スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

瀬戸の王子杯争奪戦&福居の射程

2023-03-29 19:30:09 | 競輪
 玉野記念の決勝。並びは森田‐坂井‐吉沢の関東,渡辺‐小原の南関東,太田‐松浦‐荒井の西国で佐藤は単騎。
 太田が前受け。4番手に佐藤,5番手に森田,8番手に渡辺で周回。残り3周のバックの出口から渡辺が上昇の構えをみせると,誘導との車間を開けていた太田がホームでスピードアップ。渡辺はまた8番手まで引きました。バックに入って森田が発進。それに太田が応戦して打鐘から先行争い。ホームで太田が制しました。森田は外から松浦の位置を取りにいきましたがここは松浦が番手を守りました。隊列は乱れて坂井の後ろが吉沢,荒井,佐藤,渡辺,小原に。ホームから渡辺が発進。バックで小原と共に太田を捲り切りました。松浦が小原の後ろにスイッチ。直線は捲った渡辺の番手から踏み込んだ小原が差して優勝。小原を追った松浦が4分の3車輪差で2着。直線の入口では松浦の後ろに取り付いた佐藤が8分の1車輪差で3着。捲った渡辺が半車輪差で4着。
 優勝した神奈川の小原太樹選手は先月の豊橋のFⅠ以来の優勝。2018年の川崎記念以来の記念競輪2勝目。このレースは松浦と坂井が脚力では上位。共に番手戦となりましたので,前の選手がどこまで頑張るのかが最大の焦点。太田の先行になりましたが,残り2周のホームからある程度は踏んだ上で,さらにその後で激しい先行争いとなったため,後方に構えた渡辺の捲りがものの見事に決まることになりました。渡辺が後方を周回した上で早めに上昇の構えをみせたのがうまかったということでしょう。渡辺も脚力で著しく劣るわけではありませんから,先行争いの激化があればこういう結果も考えられるところでした。もしかしたら太田は前受けはしない方がよかったのかもしれませんし,逆に叩けなかった森田は前で受けた方がよかったのかもしれないということになるでしょう。

 田島は明らかに,現実的に存在する人間の精神mens humanaのうちにある混乱した観念idea inadaequataが十全な観念idea adaequataになると主張しています。少なくとも僕はそう解します。それと比較していえば,ドゥルーズGille Deleuzeはそのように明言しているというわけではありません。ただ,ドゥルーズの共通概念notiones communesの理論からは,結果的にそのようになるというように解さなければならないであろうと僕は思います。他面からいえば,ドゥルーズの共通概念の理論を精査すると,ドゥルーズは現実的に存在している人間の精神のうちにある混乱した観念が十全な観念になると主張していると僕には思えるのです。以前に『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』が未完のままに終わったことに関連するドゥルーズの見解を説明したことがありますが,それは『知性改善論』の段階では共通概念のインスピレーションをスピノザはもっていなかったのに対し,後にそれを思いついたので『エチカ』の執筆にとりかかったというものでした。これは,スピノザが結論について何の目途も立っていないのに『知性改善論』を書き始めたということになるので,僕は同意できませんが,ドゥルーズがそのように考えているということから,共通概念の理論がこのことと関連しているということは理解できるだろうと思います。
                                        
 福居は現実的に存在する人間の精神のうちにある混乱した観念が十全な観念になるということについては否定的です。そしてドゥルーズのその主張が,共通概念の理論と関係しています。というかドゥルーズの共通概念の理論からそのことが導かれているのです。このために福居はドゥルーズの共通概念の理論を否定しているのです。つまり福居がドゥルーズの共通概念の理論を批判するとき,その射程にあるのは,共通概念の理論そのものにあるというよりも,十全な観念と混乱した観念の関係にあるのです。
 僕は十全な観念と混乱した観念の関係については田島やドゥルーズよりも福居の見解opinioに同意します。なぜ僕がそう考えるのかということについてはすでに説明しましたからこれ以上は繰り返しません。しかしだからといってドゥルーズの共通概念の理論のすべてを否定する必要はないと考えます。なぜ僕がそう考えるのかは説明します。
コメント
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