スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典エンプレス杯&神の存在

2023-03-01 19:46:24 | 地方競馬
 キヨフジ記念の第69回エンプレス杯
 サルサディオーネがすぐさま先頭に。フラーレンとリネンファッションが2番手を併走し,4番手にヴァレーデラルナ。2馬身差でアーテルアストレア。6番手にグランブリッジとテリオスベル。4馬身差でナラ。3馬身差でミスティネイル。4馬身差の最後尾にクレールアドレで発走後の向正面を通過。テリオスベルが早くも追い上げていき,正面では2番手に。3番手にフラーレンとリネンファッション。5番手にヴァレーデラルナ。6番手にアーテルアストレア。7番手にグランブリッジという隊列に。超ハイペースでした。
 2周目の向正面に入るところでサルサディオーネのリードは4馬身ほど。先行勢のうちリネンファッションは一杯。ヴァレーデラルナ,アーテルアストレア,グランブリッジの順でリネンファッションを追い抜いていきました。3コーナーではサルサディオーネのリードは3馬身。ここからテリオスベルが差を詰めていくと,外からヴァレーデラルナでさらに外からグランブリッジが追い上げ,フラーレンとアーテルアストレアは苦しくなりました。直線の入口では内からサルサディオーネ,テリオスベル,ヴァレーデラルナ,グランブリッジの順で4頭が雁行。サルサディオーネはすぐに脱落。残る3頭のうち一番外のグランブリッジが抜け出して快勝。一旦はテリオスベルとの差を徐々に詰めていったヴァレーデラルナがフィニッシュ直前で差して2馬身半差の2着。テリオスベルがクビ差で3着。
 優勝したグランブリッジTCK女王盃からの連勝で重賞4勝目。このレースはヴァレーデラルナとグランブリッジの能力が上位。2頭の比較では斤量が軽くこのコースでも重賞を勝っているグランブリッジが上位とみられ,その通りの結果になりました。サルサディオーネはこのレースで引退ということで,外連味なく逃げたために超ハイペースに。このペースもグランブリッジには有利に働いたかもしれません。コースを問わずに勝っていますので,かなりの能力がある馬とみてよいでしょう。母の父はダイワメジャービューチフルドリーマーワールドハヤブサの分枝。
                                         
 騎乗した川田将雅騎手は第67回以来となる2年ぶりのエンプレス杯2勝目。管理している新谷功一調教師はエンプレス杯初勝利。

 僕は真理veritasを思惟の様態cogitandi modiとみていますが,そのこともあって,永遠のaeternus真理を産出するproducereことができないというだけで,自由意志voluntas liberaを本性essentiaに含む神Deusが最高に完全summe perfectumではあり得ないということについて,それだけで納得する説明となっていないと思う人もいると推測されます。そこで次のことも付け加えておきましょう。
 真理を虚偽falsitasにしまた虚偽を真理にすること,また有esseを無にし逆に無を有にすることというのは,一般的なことであって,神の本性に自由意志が属するのであれば,何事についてもそのことが可能であるといわなければなりません。そうでなければその意志を自由な意志ということはできないからです。一方,スピノザの哲学では神がそうしたことをすることは不可能である,いい換えれば神の本性に自由意志が属さないとされていますから,そうしたことは生じません。そうしたことが生じないから,真理は永遠aeternumであることができるのです。よってこうしたことは,『エチカ』で証明されている定理Propositioのすべてに妥当しなければならないのであって,それらの定理は,スピノザの主張に従う限りでは永遠の真理ではあるけれども,神の本性に自由意志が属する場合はそうではないことになるのです。
 たとえば第一部定理一一は,神は必然的にnecessario存在するといっています。ここで必然的にといわれているのは,神の自由意志によってではなく必然的にという意味がいくらかは含まれていますが,このことは後で説明します。ただ,その差異をここで気にするなら,神の本性に自由意志が属する場合は,神は神自身の自由意志によって存在するということになるでしょう。しかし上述したように,神が必然的に存在するというならそれは永遠の真理ですが,自由意志によって存在するというならそうではありません。これは神は存在することも存在しないこともできたけれども,自由意志によって存在することになったという意味でなければならないからです。そしてもしこのことを是認するなら,神は自由意志によって存在することをやめ得るということも同時に肯定するaffirmare必要が出てきます。よって神は自由意志によって存在するという命題は,永遠の真理であることができないのです。
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