スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

スポンサーの増加&良心の起源

2022-04-02 19:00:33 | 将棋トピック
 佐藤が新会長となった後の体制で,大きな変化があったことのひとつが女流棋戦の増設ですが,もう一点,スポンサーの増加ということも挙げられると僕は考えています。
 代表的なのは,叡王戦の前主催者が主催を止めた後で,不二家が主催者として棋戦が継続したことでしょう。棋戦の主催というのは,新聞社をはじめとするメディア関係が務めてきました。不二家のような菓子の製造販売をする企業が棋戦を主催するというのは異例のことであり,これは将棋連盟の歴史にとって画期的な出来事であったといっていいでしょう。また,これは準公式戦ではありましたが,サントリーが棋戦を主催するということもありました。
 主催だけでなく,協賛者も増えました。以前のタイトル戦は,〇〇戦という名称でしたが,現在は××杯〇〇戦というのが珍しくなくなりました。また,××杯という名称は与えられていなくても,棋戦に協賛する企業が明らかに増加しているのは明白だといえるでしょう。さらに最近,名古屋対局場の新設が発表されましたが,これは会場をトヨタ自動車が無償で貸し出すとのことですから,棋戦の協賛社とはいえませんが,将棋連盟のスポンサーになったといういい方で間違いないと思います。
 もちろんこうしたことは,現在の将棋連盟の体制の力だけで可能になったことだとはいえません。炎の七番勝負でスター候補生であるということを内外に知らしめ,そして実際にスター街道を駆け上がっていった,あるいは今も駆け上がりつつある藤井聡太の影響なしにはこうしたことは起こり得なかったといえます。それは藤井が将棋界のスターであるということだけでなく,たとえば藤井が対局前にお茶を飲まなければ,あるいは対局中にチョコレートを食べなければ,今のような形でのスポンサーの増加はなかったかもしれないからです。ただ,こうしたスターが出現したという追い風を,追い風としてうまく利用することができるのかどうかということは,会社でいえば経営者の手腕によるところなのであり,将棋連盟でいえば会長を代表とする理事会の手腕ではあるでしょう。
 佐藤は叡王戦の新たな主催者を探すときに,まず不二家に話をもっていったと言っています。不二家を主催として棋戦を行うという発想ができただけでも,現在の体制は有能であると僕は思います。

 原罪と良心が関連するというニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheの考え方は,簡単に示すと次のようなものになります。
                                       
 キリスト教に原罪という概念notioがあるということは有名です。これについてはここでは詳しく説明しません。この原罪というのは,現実的に存在する個々の人間にとって,贖うことができないような罪として与えられているものです。このために現実的に存在する人間は,贖うことができない罪を負っているという疚しさを感じることになります。この疚しさという思惟作用,あるいはこの疚しさを感じる精神mensの主体subjectumが,良心といわれるようになるのです。これは知の考古学の一種なのであって,良心という概念を考古学的に考察すれば,このような結論になるとニーチェはいっているのです。僕はこの指摘には正当性があると考えますが,そのことの是非はここでは探求しません。これを正しいと考えるか誤りであると考えるかは別に,ニーチェはそのように指摘しているということだけ理解しておいてください。
 このことは,たとえば良心の自由libertasといわれるときの良心よりは,幅が狭いかもしれません。ただ,良心というのは,疚しさを感じるときとか,痛み,精神的な痛みを感じるとき,あるいは呵責とか苛まれるような思いを感じるときに多くいわれることではあります。ですから原罪と関係しているのかどうかは別としても,疚しさという思惟作用,あるいは疚しさを感じるような思惟の主体と良心という概念を関連付けることは,理があることだということは分かるでしょう。
 同時にニーチェはこの概念を,ある負債として解しています。すなわち,現実的に存在する個々の人間にとって贖うことができない罪というのを,支払いが不可能な負債として理解するのです。そしてそれが良心の起源であるとニーチェはいっているのですから,そうした負債がない段階では,現実的に存在する人間は良心という概念を持たないということになります。その状態,人間が良心を持たない状態をニーチェは無垢な状態といいます。つまり負債,これは精神的な負債ですから,負い目という語で表現する方が的確かもしれませんが,この負い目がない状態を無垢な状態というのです。
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