漱石のキリスト教観が,どのように漱石のドストエフスキー評に影響を与えるのかを考えてみましょう。
ノット夫人に対する態度から窺えるように,漱石は相手がキリスト教徒だからといって,直ちに否定的な評価を下すことはありません。ですからドストエフスキーがキリスト教を信仰していようといまいと,それは評価には影響を与えないものと思われます。
一方,エッジヒル夫人に対する日記の記述および実際に会ったときの態度や,船内での論争から考えて,漱石は自身に伝道するような行為には不快感を抱いたものと思われます。なのでドストエフスキーの小説がロシアのキリスト教との関係を省いては考えられないという場合に,そこに伝道の匂いを感じる限り,漱石はその小説を否定的に評価するだろうと推測できます。
少なくとも,ドストエフスキーは小説を書くことによってキリスト教を伝道しようという意図はなかったと僕は考えます。あるいは,ドストエフスキーの小説のテクストが,伝道に効果的な働きを有するというようには考えません。漱石がテクストをどう受けとめるかは僕には確定できませんから,断定はできませんが,このような意味において漱石がドストエフスキーを否定するということはないだろうと思います。
ただし,小説の個々の登場人物のすべてについて,それが妥当するとはいえません。たとえば『罪と罰』のソーニャは,宗教的文脈だけで解するなら,明らかにラスコーリニコフに対してキリスト教の教えを説くという立場に該当します。ラスコーリニコフの倫理観の方が特異なのであって,通常の文脈だとそうなると思うのです。この場合に漱石が,登場人物としてのソーニャに不快感を有するということはあり得ます。さらにキリスト教に限らず,漱石と宗教の一般的な考え方からして,個人の精神的恢復が宗教によって達成されるというテクスト自体を漱石が否定的に評価する可能性も残るでしょう。
このようなわけで,確かにドストエフスキーの小説がキリスト教と深い関係を有するということ自体が,ドストエフスキーに対する二律背反の評価の要因になり得ると僕は考えます。
『スピノザ往復書簡集』十八の冒頭で,自分は純粋な真理への愛に動かされているという自己紹介をブレイエンベルフはしています。これは嘘です。返書を受けた書簡二十の冒頭では,十全な観念と聖書の言説が対立する場合には,聖書に大きな権威を認めるといっているからです。
ただし,書簡十八で,ブレイエンベルフは意図的に虚偽を記述したのではないと僕は思っています。むしろブレイエンベルフは,自分が真理への愛に動かされていると信じ込んでいたのであって,もし自分が発見した真理が聖書の言説と異なっていた場合に,聖書に大なる権威を付与すべきであることは,暗黙の前提となっていたのだと思うからです。したがって,ブレイエンベルフが最初の書簡を記述したとき,何か誤りがあったというなら,自己認識が誤っていたのではなく,スピノザに対して誤解があったというべきだと思います。すなわちブレイエンベルフは,スピノザも自分と同じように真理を愛する者,真理と聖書が対立的である場合には,聖書に権威を置く人物だと思い込んでいたのだというのが僕の見方です。
スピノザは最初の書簡のブレイエンベルフの自己紹介を文字通りに受け取りました。つまりブレイエンベルフは何よりも十全な観念に重きを置く人物であると理解したのです。ですから返信である書簡十九は,そうした前提から書かれています。
僕にブレイエンベルフがただ愚鈍な人物でなかったと思えるのは,この返信を受けて,すぐに自分は十全な観念より聖書の権威に重きを置くのだと宣言しているのも理由のひとつです。書簡十九を読んで,ブレイエンベルフは,どうもスピノザは自分とは違っていて,聖書の言説に不合理性を認めれば,観念の十全性を上位に選択する考えの持ち主だと気付くことができるだけの知性をもち合わせていたと思えるのです。
もっとも,この解釈はブレイエンベルフに好意的であるともいえます。書簡二十ほど退屈な手紙は僕にはありませんでした。『神学・政治論』は,哲学は真理に貢献し,聖書は服従を教えるといっています。ブレイエンベルフのような人のために,聖書は服従を教えているといえるでしょう。
