名古屋から1頭,笠松から1頭が遠征してきた第60回しらさぎ賞。張田昂騎手は新型コロナウイルスの抗原検査で陽性反応が出たようで,アールロッソは町田騎手に変更。
アイカプチーノは少しばかり躓いて1馬身の不利。内からアルコレーヌ,ダノンレジーナ,ブロンディーヴァの3頭が出ていき,枠なりに3番手までを占めました。4番手はミラバーグマンとルイドフィーネ。6番手にアールロッソ。7番手にウワサノシブコでここまでは一群。7馬身差でトーケンマッキー。9番手にグロリオーソとアイカプチーノ。11番手にシーアフェアリー。6馬身差の最後尾にナラという隊列。最初の600mは35秒6のハイペース。
3コーナーを回るとダノンレジーナがアルコレーヌに並び掛けていき,直線の入口ではこの2頭が並んで先頭。アールロッソが3番手まで追い上げてきて,直線はこの3頭の争い。前の2頭の競り合いからはダノンレジーナが前に出ましたが,その外からアールロッソが差し切って優勝。ダノンレジーナが1馬身差で2着。逃げ粘ったアルコレーヌが1馬身差で3着。
優勝したアールロッソは南関東重賞初制覇。デビューはJRAで2勝。昨年10月のレースを最後に南関東に転入。転入初戦は6着でしたが,その後は連勝。このレースは能力最上位のダノンレジーナを目標にレースができた上に,斤量差が3キロあったことによる勝利という見方ができます。現実にダノンレジーナを破ったことは評価しなければなりませんが,能力で上回っているとはいえないのではないでしょうか。転入初戦は1000mで負けていますので,純粋なスプリンターというのとは違うように思えます。父はサウスヴィグラス。フロリースカップ系シラオキの分枝。
騎乗した川崎の町田直希騎手は一昨年のしらさぎ賞以来となる南関東重賞13勝目。2年ぶりのしらさぎ賞2勝目。管理している船橋の山下貴之調教師は南関東重賞4勝目。しらさぎ賞は初勝利。
もし良心の呵責conscientiae morsusを感じることによって,他人に害悪を加えることをやめるのであれば,その限りにおいてその両人は対立的であることはないでしょう。少なくとも実際に危害を加えるという場合と,害悪を与えることをしないという場合を比較すれば,後者に対して前者が対立的であることは明白ですから,この限りにおいて良心の呵責は人と人とが対立することを妨げる感情affectusである,あるいは同じことですが,人を敬虔pietasにさせる感情であるということになります。ですからこの限りにおいて,良心の呵責という感情は,スピノザによって推奨される感情であることになる筈です。
もちろんこれらのことは,他人を愛するということが,必ずしも人と人とを対立的であることを妨げる感情であるわけではないという場合と同様に,良心の呵責は必然的にnecessario人を敬虔にさせる感情であるということを意味するのではありません。しかし愛amor,受動感情としての愛が,人を敬虔にさせるという場合はあるのであって,その限りにおいて愛は推奨されるというのと同じ意味で推奨されるのです。場合によっては人は,他人に対して危害を加えないことに良心の呵責を感じるという場合もあり得るのであって,その場合には良心の呵責は他人に対して害悪を与えることに向かわせる感情となるでしょう。その場合の良心の呵責が,スピノザによって推奨されるということはありません。むしろこの場合には,高慢superbiaや憎しみodiumといった感情が,スピノザによって全面的に否定されるのと同じ理由によって否定されることになります。ただ,高慢や憎しみが,必然的に人と人とを対立させる感情であるのに対していえば,良心の呵責は人と人とを対立させる場合もあるけれども,逆に人と人とが対立することを避けさせる場合もあるので,全面的に否定されることはなく,むしろその限りでは推奨されるということです。

『スピノザ〈触発の思考〉』では,ある種の受動感情が人と人とが対立することを避けさせること,より積極的にいうならば,ある種の受動感情が人と人とが融和するように仕向けるようなことが生じるのかということが,受動感情の積極性とでもいうべき観点から説明されています。
