スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ふるさとカップ&同一

2016-08-02 19:06:00 | 競輪
 被災地支援競輪として実施された弥彦記念の決勝。並びは浅井‐北野‐浜口の中部,川村‐沢田の近畿,松浦に渡辺で小野と諸橋は単騎。
 浅井と渡辺でスタートの取り合い。内の浅井が前に出て前受け。4番手に松浦,6番手に川村,8番手に諸橋,最後尾に小野で周回。残り2周のホームに入るあたりで後方の川村と中団の松浦がほぼ同時に上昇開始。まず浅井を叩いたのは松浦。バックに入り打鐘前に川村が前に。しかし打鐘後のコーナーでは浅井が早くも巻き返していき,ホームで川村を叩きかまし先行。川村が4番手,6番手に諸橋,7番手が小野,8番手に松浦の一列棒状でしたが,バックでは3番手の浜口と4番手の川村の間が開きました。こうなると中部勢の争い。早めの先行になったのでどうかと思われましたが浅井が逃げ切って優勝。マークの北野が1車輪差の2着で中部のワンツー。コーナーで内目を回り直線でバンクの中ほどに出てきた諸橋が半車身差で3着。
 優勝した三重の浅井康太選手は前回出走のサマーナイトフェスティバルに続いての優勝。さらに前々回出走の福井記念も優勝しているのでこれで3開催連続の優勝となる記念競輪20勝目。弥彦記念は初優勝になりますが,2011年の寛仁親王牌は当地で優勝しています。このレースはほかの有力選手が敗退したため,力量的には負けられないくらいの組合せに。前を取って引くのは得意の組立ですが,隊列が短くなったのが打鐘が入った直後だったため,やや早めに駆けていくことになりました。その瞬間を見逃さなかったのもさすがでしたし,そこから駆けていって逃げ切ったのですから,とてもよい内容を伴っての優勝といえるでしょう。中部ライン以外の選手にとっては北野の位置を狙うのが優勝への近道だったと思いますが,浅井にそういう展開にさせてもらえなかった面もあったと思います。川村にとっても浅井があの段階から駆けてくるのには不意を突かれたかもしれません。

 スピノザはおそらく第二部定義六実在性realitasと完全性perfectioは同一であるというのと同じ意味合いをもって,第二部定理四九系では意志voluntasと知性intellectusは同一であるといっているのです。ですがこれが同じ意味合いをもつということを,僕たちは経験的には理解しにくいのではないかと思います。なぜなら僕たちは,個々の観念とその観念を肯定ないしは否定する個々の意志作用volitioについては,それを意識するという場合には別個に意識するからです。このために僕たちは個々の観念と個々の意志作用を別個の思惟の様態であるかのように認識しがちです。なのでスピノザが意志と知性の関係について述べている事柄は,僕たちがある思惟の様態を観念とみるか意志作用とみるかは,観点の相違に帰着すると解しておく方が,スピノザがいっていることを間違えずに理解しやすいだろうと僕は思っています。ですが実在性と完全性の場合にはこのような意味において観点の相違に帰着させることはできません。たとえば僕たちがある事物の実在性を認識したということが,その事物の完全性を認識したということなのだというように解さなければならないからです。よってスピノザは同じ意味合いでいっている筈ですが,むしろ同じ意味合いに解さない方が,誤りに陥りにくいだろうと僕は思います。このこともまた,知性と意志の関係を第一部定理八備考二と関連させた定義論の範疇で僕が扱わないことの理由です。というよりこちらの方が大きな理由だといっておきましょう。
                                     
 しかし,スピノザがこのことを導くために用いている例証の方は,知性と意志の関係よりも実在性と完全性の関係の方に近かろうと僕は思います。三角形,スピノザはそういういい方はしませんが,僕は正確を期すために平面上の三角形といいますが,平面上の三角形というのと,内角の和が二直角である平面上の図形というのは,同一の図形のことなのであって,この相違を観点の相違に帰着させるのはむしろ難しいと思えるからです。
 なお,スピノザの例証は思惟の様態としての三角形ですが,ここでは物体としての三角形と考えても構いません。三角形の観念と三角形というのは,この場合には同一個体だからです。
コメント
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