浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

言葉が適切じゃない

2012-09-14 19:20:37 | 日記
大津の件がきっかけになって、いじめ問題が取りざたされてる。

あまりテレビを見ない僕でもテレビを見ると「いじめの話をしてない日はないな」と思ったくらいなのでよっぽど取り上げられているんだろうと思う。

「いじめが悪い」とか「学校どうにかしろ」とか言うのは簡単だけどそれでは解決にならない。

一つだけ、僕この件について言いたいことがあるんですが、いいですか?

あのですね「いじめ」という言葉ってあんまり適切ではないと思うんです。

先日、ある中学校の先生にこんな話を聞いた。

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中学1年生の生徒が「学校で友達にいじめられた」と親に相談したらしい。親は心配して、相手の親に連絡した。そうすると相手の親も冷静ではいられないから少し親同士でもめた。学校側はその件についてまったく知らず、親同士がもめた結果、学校に相談しよう、と話を持ってきた。双方の親が「学校は認識していなかったのか」と学校を責めた。
学校側はもちろん認識していた。でも、そのいじめというのが「学外研修のためグループを作らなくてはいけないんだけどその生徒がグループに入れてもらえなかった」というものだった。こういうことはよくあることなので(特に中1の一学期だとまだクラスが慣れていないのでよくある)放置しておいた。
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さて。

この出来事について、良かったのか悪かったのか、誰がどうすべきだったのか、と言いたいわけではない。

もしかすると生徒が過敏に反応しただけなのかも知れない。単に「私もグループに入れて」と言い出せば済んだ話かも知れない。いやいや、その生徒は何度もそう言ったのに他の生徒が完全に悪意を持ってグループから排除した、という話かもしれない。

それは誰にも分からない。

ただ僕は「やっぱり『いじめ』という言葉は適切ではないな」と思った。

あまりに示す範囲が広すぎませんか?

例えば、ある一人を悪意を持ってグループに入れない、ということもいじめだし、数人で殴る蹴るの暴行をすることもいじめと呼ばれる。

この二つを合わせて「いじめ」という言葉でくくってしまうのはあまりにも無理があるでしょう。

もちろん、「グループに入れてくれない」ということは人によっては殴られるよりも心に傷を負うことかも知れない。それでも「その行為自体で身体的に傷を負う」ということとそうでないことを同じ言葉でくくってしまうのは問題があると思う。

指し示す範囲の広い言葉ってのは往々にしてトラブルのもとになる。

保護者「そちらの学校ではいじめ(=集団で一人の生徒を殴ったり蹴ったり)があると聞いたんですが」

先生「そりゃ中一の最初はいじめ(=グループに入れてあげないとか)くらいありますよ」

保護者「なんでそんなのほっとくんですか!?」

ほらね。

まずは言葉を変えましょうよ。それだけで解決するとはまったく思ってないけど。