浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

期待してませんけど、という態度

2014-11-29 17:15:35 | DVD、映画
進撃の巨人」という漫画があって、、って今更言うまでもないけど。

これが今度、映画化されます。

個人的には「最近の日本映画は何でもかんでも漫画原作だなー」と思うところもなくはないけど、実はとても楽しみにしている。

それは脚本が町山智浩だから。

町山智浩というのは僕の好きな映画解説者。はっきり言ってしまえば今の日本でまともに映画を解説している数少ない人だと僕は思っている。

この人の映画解説というのは、膨大な映画の知識を元に「この映画の意味はなにか?」ということを解説してくれる。そんな人が初めて映画の脚本を書くというのでとても注目している。

とはいえ、極力、期待はしないようにしている。映画は脚本が大事だけど、脚本がすべてではないのでもしかしたら映画としては出来が良くないかも知れない。期待しすぎて裏切られるよりも、ここはぜひあまり期待しすぎず自然体で待ってようと思っています。

が、それでも期待しちゃうんだよなー。(どっちだよ)

町山智浩の解説というのはその映画の深層にある「意味」というのを教えてくれる。

例えば「トイ・ストーリー」というのは一見、「子どもとおもちゃ」の話だけど、その深層には「観客とピクサー(つまりピクサーで働いているアニメーターとか)」のストーリーがある。おもちゃは子どもを楽しませる、ピクサーも子どもを楽しませる映画を作っている、子どもは成長しいつかおもちゃを忘れる、ピクサーの映画もいつか忘れられるかも知れない。更にその深層には「子どもと親」というのもあって、、と、そういう話。

こういうことをずっと語っている町山智浩が「進撃の巨人」を単なる「想像上の話」にするわけがない。

おそらくヒントは「進撃の巨人」の作者、諫山創のインタビューにある。

人間コク宝 まんが道
人間コク宝 まんが道

この本を読むと、作者がなぜ「壁に囲まれた町の外に巨人がいて、それが非力な人間を襲う、人間は巨人に立ち向かっていく」という話を書いているのがわかってくる。

作者は大分の、山で囲まれた町に生まれ、身体が弱かったらしい。つまり「壁に囲まれた町」というのは作者の生まれ故郷、非力な人間は作者自身、巨人はまだ観ぬ世界にいる恐ろしいもの、のメタファー(暗喩)なんだろう。

こういう要素抜きで「進撃の巨人」を映画化すればそれは単なるお伽話で「へー、そうですか、ま、巨人なんていないもんねー」以上のものにはならない。

でも、作者がこの作品に込めた要素を下敷きにして映画化すれば、それは「閉塞感ある社会の中で、無力感を持ちつつ生きる人々」にとって共感できる映画になるんじゃないかと思う。「壁に囲まれた町」というのはたとえば、ある人にとっては逃げ場のない「学校」かもしれないし、あるいは「会社」、「家庭」でもありうるかも知れない。その狭い場所の中から「巨人」という怪物(それは例えば人によっては上司だったり、先生だったり親だったり)を倒して外の世界に出て行く、そういう話になればいいなぁと思っています。

楽しみだな―、いやいや、期待しちゃいけない。(どっちだよ)