浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

人それぞれでいい

2013-03-11 20:51:57 | 日記
3月11日です。

14時46分にはちょうど手が空いていたので近所の神社に行って黙祷してきました。どこにお祈りに行けば良いか分からなかったけれど日本の神様は寛容だから祈りは届けてくれるだろう、たぶんね。

早いものでもう2年。

「あの日を忘れてはいけない」という言葉を色々なところで目にする。その通りだと僕も思う。ただ思い出し方は人それぞれで僕はいいと思う。

個人的には普通の人が毎日毎日、あの日のことを思い出し続けて生きていくことなんてなかなか難しいんじゃないかと思う。

もし僕があの日に亡くなった人間だとしたら、残された人に「オレのことを毎日思いだしてね」とは思わない。だって「自分は忘れている、自分は何も出来ていない」と考えて「ああ、ダメだ」と自分を責めて日々を送るのはあまりにしんどいじゃないですか。

もちろん愛おしい人が亡くなるときに「私のことを毎日思いだして」と言われたらそうするように努力はする、僕だって。


ああいう異様な体験を、自分の中で受け止め、消化して、理解するようになるには人それぞれ長い時間がかかるものじゃないかと思う。

もちろん「自分は絶対に忘れない」と誓って、毎日思い出し相応の努力をされている方を否定するつもりなんて全くない。

僕が言いたいのは悲しみ方、受け止め方は「人それぞれでいいんじゃないか」ということ。

日々思い出す人も、1年に一度思いだす人も、2、3年に一度思い出す人も、それぞれでいいと思う。

それでいいんじゃないかなぁと思うんだよなー。

どうでしょう。