浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

それに何の得がある?という問い

2010-10-13 23:14:32 | 
秋ですね、って言葉から始めたいけど大阪は結構暑かったよ。たまに上着脱ぎたくなるくらい。

大阪で同僚と飲んでたら栗をお裾分けしていただきました。なんか知り合いと栗拾いに行ってきたみたいで。

つーことで今日のご飯は栗ご飯。おかずは肉じゃが。牛肉を冷凍しといたのあったから。

それからルクエのスチームケースで簡単に蒸し野菜。今回はキャベツ、シメジ、にんじんにさっとトマトジュースかけてトマト風味にしてみました。ニンジンが肉じゃがと蒸し野菜でかぶってるけどあんまりお気になさらずに。

残ったトマトジュースはビールを割ってレッドアイに。

で、話はいきなり変わって本の話。

新大阪駅でふとこの本買いました。


この内田樹って人の本は「日本辺境論」ってのも読んだけどとにかく説得力があるなぁ。

今回の本のテーマは「何故若者は勉強と労働から離れていくのか」ということ。

読みながら「うん、なるほど!」と思った。

簡単に言うと今の子供たちが「学ばない」理由は「それを学んで自分に何の得があるのか?」という問いに社会が答えられないから。

そりゃそうだよね。仮定法過去だの二次関数だのって「それ学んでなんの得があるの?」ってことに明確に答えられる人なんていない。

経験則では皆それなりに答えられるかもしれないけど何かしらの保証が出来る人なんていない。だって「テストでいい点数取ったらいい大学に入れていい会社に入れるよ」って答えたところで「そんなことない。だって東大出たってリストラされてる人がいるじゃないか」と言われたらおしまいでしょ。

でもね、そもそも「それを学んで何の得がある?」という問い自体が「学ぶ」ということは何の関係もない。

こんな問いを出してくることは明確に「資本主義」あるいは「貨幣経済」によるものだとこの本では述べている。

つまり、資本主義あるいは貨幣経済においては常に何かの商品を手に入れようとしたら買い手は「その商品を買ったら自分にどんないいことがある?」とまず問わなければいけない。そう問わない人間はこの経済では明らかに「損」をする。

一方売り手は買い手の「どんな得がある?」という質問に明確に答えられなければいけない。

その社会に慣れてしまったがために「教育」という本来であれば価値基準が無いものにすらその問いが生まれてしまった。

故に若者は学ばない。QED.

そりゃそうだよなぁ。

こういうの読むとやっぱり本質的に資本主義ってもう限界なんじゃないかと思っちゃうよね。僕自身は共産主義者でも社会主義者でも無いしそれなりの普通の日本人だと思うけど、それでもねぇ。

とにかくまぁそういうこといろいろ考えさせられるいい本です。