三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

岩殿城跡に行って来ました。

2019-05-11 09:38:15 | 城郭山梨

2019年5月8日(水)に都留市の勝山城跡、次に大月市の岩殿城跡に行って来ました、どちらも武田軍団の小山田氏のお城です、岩殿城は関東三山城(久能・岩櫃城)で要害な地に有りますね。



大月駅の横から見た岩殿城跡です、此れから右側からジグザクに登り最後に正面岩左脇から城内へ。



まず桂川を渡ります、川まで簡単に登り降り出来ない深い谷です、この下流に猿橋が有ります。



橋を渡り山裾を右側に回り込むと入り口が・・・此処から。



少し上ると冠木門が迎えてくれます、此処はほんの入り口ですね。



私は左のわき道から上りました・・・・山道なので。



岩殿山中腹の丸山公園にあるふれあいの館です・・・中世の城をイメージ・・・此処までは比較的簡単に登れますね、此処から急坂をジグザグと上りますね。



登と脇に先程見た鏡岩の岸壁が・・・この岩横をジグザグと上ります。



見上げます、此れがジグザグです、岩が崩れたらアウトですね、そんなことは無い・・・イイエ2-3年前の台風の時アチラコチラ崩れ落ちたので今も通行止め状態ですヨ。



漸く、大手門との分岐まで来ましたね、今回は右側ですが、大手門・兜岩方面は直進ですね、大手門コースがこの狭さですから大変な城なのですよ。



ちなみに大手門コースです、今の先が此れですからね・・・・クサリが付いた此処を降りていくのです。



漸く山頂直下まで来ました、城内への入り口の揚げ城戸門跡です、上下する門で塞いでいたのですね。



揚げ城戸の向こう側に番所跡・・・・門番たちがいた空間が有りますね。



番所跡から見た城内方向、右の岩脇から上ってきたのです、階段の上が山頂の尾根・・・岩殿城城内です。



西物見台跡です、切り立つ岩の先です。



西物見台から城内を見る(尾根)正面クイが崩落の一つです。



台風による大雨での崩落跡です、馬場跡と帯曲輪が消えましたね、復旧?難しそうですね。



南物見台跡、乃木大将詩碑と岩殿城縄張り図が有ります、山頂本丸は右奥アンテナの場所ですが、此処が見晴らしがよく山頂見たいです。



岩殿城跡縄張り図まだ右側に広がっているのです、この城は織田・徳川軍に攻められ武田勝頼が最後に立てこもる予定の城でしたが、武田軍団も人心が離れ、この岩殿城城主小山田信茂の裏切りにあい、立てこもる事無く滅亡、城主信茂も裏切りの為甲府善光寺で殺害滅亡したのです。



南物見台を過ぎて振り返りました。



左横が馬場、右側奥が三の丸、右側の下が用水(亀ケ池・馬洗い池)・・・・本丸はまだ先です。



三の丸で右側奥の道も崩落で通行止めですね、左側から本丸方面へ。



蔵屋敷跡とか。



この辺左上が二の丸?・・・奥が本丸狼煙台です。



本丸跡です、現在アンテナ群が立ち風情がありませんが、本丸脇は空堀跡がこの先は東物見台ですが現在は景色は皆無、その先は崩落で歩けませんね。



最後の用水池を、上段の池が亀ケ池で飲用、下段の池が馬洗池、左側は切り立つ岩・・・駅から見て右側の岩の上です、武田勝頼が籠城してもどれだけ持ちこたえたか?、高天神城の籠城戦でも救えなかったのですから人は石垣・・・・ですね。

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