世の中には色々な人がいるから、当然、自分と趣味が合わない人、というのもたくさんいる。
正直言って「趣味のぴったり合う人」と出会うことのほうが奇跡なくらいで。
決してペシミスティックに言っているわけではなくて、趣味が合おうが合うまいが人として付き合っていくことは出来るわけだから単なる事実としてね。
本とか映画とかでも自分が「とても好き」と思っているものを「うーん、どうもね…」と言われることだって多々あります。
たとえば僕は伊坂幸太郎が好きなわけだけど、伊坂幸太郎が苦手、と言われると「そうかな?かなり面白いと思うよ、『アヒルと鴨のコインロッカー』のあのところとかさ、『終末のフール』のあの短編とかさ」とやんわりとした反論をすることになる。
でもこれが「村上春樹」について、だと少し違う。
村上春樹の小説を好んで読むのはもう僕にとっては「習性」というか大袈裟かも知れないけど「自分の一部」のようなものになってしまっているから、「ま、もう言われてもどうしようもないし」とそもそも反論をする気すら起きない。
僕の部屋の本棚には村上春樹コーナーがあって、一番取り出しやすいところに村上春樹の小説が置いてある。
ふと、なんかの拍子に「あれ、あのフレーズはどの小説だったっけ?」と思い立って真夜中に本棚をあさることになる。
陳腐な表現だけどそれこそ「何度読んだかわからない」ものばかり。
僕の中のベストはなんだろうな?と時々考えるんだけど、たぶん、こんな感じ。
【長編】
・国境の南、太陽の西
・羊をめぐる冒険
・1973年のピンボール
この3つはほとんど固定。それ以外はライン一直線。
長編の一位が「国境の南、太陽の西」ってのはかなり異色なんじゃないかな。村上春樹が好きな人と話をしていても同じ意見の人に出会ったことないもの。
「ダンス・ダンス・ダンス」と「ねじまき鳥クロニクル」というハードな、そしていささかヘヴィな長編に挟まれたあまり目立たない短めの長編(あるいは長めの中編)なわけだけど、僕はすごく好き。
短編だったら「神の子どもたちはみな踊る」だなぁ。
というわけで出ました。村上春樹の新作『1Q84』。
仕事の合間に本屋に出かけてゲット。
まだ読んでないから何も言えないけど。
正直言って「趣味のぴったり合う人」と出会うことのほうが奇跡なくらいで。
決してペシミスティックに言っているわけではなくて、趣味が合おうが合うまいが人として付き合っていくことは出来るわけだから単なる事実としてね。
本とか映画とかでも自分が「とても好き」と思っているものを「うーん、どうもね…」と言われることだって多々あります。
たとえば僕は伊坂幸太郎が好きなわけだけど、伊坂幸太郎が苦手、と言われると「そうかな?かなり面白いと思うよ、『アヒルと鴨のコインロッカー』のあのところとかさ、『終末のフール』のあの短編とかさ」とやんわりとした反論をすることになる。
でもこれが「村上春樹」について、だと少し違う。
村上春樹の小説を好んで読むのはもう僕にとっては「習性」というか大袈裟かも知れないけど「自分の一部」のようなものになってしまっているから、「ま、もう言われてもどうしようもないし」とそもそも反論をする気すら起きない。
僕の部屋の本棚には村上春樹コーナーがあって、一番取り出しやすいところに村上春樹の小説が置いてある。
ふと、なんかの拍子に「あれ、あのフレーズはどの小説だったっけ?」と思い立って真夜中に本棚をあさることになる。
陳腐な表現だけどそれこそ「何度読んだかわからない」ものばかり。
僕の中のベストはなんだろうな?と時々考えるんだけど、たぶん、こんな感じ。
【長編】
・国境の南、太陽の西
・羊をめぐる冒険
・1973年のピンボール
この3つはほとんど固定。それ以外はライン一直線。
長編の一位が「国境の南、太陽の西」ってのはかなり異色なんじゃないかな。村上春樹が好きな人と話をしていても同じ意見の人に出会ったことないもの。
「ダンス・ダンス・ダンス」と「ねじまき鳥クロニクル」というハードな、そしていささかヘヴィな長編に挟まれたあまり目立たない短めの長編(あるいは長めの中編)なわけだけど、僕はすごく好き。
短編だったら「神の子どもたちはみな踊る」だなぁ。
というわけで出ました。村上春樹の新作『1Q84』。
仕事の合間に本屋に出かけてゲット。
まだ読んでないから何も言えないけど。