スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典佐賀記念&無知者の行動

2023-02-10 19:09:45 | 地方競馬
 昨日の第50回佐賀記念
 サバンナロードは加速が鈍く1馬身の不利。逃げたのはディバッセで2番手にバーデンヴァイラー。3番手にジャズブルースとデルマルーヴル。5番手にリュウノシンゲン。6番手にカフジオクタゴン。差が開いてラッキードリームとミスカゴシマ。9番手にマイネルモーディグ。2馬身差でシンコウマーチャン。3馬身差でサバンナロード。4馬身差の最後尾にグレイトパールという隊列。スローペースでした。
 向正面でデルマルーヴルが単独の3番手に。追い上げが来る前に2番手のバーデンヴァイラーがディバッセに並び掛けていくと一時的に2番手と3番手の差が開きました。デルマルーヴルの後ろまで追い上げてきたのがカフジオクタゴン。3コーナーを回ると外からバーデンヴァイラーがディバッセの前に出ました。その外から追ってきたのがデルマルーヴルで,内から追い上げてきたのがカフジオクタゴン。単独の先頭で直線に入ったバーデンヴァイラーはそのまま後続を寄せ付けずに快勝。内を回った分,カフジオクタゴンが一旦は2番手に上がっていましたが,外からまたデルマルーヴルが差し返して1馬身差で2着。カフジオクタゴンがクビ差で3着。
 優勝したバーデンヴァイラーマーキュリーカップ以来の勝利で重賞2勝目。このレースはあまりレベルは高くなく,重賞を勝っているこの馬は実力上位。マーキュリーカップを勝って以降の2戦は大敗していますし,ここももう能力の限界がみえているといっていいデルマルーヴルが2着ですから,上位レベルとはまだ差があるとみていいでしょう。父はドゥラメンテ。祖母がキョウエイマーチで9代母がシュリリー。ふたつ上の半姉が2021年のNARグランプリで特別表彰馬に選出されたマルシュロレーヌ。Badenweilerはドイツの行進曲の名称。
 騎乗した福永祐一騎手と管理している斉藤崇史調教師は佐賀記念初勝利。

 なぜこのような人びとをスピノザがいう意味での真の無知者であると断定することができるのかといえば,それは第五部定理四二備考でスピノザがいっている無知者の行動に,こうした人びとが該当するからです。スピノザがいっているように,確かにこのような人びとは,外部の原因causaから様ざまな仕方で揺り動かされているだけであって,その働きを受けるpatiことをやめると同時に,存在することもやめるでしょう。なお,ここで存在することをやめるということがどのような意味であるのかということはすでに詳しく考察しましたので,ここではそれを繰り返すことはしません。
                                    
 たとえばインターネット上のいわゆる炎上の尻馬に乗る人は,格好の標的を見つけるや否やその炎上の対象となっている者を叩きます。それはその人の現実的本性actualis essentia,いい換えれば第三部諸感情の定義一の,受動的な欲望cupiditasによるものであると説明することができます。しかしその欲望がいかに強力なものであっても,第四部定理七の様式でより強力な感情affectuによって排除されるときが来ます。あるいは感情としてでなく単に観念ideaとして説明するなら,第二部定理一七の様式によってその炎上の観念は別の観念によって排除されるときが来ます。分かりやすくいえば,別の標的を発見した場合はこうしたことが妥当するのであって,そのとき,Aを叩いていた人はAを叩くことをやめ,新たな標的であるBを叩くことに夢中になるのです。それはAの炎上の観念がBの炎上の観念によって排除されたからだともいえますし,Aを叩こうとする欲望がBを叩こうとする欲望によって排除されたからだともいえるでしょう。そしてこれと同じことがBの場合も生じるのであり,その炎上の観念も叩こうとする欲望も,別の標的たとえばCの発見によって排除されることになるでしょう。
 ですからこの人は,Aを叩いている無知者としては存在することをやめるのです。そしてそれは真の意味でやめるということであって,標的がBになったら,その人はもうAのことを省みることすらしなくなるでしょう。ですからこのような行動というのは,スピノザがいう意味で無知者の行動であると断定することができるのです。
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