浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

地獄八景亡者戯

2013-12-19 16:48:24 | 
お誘い頂き桂雀々という落語家の「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」という落語を聴いてきました。


これはその後、飲みに行った店のステーキ。久々にこんなにドンとしたステーキ食べたなぁ。

で、落語の方はというと個人的に桂雀々という落語家の「野望」(いい意味で)を感じた落語でした。

まず「地獄八景亡者戯」という噺を説明させてください。元々は上方の話。それを桂米朝という人間国宝が持ちネタとした。(桂雀々の師匠は桂枝雀という人で米朝の弟子)

話の筋としては間抜けな男がサバにあたって死んでしまい、地獄に行って三途の河を渡って閻魔大王に会う、、という噺。でもこの筋は正直言ってどうでもいいっちゃいい。

この話の構造が素晴らしいのは舞台が地獄と言うわけで近年亡くなった有名人をどんどん盛り込めるということ。

例えば地獄の入り口で「はい、男はこっちに並んで、女はこっち、ああ、外国人はこっちの列、なんか偉そうな人が来たなぁ、あ、マンデラさんかいな」とかね。もちろんこれだけじゃ笑いにならない。今回は「なんかデタラメな手話の人もついてるなぁ」と言っていた。

この構造が素晴らしいでしょ。

地獄の中心に冥途筋という繁華街があってそこは人通りも多くて店もたくさんある、という設定。

「そこでハンバーガーも食べられますよ、メイドナルドで。そうそう最近、カフェが出来て大人気なんですわ、ハカ―バックス、みんなハカバ、ハカバって言っててねぇ、墓場でコーヒー飲もうって」

ハカ―バックス、略して墓場って笑ったなぁ。

そこには劇場もあって何せあの世は人材が豊富なのでいろんな出し物がある。歌舞伎なら中村勘三郎は1代目から18代目まで全部そろってる。落語だって昭和の四天王と立川談志だ集まって笑点ならぬ昇天で大喜利をやっている。あの人間国宝、桂米朝のチケットだって売れている。

「いやいや米朝はまだ生きとるがな」「へぇ、前売り券で」

「漫才もなんでもある。エンタツアチャコ、ダイマルラケット、夢路いとしこいしからなんでもおまっせ。一番人気は松鶴家キリストと浮世亭マホメットの論争漫才。ただねぇ一人一人は人気があるんですが、どうも一緒になるとかみ合いません」

もうこういうギャグのオンパレード。落語を文字で書いてるわけだらこれ読んでもおしろくはないだろうけど、実際に聞いていると爆笑。更にこれ90分もある長い話。演じるほうはハイテンションで喋って動いて大変ですよ。


で。僕はこの話を聞いて桂雀々の野望を勝手に感じたの。

まず枕というか前説でこの話の説明を簡単にしたのね。

「上方落語は大変です、色々鳴り物も入ってくるのでそれに合わせないといけなくて。江戸落語ならただ一人で芝浜やってしんみりさせて『ああ、大みそかだなぁ』と思わせればいいだけの話ですが」

上方落語は話に合わせて舞台そでで鳴り物と言われる三味線や太鼓を鳴らす、いわばBGM。一方江戸落語にはそういのは無い。

もちろん上方が大変で江戸が楽だ、なんて思っているわけじゃなくて、ここで江戸落語における年末の風物詩『芝浜』の話をしたことに意味があるんだと僕は思う。

つまり「江戸落語の年末が『芝浜』なら、上方落語の年末は『地獄八景』にしてやる」という野望があるんじゃないかと思う。

そう考えると『地獄八景』は今年亡くなった有名人をどんどん「今年来たばっかり」ということで盛り込める。

あと三途の河を渡るときに鬼が今年の流行歌を歌って渡し賃を決める、というくだりもあるので流行歌を盛り込める。

更に今回は「今でしょ」「おもてなし」「じぇじぇじぇ」「倍返しだ」の流行語も入っていた。

つまり今年総ざらいの話に出来る構造を持った話なのだ、ということ。

少なくとも僕は「出来れば毎年年末に桂雀々の『地獄八景』を聴きたいなぁ」と思ったよ。



桂雀々の自伝。すごいよ。

更にこの本を読んでからこの人の師匠である桂枝雀のWikipediaを読むと本当に呆然とする。