ノット夫人に対する態度から窺えるように,漱石は相手がキリスト教徒だからといって,直ちに否定的な評価を下すことはありません。ですからドストエフスキーがキリスト教を信仰していようといまいと,それは評価には影響を与えないものと思われます。
一方,エッジヒル夫人に対する日記の記述および実際に会ったときの態度や,船内での論争から考えて,漱石は自身に伝道するような行為には不快感を抱いたものと思われます。なのでドストエフスキーの小説がロシアのキリスト教との関係を省いては考えられないという場合に,そこに伝道の匂いを感じる限り,漱石はその小説を否定的に評価するだろうと推測できます。
少なくとも,ドストエフスキーは小説を書くことによってキリスト教を伝道しようという意図はなかったと僕は考えます。あるいは,ドストエフスキーの小説のテクストが,伝道に効果的な働きを有するというようには考えません。漱石がテクストをどう受けとめるかは僕には確定できませんから,断定はできませんが,このような意味において漱石がドストエフスキーを否定するということはないだろうと思います。
ただし,小説の個々の登場人物のすべてについて,それが妥当するとはいえません。たとえば『罪と罰』のソーニャは,宗教的文脈だけで解するなら,明らかにラスコーリニコフに対してキリスト教の教えを説くという立場に該当します。ラスコーリニコフの倫理観の方が特異なのであって,通常の文脈だとそうなると思うのです。この場合に漱石が,登場人物としてのソーニャに不快感を有するということはあり得ます。さらにキリスト教に限らず,漱石と宗教の一般的な考え方からして,個人の精神的恢復が宗教によって達成されるというテクスト自体を漱石が否定的に評価する可能性も残るでしょう。
このようなわけで,確かにドストエフスキーの小説がキリスト教と深い関係を有するということ自体が,ドストエフスキーに対する二律背反の評価の要因になり得ると僕は考えます。
『スピノザ往復書簡集』十八の冒頭で,自分は純粋な真理への愛に動かされているという自己紹介をブレイエンベルフはしています。これは嘘です。返書を受けた書簡二十の冒頭では,十全な観念と聖書の言説が対立する場合には,聖書に大きな権威を認めるといっているからです。
ただし,書簡十八で,ブレイエンベルフは意図的に虚偽を記述したのではないと僕は思っています。むしろブレイエンベルフは,自分が真理への愛に動かされていると信じ込んでいたのであって,もし自分が発見した真理が聖書の言説と異なっていた場合に,聖書に大なる権威を付与すべきであることは,暗黙の前提となっていたのだと思うからです。したがって,ブレイエンベルフが最初の書簡を記述したとき,何か誤りがあったというなら,自己認識が誤っていたのではなく,スピノザに対して誤解があったというべきだと思います。すなわちブレイエンベルフは,スピノザも自分と同じように真理を愛する者,真理と聖書が対立的である場合には,聖書に権威を置く人物だと思い込んでいたのだというのが僕の見方です。
スピノザは最初の書簡のブレイエンベルフの自己紹介を文字通りに受け取りました。つまりブレイエンベルフは何よりも十全な観念に重きを置く人物であると理解したのです。ですから返信である書簡十九は,そうした前提から書かれています。
僕にブレイエンベルフがただ愚鈍な人物でなかったと思えるのは,この返信を受けて,すぐに自分は十全な観念より聖書の権威に重きを置くのだと宣言しているのも理由のひとつです。書簡十九を読んで,ブレイエンベルフは,どうもスピノザは自分とは違っていて,聖書の言説に不合理性を認めれば,観念の十全性を上位に選択する考えの持ち主だと気付くことができるだけの知性をもち合わせていたと思えるのです。
もっとも,この解釈はブレイエンベルフに好意的であるともいえます。書簡二十ほど退屈な手紙は僕にはありませんでした。『神学・政治論』は,哲学は真理に貢献し,聖書は服従を教えるといっています。ブレイエンベルフのような人のために,聖書は服従を教えているといえるでしょう。