浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

カレーの皿の深さの話じゃない。

2013-01-18 01:48:00 | 日記
大阪におります。思ったより寒いです。手袋とマフラー持ってくるべきだったな。

ランチはカレー。

美味しいけど皿が薄くて食べづらい。カレーは少し深さのある皿がいいと思います。

という話とはまったく関係ない話をします。

体罰を受けたことを理由に自殺した高校生がいて、その件が連日ニュースになっている。

理由はどうあれ(もちろん僕には慮ることしか出来ないけど)、高校生で自ら命を絶たなくてはいけなかった彼には深く哀悼の気持ちを感じるし、愛おしい家族、あるいは友人を失った周囲の人の苦しみはいつかどうにかにして癒えてほしいと心から願う。

そのうえで。

体罰の是非に関して僕の意見を述べるのはすごく難しいことだし、こういうところでいくら言葉を尽くしても正しく伝えることは出来ないと思うので避ける。ごめんなさい、ずるくて。

ただその後のある人、まぁつまりいつもの「例のあの市長」なんですが、の言動についていろいろ考えるところがある。

ニュースによると亡くなった生徒のいた学校については「廃校にすべき」とか「入試を中止すべき」とか「全教員を転任させ教員をすべて入れ替える」ということを言っているらしい。

もちろんこれはこの人の交渉術の一つであろうとは思う。つまり「最初に『そんなことになったら大変だ!』というレベルのことを言い、相手にショックを与え、相手の思考を停止させてから順次交渉していく」という交渉術だと思う。そういう交渉術が有効な場合もあることは僕も認める。決して上品なやり方だとは思わないけど。

こういうやり方を聞いているとつくづく僕は思う。「ああ、自分は政治家には絶対なれないなぁ」ということ。

ちょっと前で、すでにもうみんな忘れているかもしれないけど「大学不認可問題」というのがあった。

つまり大学認可を申請している3つの大学について文部大臣が「不認可」と言ったというもの。結果的には認可されたわけだけど。

これも見ていて「ああ、自分は政治家にはなれないな」とつくづく思った。

その3つの大学を認可させることが本当に良いことなのかどうかというのはおいておく。ただ今まで、たぶん30年くらいかな、申請をして文部大臣のところまで行ったら不認可にされた例はない、ということから申請しているほうは「これはもう認可前提」ということで動いていただろう。

当然、土地と建物、教員と職員を用意し、入学者も見込んでいただろう。大学だから、その街にポンと豆腐屋さんが出来るのとはレベルが違う。おそらく大学生を見込んでキャンパス前にはコンビニも出来る予定だろう、近くに学生用のアパートだって出来るだろう。何百もの人の生活が関わる話だろう。

仮に「大学作っちゃダメです」となればそのうちの多くの人が仕事を失う。その中で「あ、出来ないんですか、じゃあいいです、別なところで働くから」とあっさり言える人は多くないだろう。中には借金を苦に自殺を考える人もいるかも知れない。

冒頭に言った「廃校、入試中止、全教員入れ替え」だって廃校になった学校の先生たちの生活はどうなるのか、という問題がある。繰り返しますけど、体罰が是か非か、廃校が是か非か、生活のために許していいのか、という問題は置いておいてね。

おそらく政治家はそういう決断をしなければいけない時が来る職業なんだろう。たとえば「AプランとBプランがあります。Aプランだと1万人が仕事を失います。Bプランだと9000人が仕事を失います。さぁどっちにしますか?」という決断をしなければいけない時もあるだろう。もちろん単純に考えれば「9000人のほうが少ないんだからBプラン」ということなんだけど。そういう決断は僕はしたくないなぁ。

決断したくないからしない、というのがダメなのはわかりますよ。でもこういう時にやっぱり「第三案」というものを考えるべきだと思うんです。

「AでもBでも無い、誰も仕事辞めなくていいCプランを必死で考えようよ」ということ。

そういうこと言ってる人は政治家になれないだろうなあ。なりたくもないけどさ。

でもさ、アウグストゥスならいつも第三案を出したと思うんだよなー。