スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

棋王戦コナミグループ杯&一般性

2023-03-23 19:35:06 | 将棋
 19日に鬼怒川温泉で指された第48期棋王戦五番勝負第四局。
 渡辺明棋王の先手で角換わり相腰掛銀。この将棋は先手が駒損での攻めになり,中央で駒が渋滞気味になった分,後手の藤井聡太竜王ががよくなりました。ただ反撃することができる局面で自重して受け続けることを選択したため,長くなりました。後手が悪くなったというわけではないので,自重したこと自体が悪かったとか疑問であったというのとはちょっと違うように感じられます。
                                        
 この局面からの選択が最終的に勝敗の分かれ目になったようです。実戦の指し手は☗3三桂成☖同桂☗6六銀☖同角☗7七桂。そこで☖7五桂が好手で後手の勝ちになりました。
 これは桂馬を渡したために発生した手段なので,第1図では単に☗6六銀と取る方がよかったかもしれません。また,☗7七桂のところで入手した銀を☗7七銀と打っておけば角に当たっているのですぐの☖7五桂はありませんでした。なので桂馬を打ちたいのであれば第1図ですぐに☗6六銀でしたし,桂馬を渡して銀を取ったからには桂馬でなく銀を打つべきだったということになるでしょう。もちろんそれで先手が勝てるというわけではないのですが,まだ長く続く将棋であったのは間違いありませんでした。
                                        
 3勝1敗で藤井竜王が棋王を奪取。棋王は初の獲得です。

 『スピノザと表現の問題Spinoza et le problème de l'expression』で指摘されているように,共通概念notiones communesにはきわめて一般性の高いものから,きわめて一般性の低いものまで多種多様なものがあります。そしてドゥルーズGille Deleuzeがいっているように,この一般性の高低が,個々の現実的に存在する人間にとっての各々の共通概念の重要度を決定します。ごく単純にいえば,一般性が低い共通概念の方が,現実的に存在する人間にとって重要度は高く,逆に一般性が高くなるほど,その重要性は低下していきます。一般性が低いということは,特有性が高い,いい換えれば共通するといわれる範囲が狭いことを意味し,一般性が高いとは,特有度は低く共通性は広いことを意味します。すなわちより少ないものの間で共通するものの共通概念は現実的に存在する人間にとって重要度が高いものが多く,より多くのものの間に共通するものの共通概念は,現実的に存在する人間にとって重要度は低くなるのです。しかしこの重要度についてはここで考慮する必要はありません。一口に共通概念といっても,一般性が高いものもあれば低いものもあるということを理解しておけば十分です。
 このために,現実的に存在する人間Aが,同じように現実的に存在する人間Bと関係を有するとき,Aの精神mensのうちに発生する共通概念にも,一般性が高いものから低いものまで,いくつもの共通概念があるということになるのです。AとBに特有でかつ共通するものはすべて共通概念としてAの精神のうちに発生すると第二部定理三九はいっているわけですから,ただひとつの共通概念だけがAの精神のうちに発生するということはあり得ません。AとBに特有でAにもBにも共通することがひとつだけであるということは,現実的ではないからです。よって,一般性の規準を人間に共通の本性essentiaと設定すれば,その規準に見合った共通概念は,AもBも人間であるということから必ずAの精神のうちに発生しますが,Aの身体corpusもBの身体も物体corpusであるという観点からは,もっと一般性が高い共通概念も必ず発生します。そしておそらく,すべての人間には共通しないけれども,AとBには特有で共通することの共通概念もほとんどの場合で発生するのです。
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