アイカプチーノは少しばかり躓いて1馬身の不利。内からアルコレーヌ,ダノンレジーナ,ブロンディーヴァの3頭が出ていき,枠なりに3番手までを占めました。4番手はミラバーグマンとルイドフィーネ。6番手にアールロッソ。7番手にウワサノシブコでここまでは一群。7馬身差でトーケンマッキー。9番手にグロリオーソとアイカプチーノ。11番手にシーアフェアリー。6馬身差の最後尾にナラという隊列。最初の600mは35秒6のハイペース。
3コーナーを回るとダノンレジーナがアルコレーヌに並び掛けていき,直線の入口ではこの2頭が並んで先頭。アールロッソが3番手まで追い上げてきて,直線はこの3頭の争い。前の2頭の競り合いからはダノンレジーナが前に出ましたが,その外からアールロッソが差し切って優勝。ダノンレジーナが1馬身差で2着。逃げ粘ったアルコレーヌが1馬身差で3着。
優勝したアールロッソは南関東重賞初制覇。デビューはJRAで2勝。昨年10月のレースを最後に南関東に転入。転入初戦は6着でしたが,その後は連勝。このレースは能力最上位のダノンレジーナを目標にレースができた上に,斤量差が3キロあったことによる勝利という見方ができます。現実にダノンレジーナを破ったことは評価しなければなりませんが,能力で上回っているとはいえないのではないでしょうか。転入初戦は1000mで負けていますので,純粋なスプリンターというのとは違うように思えます。父はサウスヴィグラス。フロリースカップ系シラオキの分枝。
騎乗した川崎の町田直希騎手は一昨年のしらさぎ賞以来となる南関東重賞13勝目。2年ぶりのしらさぎ賞2勝目。管理している船橋の山下貴之調教師は南関東重賞4勝目。しらさぎ賞は初勝利。
もし良心の呵責conscientiae morsusを感じることによって,他人に害悪を加えることをやめるのであれば,その限りにおいてその両人は対立的であることはないでしょう。少なくとも実際に危害を加えるという場合と,害悪を与えることをしないという場合を比較すれば,後者に対して前者が対立的であることは明白ですから,この限りにおいて良心の呵責は人と人とが対立することを妨げる感情affectusである,あるいは同じことですが,人を敬虔pietasにさせる感情であるということになります。ですからこの限りにおいて,良心の呵責という感情は,スピノザによって推奨される感情であることになる筈です。
もちろんこれらのことは,他人を愛するということが,必ずしも人と人とを対立的であることを妨げる感情であるわけではないという場合と同様に,良心の呵責は必然的にnecessario人を敬虔にさせる感情であるということを意味するのではありません。しかし愛amor,受動感情としての愛が,人を敬虔にさせるという場合はあるのであって,その限りにおいて愛は推奨されるというのと同じ意味で推奨されるのです。場合によっては人は,他人に対して危害を加えないことに良心の呵責を感じるという場合もあり得るのであって,その場合には良心の呵責は他人に対して害悪を与えることに向かわせる感情となるでしょう。その場合の良心の呵責が,スピノザによって推奨されるということはありません。むしろこの場合には,高慢superbiaや憎しみodiumといった感情が,スピノザによって全面的に否定されるのと同じ理由によって否定されることになります。ただ,高慢や憎しみが,必然的に人と人とを対立させる感情であるのに対していえば,良心の呵責は人と人とを対立させる場合もあるけれども,逆に人と人とが対立することを避けさせる場合もあるので,全面的に否定されることはなく,むしろその限りでは推奨されるということです。

『スピノザ〈触発の思考〉』では,ある種の受動感情が人と人とが対立することを避けさせること,より積極的にいうならば,ある種の受動感情が人と人とが融和するように仕向けるようなことが生じるのかということが,受動感情の積極性とでもいうべき観点から説明されています。