2019年5月8日(水)に山梨県都留市の勝山城跡に行って来ました、当初は武田家と深い繋がりのあった、小山田家の詰めの城です、現在の都留市役所隣の小学校が谷村城跡(居館)で後ろの川向う(桂川)に勝山城跡があります。
谷村城跡は碑があるだけで・・・・、桂川に内橋がかかり勝山城へ行けたみたいですね、私は富士急行谷村町駅から行きます。
桂川に架かる吊り橋です。
吊り橋を渡り、道なりに、此処が右側に案内が在りますが直進です・・・直進突き当りで右折です。
直進すると又突き当り・・・トイレ、左側が此処ですネ、突き当り横に勝山城跡の案内板があり、その横の山道がお城の登り口です、お城はこの後の山です。
少し掠れていますが、お城の縄張り図です、左側が北側です。
少し上ると内堀跡の碑・・・木々が多く少し入りましたが・・・・、内堀前の山道を此れから上ります。
山を回り込みながら登りますね。
しばらく進むと見晴らし台跡に出ます。
此処が見晴らし台です、櫓でもあったのですかネ、・・・下は都留市の一部ですね。
振り返ると、右側から登って来ました、此れから真ん中の山道に・・・、しばらく上りますね。
急坂を折り返し上ります、漸く城壁らしき壁が見えてきました。
登りきり下を見ると、・・・敵は眼下ですね。
登り切りましたね、正面が三の丸の壁、回り込むようね本丸方面へ。
此処が三の丸跡です。
三の丸脇を進みますね、正面に壁が右側へ進みます、左側三の丸上が二の丸・本丸となりますね。
右側に上がると帯郭が本丸を囲むように有ります。
帯郭を回り込むと向こう側に見えるのが硝煙蔵方向ですね。
帯郭から本丸へ・・・途中二の丸が。
本丸への幟に石垣が・・・これは小山田家の後浅野家の築城したものと思われますね、小山田家ー豊臣秀吉の一族浅野長政の家老が築城し徳川家康の抑えとしたわけです、その後は徳川へと変わりますね。
本丸です、城山571mの山頂です、奥に東照宮が有ります、徳川時代の秋元家のものでしょう、後に明暦三年1657年秋元家が川越に転封し此処勝山城は廃城となるのです・・・・谷村城跡の隣に陣屋跡が在りますから天領となったのでしょう。
本丸から見た二の丸・三の丸です。
本丸脇から今登って来た道ですね。
反対方向の本丸から見た帯郭です。
同じく本丸と富士山です、素晴らしいですね。
煙硝蔵跡です、本丸から少し離れていますね。
此処勝山城跡は小山田家の城でしたが、小山田家の支城岩殿城へ織田・徳川連合軍に攻められた武田勝頼と立てこもる計画でしたが裏切り結局甲府善光寺で殺され滅亡しましたね、此れから岩殿城跡へと向かいます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます