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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

実在の場所&悲しみの一種

2022-04-13 19:38:04 | 歌・小説
 『三四郎』における三四郎と美禰子との出会いの場面が,読者によって異なった解釈が可能になっている最大の理由というのは,これは小説なのだけけれども,架空の場所で繰り広げられる物語であるわけではなく,場所は実在するという点にあります。この出会いの場面でいうなら,理科大学とその研究室,森,池と池に架かる石橋,その石橋へ続く坂と坂の上の岡といった場所は,すべて実在するのです。このうち池は三四郎池という名称で,東京大学の構内に現存しています。
                                        
 このことから,この実在する場所を知っているかいないかによって,読解が変わるのです。少なくとも変化し得るのです。なぜなら,漱石が記述している場所は,そのときに実際にあった場所を記述しているわけですから,もしもその場所を知っているのなら,記述されていないことも理解することができるからです。たとえば『三四郎』では,三四郎は池の傍にしゃがみこんだとされていますが,この池は石橋が架かっているくらいですからそれなりの大きさがあり,しかしその大きな池のどのあたりに三四郎が座ったのかということは,その場所を実際に知っているのなら理解することができますが,知らなければ何も分かりません。そもそも池がどの程度の大きさであるのかということも分からないでしょう。
 さらに,池の大きさがどの程度であり,三四郎がその池の周囲のどのあたりに座っているのかということが分かるなら,そこにいた三四郎から何が見えたのかということも理解できます。実際に小説の中で,三四郎が目撃したものが何であるのかということのすべてが記述されるということはあり得ませんが,その場所を知っている読者には記述されていないことも理解することができるのです。そしてただそれだけではありません。池のどのあたりに三四郎が座っているのかということが分かっているなら,三四郎から何が見えていたのかということが分かるだけではなく,何が見えなかったのかということも分かります。読解の上で重要なのはむしろそちらの点です。

 第三部諸感情の定義一七から分かるように,『エチカ』でいわれている良心の呵責conscientiae morsusは,基本感情affectus primariiとしては悲しみtristitiaに属します。スピノザは悲しみという感情は基本的に否定するnegareのです。なぜスピノザが悲しみを原則的に否定するのかということは,ふたつの観点から説明することができます。そしてこれは悲しみ一般に妥当するのですから,当然ながらその一種であるとされる良心の呵責にも妥当するのです。
 第三部諸感情の定義三から分かるように,悲しみというのはより大なる完全性perfectioからより小なる完全性への移行transitioです。第二部定義六から,この完全性というのが実在性realitas,つまりそのものの存在する力potentia,いい換えれば力という観点からみられるそのものの本性essentiaを意味することが分かります。そして第三部定理七から,個物res singularisが自己の有に固執するperseverareというコナトゥスconatusは,その個物の現実的本性actualis essentiaなのです。したがって,現実的に存在する個物が何らかの悲しみを感じるということは,原則的にはその個物の現実的本性に反することがその個物のうちに生じているということを意味します。このことは第三部定理二八からも理解できます。現実的に存在する人間が悲しみを感じるということは,その人間が忌避しているあることがその人間に生じているという意味になるからです。なので悲しみはスピノザの哲学では原則的には,いい換えればそれ自体では,否定される感情なのです。よって良心の呵責は原則的に否定される感情として『エチカ』では定義されているということになります。
 なお,このことは同時に,悲しみの反対感情である喜びlaetitiaは,スピノザの哲学では原則的に肯定されるということも,悲しみが否定されるということの説明から明らかになります。よって良心の呵責の反対感情である歓喜gaudiumは,悲しみと喜びが反対感情であることからも明白なように,第三部諸感情の定義一六にあるように喜びの一種となりますが,こちらは原則的は肯定されます。
 もうひとつの理由は,第三部定理五九から分かるように,僕たちが悲しみを感じるということは,僕たちが働きを受けているということと関係します。スピノザは働くagereことを肯定し,働きを受けるpatiことは否定するのです。
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