三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

城郭の縄張り図と本丸10.

2020-06-15 14:14:18 | 城郭縄張図1

2020年6月15日(月)今日は暑いですね、そろそろ山に行きたくなりましたね、山城はもう虫が多くて散策するのも大変ですからね。

石戸城 埼玉県北本市、荒川と周りの湿地帯を利用した、梯郭式平城、永禄6年(1563)武州松山城を武田信玄・北条氏康による連合軍が攻撃、山内上杉の太田資正(岩槻城)配下が籠城戦で上杉謙信に救援、謙信の救援軍が石戸城まで来た時にわずかな差で落城・・・その石戸城です、その前年鉢形城北条氏邦が石戸城を攻撃・・・何度か撃退されるが、夜陰に乗じての土堤を作り沼地を渡り攻め落とした一夜堤は今に残る。

石戸城 荒川の河川敷より見る。

騎西城 埼玉県加須市、平城(沼城)現在も畑・田んぼに囲まれていますが湿地帯ではありませんが、当時は湿地帯に浮かぶ小島を有機的に連結した縄張り図になっていますね、永禄6年(1563)上杉謙信が武州松山城の救援に駆け付け、近くの石戸城(埼玉県北本市)まで来た時に城は開城、悔しく・・腹いせにこの城や菖蒲城を落としたのです、この地は忍城の成田氏の傘下であり、上杉・北条との戦乱に巻き込まれ大変な地なのです。

騎西城 層塔型3重3階の模擬天守・・・天守は当時実在しない。

川越城 埼玉県川越市、長禄元年(1457)扇谷上杉持朝の命で太田道真・道灌が築城、北条時代大道寺政繁・江戸期知恵伊豆と言われた松平信綱が改修、老中の居城と言われ柳沢吉保も一時城主。

川越城 北に新河岸川さらに北に入間川、南に遊女川と湿地帯に囲まれた地。

川越城 寛永元年(1848)建築の本丸御殿・・・現存、天守は無かった。

赤山城(赤山陣屋) 埼玉県川口市、寛永6年(1629)関東郡代伊奈忠治7千石が築城、広大なお城、土木技術の専門家らしく豊かな湿地帯と土塁空堀で曲輪を構築・・・幕府完成後によくこのような城郭が許されたのかも?。

赤山城 寛政4年(1729)改易廃城。

赤山城 本丸虎口。

前橋城 群馬県前橋市,古くは厩橋城と言われ関東の名城、利根川と広瀬川を外堀にした渦郭式の平城、再三による利根川の水害により流失、幕末期に再築したが半年ご大政奉還。

前橋城 旧城三の丸東隅の土塁。

荒砥城 長野県千曲市上山田、村上氏一族の山田氏の山城、千曲川を挟み村上氏の葛尾城の支城。

荒砥城 本丸から見た二の丸・・・左側奥に葛尾城があります・・・良く見えますね、武田信玄と争い一時は勝ったのです・・・村上義清の城。

荒砥城 櫓台の上から見た本丸です、・・・ここは詰めの城ですね、山の中腹に居住拠点があり戦いのときに登のです・・・・復元されるとわかりやすいですね。

本佐倉城 千葉県洒酒井町、享徳3年(1454)下総守護千葉輔胤が千葉城から本佐倉へ移り、太田道灌と同時期・・・、文明年間(1469-1486)に築城、三方が湿地帯の要害地、元和元年(1615)土井利勝は佐倉城へ移城し廃城。

本佐倉城 連格式平山城、、幾つかの曲輪から、城山・・・本丸、奥の山・・・二の丸。

本佐倉城 城外より東山虎口を見る。

本佐倉城 東山虎口を入りⅣ郭の虎口、正面奥左側が本丸城山。

福知山城 京都府福知山市、連格式平山城、天正7年明智光秀築城(安土城が完成)、元禄期有馬氏8万石が改修、東西へ由良川、東北西は断崖の要地。

福知山城 昔の風景図

福知山城 崖下より城門天守を見上げる。

福知山城 天守、複合連結式望楼型3重4階・渡櫓・小天守2重2階。

福知山城 天守、左天守石垣の中央の亀裂は築城後の追加石垣分・・・この部分は張り出した小さな出櫓だったのですね。











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