スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

印象的な将棋⑪-2&コンスタンティン

2015-07-19 19:05:07 | ポカと妙手etc
 ⑪-1の第2図。先手は手得になったので,▲7七銀とか▲3八金といった手も考えられると思います。ただ,通常の相掛りで後手が2枚の歩を持って駒組になることはありません。それが不満とみれば先手は後手が2筋に歩を打たないのを咎めにいくことになります。野月七段は棋士の中でも屈指の攻め将棋ですから,おそらく後者を選択するだろうと思ってテレビを視ていましたが,やはり▲3五歩△同歩▲4六銀と指しました。
                         
 部分的にはよくありますが,後手の構えが変わっていますから,実戦例があったかどうかは分かりません。
 後手は2筋に歩を打たなかったのですから,ここでも△2三銀。▲3五銀に△3四歩と打ち,▲2四歩のときに△2五歩と打ち返しました。
 これは取ると△1四銀と逃げた手が飛車取りになるので▲2八飛。△3五歩▲2三歩成△同金と銀の交換に進みました。
                         
 駒の損得はありません。ただ後手の陣形はまとめるのに苦労しそうに思えました。

 レーウェンフックは自らの研究成果,すなわち顕微鏡による観察記録をイギリス王立協会に書き送っていました。彼を王立協会に紹介したのはホイヘンスの父であるコンスタンティンであったそうです。単にレーウェンフックの研究を知っていただけで紹介するとは僕には思えません。なのでコンスタンティンとレーウェンフックは少なくとも1度,僕の想像では何度か会ったことがあるのだと思います。
 スピノザが「」のディオニュソスの役を演じたのは,旅の途中で船が故障したときの余興でした。この旅は,病から恢復したファン・ローンに気晴らしをさせる目的でコンスタンティンが企画したものでした。スピノザが参加したのはローンの知り合いであったのが最大の理由であったかもしれません。しかしもともとこの旅は何日間を掛ける予定でしたから,もしスピノザとコンスタンティンがさほど親しくないのであれば,ローンもスピノザを誘うことはなかったでしょう。ローンによればこのときの一行は全部で6人。つまりスピノザとコンスタンティンというのは,その程度の人数で共に何泊かの船旅に出掛ける関係にあったということです。これは親しい関係にあったと理解して間違いないと僕には思えます。
 したがって,コンスタンティンというのは,スピノザともレーウェンフックとも,少なくとも各々の人となりを理解できる程度の関係は築いていたのだと僕は考えます。だとしたらコンスタンティンが,自身の親しいこのふたりの人物を引き会わせてみようと思ったとしても不思議ではないし,実際にそれを実行に移したとしても,それは驚くべきことではないように思えるのです。あるいはコンスタンティンがそこまでは考えなかったとしても,スピノザと会っているときにレーウェンフックのことを話題にするとか,逆にレーウェンフックと会っているときにスピノザのことを話題とするという程度のことはあり得るでしょう。
 そもそもスピノザもオルデンブルクを介することによってイギリス王立協会とは関係があったのです。もしコンスタンティンがそれを知っていれば、なおのことそのようにしたのではないかと僕には思えます。
コメント
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