スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典ダイオライト記念&共通の本性の存在

2023-03-16 19:35:42 | 地方競馬
 昨晩の第68回ダイオライト記念
 鞭を入れたメイショウフンジンが先頭に。キャッスルトップ,アナザートゥルース,ペイシャエス,エルデュクラージュの順で続きここまで一団。3馬身差でグロリアムンディ。7番手にテリオスベルとミューチャリー。2馬身差でフォルベルール。10番手にサンビュート。11番手にセイカメテオポリス。4馬身差でマンガンとミスティネイル。4馬身差の最後尾にハナウタマジリという隊列で発馬後の向正面を通過。各馬が内を開けてレースを進めている間にテリオスベルが内を進出。正面でメイショウフンジンの前に出て,ここからはテリオスベルの逃げに。メイショウフンジン,キャッスルトップ,アナザートゥルースの3頭が2番手を追走していましたが,この後のコーナーワークで,2周目の向正面に入るところでは前からテリオスベル,メイショウフンジン,アナザートゥルース,エルデュクラージュ,ペイシャエスの順となり,グロリアムンディが向正面の半ばではこの直後まで追い上げてきました。最初の1000mは64秒4のミドルペース。
 3コーナーを回るとテリオスベルの外にメイショウフンジンが並び掛けていきました。アナザートゥルース,エルデュクラージュと続きましたが,ここも内が開いていたのでグロリアムンディがその内を一気に進出。直線の入口で内からテリオスベルの前に出ると,直線は少し外に。ここからは独走となって圧勝。テリオスベルに迫ったのは内からエルディクラージュで外からメイショウフンジン。しかしこの2頭の追撃は斥けたテリオスベルが9馬身差で2着。外のメイショウフンジンが1馬身差の3着で内のエルデュクラージュは半馬身差で4着。
 優勝したグロリアムンディは重賞初勝利。このレースは実績ではペイシャエスでしたが,距離に不安がありました。対してグロリアムンディは長距離の適性がありそうなので,優勝候補の双璧とみていました。ペイシャエスは距離の不安がもろに出ましたが,この差ですから,それがなくてもグロリアムンディの方が勝っていたでしょう。距離は長い方がよいのでしょうが,大レースまで届きそうな内容であったと思います。父はキングカメハメハ。Gloria Mundiはラテン語で世界に栄光を。バラの品種名とのことです。
                                       
 騎乗した川田将雅騎手は第64回,66回に続き2年ぶりのダイオライト記念2勝目。管理している大久保龍志調教師は第64回以来となる4年ぶりのダイオライト記念2勝目。

 すべての人間が存在することをやめる,これはつまり人類が絶滅するということですが,もしそうしたことが生じたとすれば,人間の本性natura humanaも存在することをやめるかといえば,必ずしもそういうことにはならないと僕は考えます。もしそのことによって人間の本性が存在することをやめるのであれば,人類が絶滅して以降は,どんな知性intellectusも人間の本性について考えるconcipereことができなくなるといわなければなりませんが,それをいうのは不条理であると僕は考えるからです。もちろん人類が絶滅した後に,どのような知性が人間の本性について概念するconcipereのかということは,現実的には問われなければならないでしょうが,そのことはここでは無視します。僕が重視したいのは,もし人類が絶滅することによって人間の本性が存在することをやめるならどんな知性も人間の本性について考えることができないとすれば,このことは一般的にいわれなければならないという点です。すなわち人類に限らず,何らかの種が絶滅することによってその種の本性が存在することをやめるなら,その種の本性についてどのような知性も考えることはできないということが一般的にあって,そのことが人類という特定の種に適用されているという点です。
 たとえば恐竜は絶滅していますが,僕たちは恐竜の本性を考えることができます。それは,恐竜は確かに絶滅したけれど,恐竜の本性が存在することをやめたというわけではないからなのです。これと同じことが人類にも適用されるべきであって,たとえ人類が絶滅するということがあるにしても,人間の本性が存在することをやめるということはないといわなければならないでしょう。したがって,ひとりの人間が存在することをやめる場合も,人類が全体として存在することをやめる場合も,人間の本性まで存在することをやめるというわけではありません。しかしもしも人間の本性が存在することをやめる原因causaがあるとしたら,これらふたつ以外には考えられません。第一部公理三により,原因が与えられないのであれば結果effectusは生じることはないのですから,人間の本性というのは存在することをやめることはない本性であると結論しなければなりません。
コメント
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