スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

厚生年金&可能的な世界

2023-03-05 19:35:31 | NOAH
 カーンの雑感⑫でいっておいたように,馬場がオーナーであった時代の全日本プロレスは,所属選手のあるいはもっと広く社員の厚生年金に加入し,半額を負担していました。これは事実として動かせません。ただ僕はそれが馬場の意向であったわけではないと推測していますので,その推測を示しておきます。
 全日本プロレスの設立に馬場の意向があったことは事実ですが,馬場と日本テレビの関係があったことの方が大きかったと僕は思います。馬場は日本プロレスに不満をもっていたのは事実ですが,その気になればアメリカで仕事ができたのですから,無理に日本で団体を設立する必要はなかったからです。ただ日本テレビは当時の日本プロレスの幹部に不信を抱いたので,その不信に馬場が乗ったという面が大きかったと思うのです。こうした事情でしたから日本テレビは全日本プロレスに資金援助を惜しみませんでしたし,人材の派遣もありました。つまり全日本プロレスの社員の中に,日本テレビからの出向社員がいたと考えるのがよいと思います。
 この社員は出向社員ですから,時期が経てば日本テレビに戻ることになるでしょう。日本テレビは当然ながら社員を厚生年金に加入させ,その半額を負担していたでしょう。会社のあり方というのはそういうものだからです。ですから,全日本プロレスに限らず,日本テレビから他社に出向するということがあるなら,その出向先の会社も社員を厚生年金に加入させておく必要があります。そうでないとこの社員は,日本テレビの社員であった時期は厚生年金に加入しているけれども,出向期間中は不加入なので,未加入の期間が生じてしまうことになるからです。ですから全日本プロレスは,日本テレビからの出向社員を受け入れるために,厚生年金に加入する必要があり,したがって社員であった所属選手も厚生年金に加入することになったのではないでしょうか。
 これは裏付けがあるわけではなく推測です。ただ,全日本プロレス所属のレスラーが厚生年金に加入していたのには,全日本プロレスと日本テレビの関係が影響していたのだと僕は考えています。

 このことは,スピノザの哲学では,必然と不可能が反対概念であることを意味しています。すなわち神Deusの本性naturaに則することは必然なので,そのことはすべてが生じます。その結果effectusとしてあるのが現にあるこの世界です。しかし神の本性に則さないことは不可能なので,そうしたことは生じません。よってそのような結果は生じることがなかったのです。いい換えれば,現にある世界は何らかの偶然が作用して現にあるというわけではありませんし,現にあるのと異なった世界が可能性としてあり得たということもないのです。もし偶然とか可能と僕たちがいうとすれば,それは僕たちの知性intellectusの限界を示します。要するに,何事も必然であるかそうでなければ不可能であるかのどちらかなのですが,僕たちはある事柄についてはそれが必然であるのか不可能であるのかが分からないという場合があるのであって,そうした事柄については僕たちは偶然といったり可能といったりする場合があるというだけなのです。
 ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizの場合は,確かに世界は現にあるのと異なってあることはできないという点でスピノザとは一致するものの,それは現にある世界が最善の世界であるがゆえのことであって,可能的な世界というものが否定されているわけではありません。神はいくつもの可能世界の中から最善の世界を選択するのですから,最善ではない世界というのは,現に存在することはできないにしても,あるかないかというならあると答えるほかありません。そもそも最善の世界というのは,他の世界と比較されるから最善といわれるのであって,比較対象となるような世界がないならば現にある世界が最善の世界であるということはできません。だからこの点では,現にある世界は現にあるのとは異なってあることはできないという点ではスピノザとライプニッツは一致するものの,理論上の可能世界の有無については,はっきりとした差異があるといわなければなりません。
                                        
 スピノザが可能世界を認めていないということは,『はじめてのスピノザ』でいわれている,スピノザの哲学における神は,宗教的なものではなく自然科学的なものであるということと大きく関連しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする