スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

石川敬士&球の定義

2016-08-14 19:10:03 | NOAH
 僕にとってマイティ・井上のパートナーは阿修羅・原です。ですが井上は石川敬士とのチームでも何度かアジアタッグの王者に就いています。
 井上が原と組んでいた頃,石川は佐藤昭雄と組んでいました。ですから僕にとって石川のパートナーといえば佐藤になります。実際にこのチームでもアジアタッグの王者になっています。佐藤は後にアメリカに拠点を移し,全日本で試合をすることはなくなりました。原は天龍源一郎の正パートナーに抜擢された時点で天龍同盟以外の選手と組むことはなくなりました。井上と石川が組むことになったのは自然な流れでしたが,僕にとっては単に残った組合せという印象なので,正規チームという感覚がないのです。
 石川は最初から最後まで中堅クラスのレスラーであったと僕は思っています。アジアタッグ以外のタイトルは獲得していませんから,そう間違った判断ではないと思います。ただ,選手として輝いた時期はありました。それはジャパンプロレスとの対抗戦時代です。石川はこの時期はジャパンプロレスの上のクラス,長州力谷津嘉章といった選手と当たる機会が多く,必然的に後ろの方で試合をすることが多くなりましたし,その試合がテレビ中継で放映されるということも多くなりました。何人かいた中で石川がそういう役割を与えられたことは何らかの理由があったと思われるのですが,それが何であったのかは僕にはよく分かりません。選手生活の中でそれほど長い時期ではありませんが,その前後より明らかによい役割を与えられていたと思います。
 後に輪島が全日本に入団し,引退したときに石川も一緒に引退しました。何らかの責任を負わねばなかったからかもしれませんし,石川自身が輪島に対して責任を感じたからかもしれません。天龍がSWSに移籍した後で復帰し,SWSが崩壊した後,天龍がWARを創ったときにも参加しました。天龍は全日本を退団した時点で引退していた石川には声を掛けたと言っています。最後はリング上では敵対していましたが,個人的には深い繋がりがあったのでしょう。

 一端が固定しもう一端が運動する任意の直線によって描かれる図形という円の定義が,知性による肯定によって円の定義として成立するということは,他面からいえば,円は必ずしもその仕方で現実的に存在するわけではないということです。したがって一般的にいえば,被造物の定義は,その被造物が現実的に存在する様式を知性のうちで再現しなくても構わないとスピノザは考えていることになります。要するにこの円あるいはあの円を十全に認識するための内容を含まなければならないのではなく,どの円にも共通する本性を知性が把握できればよいということであり,こうしたことがすべての被造物の定義に妥当すると解するべきだと僕は考えます。
                                     
 こうしたことは上野修の『スピノザの世界』の中で詳しく解説されています。そして上野がその部分で触れているように,このことはすでに『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』において指摘されているのです。
 『知性改善論』の(七二)と(七三)では,球の十全な観念の形成について言及されています。このときスピノザは半円が直線部分を軸に一回転して球が生じると概念するconcipereなら,その球の概念は真であるといっています。つまりこれは球の完全な定義です。しかし半円の回転については,任意の原因を虚構したものだといっています。つまり半円の回転という観念は,球の観念と因果関係で連結されない限りは誤った観念であり,しかしそれが因果関係で連結される場合には真の観念idea veraとなるのです。いい換えれば,半円の回転という観念は,条件①で示されている球の最近原因causa proximaという観点からは真であっても,それを離れて単独である知性のうちにあるとみられるなら,真ではなく偽,つまり誤った観念です。
 なぜそれが単独で認識される場合には偽であるかといえば,一回転するという半円の運動は,半円の本性でも特質でもないからです。いい換えればこうした運動を単に半円に基づいて知性が肯定するなら,それは偽であるのです。それが球の発生を肯定する思惟作用と結び付くことで真になるのです。このことは第二部定理一一系と関係するのですが,今は定義論の方を先に進めていくことにします。
コメント
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