浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

東西南北

2013-03-10 16:19:10 | 
とりあえず上巻を読み終えました。

話のスタートは「ヨーロッパの文化文明がニューギニアを席巻した。それはなぜか?」というシンプルな問い。

多くの人は「そりゃヨーロッパ人が優秀だったから(逆に言うとニューギニアの文明が劣っていたら)でしょ」と言ってしまうところ、この著者は「本当にそうなのか?」という疑問からスタートしていく。

それこそ何万年にも及ぶ文化人類史の話なので、一言では言えないけど結論の一つとしては「人種ごとの優劣はない」ということになる。

では、何が決め手だったのか、というのがタイトル「鉄・病原菌・銃」ということになる。

それらがどう生まれ、どう人類を制圧していったか、という話。

非常に面白いなぁと思ったのが、「大陸(というか生活圏)が東西に広がっているか南北に広がっているかで文明の発達度に差が出る」という話。

言われてみれば当然なんだけど、例えば南北に広がっている南アフリカ大陸と東西に広がっているヨーロッパ大陸を比較してみると、何が一番違うかというと農作物の作り方が変わってくる。

同じ民族が東西にいれば季節の変化はあまりないので、東端の人も西端の人も同じつくり方で同じ作物を作ることが出来る。しかし南北に長ければ南端の人と同じようには北端の人は作物を作ることが出来ない。

これにより東西に広い大陸の人々は作物を多く作ることが出来、余剰な食物を蓄えることが出来た。この「余剰な食物」というのは民族発展に大きく寄与することになる。

非常にスケールの大きな話で面白いよ。

当然そうなると、我々としては「じゃあ日本はどうなの?」と思うんだけど、全人類的には日本人はそんなに大きなインパクトが無いのであまり言及されていない。(下巻に出てくるのかもしれないけど)

このあたりの「全人類的に考えて日本人に言及されている箇所が少ない」ということが日本人が「日本人的作家」を好む理由の一つなんだろうなぁと思う。

例えば「ヨーロッパ人というのはなんなのか?」ということはヨーロッパ人以外の多くの人も考えている。でも日本人は(それと比較すれば)そうではない。

だから司馬遼太郎みたいな人が「日本人とは何か?明治の時代の日本人があれだけ優秀だったにも関わらず現代ではそうでないのは何が変わったのか?」ということを考え続け、それが多くの日本人に読まれる(一方で、海外ではそんなに受けていない)理由なんじゃないのかね。
コメント
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