実的に存在する人間が十全に認識することができるということになっているので,これを両立させるためには,人間は個物ではないといわなければなりません。ですがこれは第二部定理一〇系に反します。というか,人間は個物であるということは,『エチカ』に訴えるまでもなく当然だといえるでしょう。
コメント
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