浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

ヒーロー論だけでも読み応えあるよ

2011-01-07 21:05:32 | 
いやー年始早々いい本読んだわ~。

街場のアメリカ論 (文春文庫)街場のアメリカ論 (文春文庫)

この人のは「街場のメディア論」も面白かったし「下流志向」「日本辺境論」も面白かった。

んで、このアメリカ論は更に興味深いね。

何を主題にしているかと言うと日米の比較論。

その中でも「ちょっとこれは!」と思った日米のヒーロー像の違いについてのところを書いときます。

アメリカのヒーロー像、特にアメコミのヒーロー像は固定のパターンがある。スーパーマンにせよバットマンにせよスパイダーマンにせよ。

そのパターンの代表的なものは「変身する、しかし変身前の正体は誰にもばれていない」「そのヒーロー活動が決して市民に好まれてはいない」あたり。

これは特にバットマンに非常に当てはまるね。(映画「ダークナイト」ではバットマンは街を守るためとは言え警察から追われる立場になっている。)

で、このパターンとは何を象徴しているのか?

これはつまり「国際社会におけるアメリカの態度」ということになる。

ヒーローは街を良くするために体を張って戦う。でもそれは誰も感謝してくれない。むしろ街の人々からは「ヒーローが暴れると街が壊れる」とか迷惑がられたりする。俺の気も知らないで…。俺がいないと街はもっとめちゃくちゃじゃないか。。。もっと感謝しろよ。

これはアメリカ人が国際社会に対して感じている気持ちである。

一方、日本における特徴的ヒーロー像とはどういうものか?

それは鉄人28号から始まりガンダムを経てエヴァンゲリオンに続いた「巨大ロボット」の系譜。

これらの特徴は「強いのは巨大ロボット」「そのロボットは前時代の英知を結集して作られた」「ロボットは意志を持たないが故に操縦者により善悪どちらにもなり得る」「しかし、それを操縦出来るのは作った前時代人(大人)ではなく『子供』だけである」というもの。

これから分かることな何か?

これは第二次世界大戦を経た日本人の反省と希望。

つまり使い方次第で善悪どちらにもなる、意志を持たない巨大ロボットは「軍隊」「兵器」ということになる。

これを前時代の人間達は使い方を間違え、戦争を引き起こしてしまった。

その反省を踏まえ、これからの人々、つまり子供たちの世代、には正しい使い方をして欲しい。

これが日本のヒーロー物に込められているメッセージである。

うーむ、なるほどなぁ。


そう考えると、更にも一方の日本のヒーローのロールモデル、仮面ライダーやウルトラマンはどうなるのか?とも思う。

ウルトラマンが仏教の影響を受けている(M78星雲≑涅槃、ウルトラマンの顔≑アルカイックスマイル、、、)というのはまぁ色々なところで書かれていることだからいいとして、仮面ライダーはどうなんだろうね。

僕は仮面ライダーの特徴は「本人は望まずに」ヒーローになってしまったということだと思う。

タイトルの所で、主人公がショッカーに羽交い締めにされながら「やめろ~!」と言っているのは非常に特徴的だよね。

アメコミのヒーローはもちろん事故の結果、超人になったということはあったとしても、最終的には自己のトラウマのため、自ら望んでヒーローになる。でも仮面ライダーは違う。

そもそも自分が「改造人間である」というトラウマはショッカーにより作られたものであり、そのトラウマを克服するためにショッカー自体と戦う。

うーん、これは日本における個人と組織、そしてその家庭で形成される人格あるいはトラウマの克服についてのストーリーであるような気がするなぁ。

なんでも無いことをこうやって無意味に深読みしていくのって楽しいんだもの。

つまりヒーローというのは人の憧れであり、憧れであるということは大衆がなりたいと思っている姿の具現でもある。

ということは各時代のヒーローを研究していけばその時代の人々の「望み」が見えてくるんじゃないかと思う。更に言えば日米の比較を(この本はあくまで入門書だから)より深く行えば非常に意味あることなんじゃないかと思う。

これって文学的にもマーケティング的にも非常に重要な研究だと思うんだけど、これを網羅的に行っている人はいないのかな?

例えば「黄金バット」という髑髏、黒マント、シルクハット、という明らかに悪役的なイメージのヒーローは何を象徴していたのか?月光仮面はなぜ顔全体を隠していたのか?

誰か研究してないかな~。