浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

ローマ人列伝:スッラ伝3

2008-05-03 01:24:10 | ローマ人列伝
以前、イタリアの歴史の教科書に載っている一節を紹介しました。

「指導者に求められる資質は、次の五つである。知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。カエサルだけが、この全てを持っていた。」

僕はスッラにもこの五つの資質があったと思っています。しかしスッラには六つめの重要な資質が欠けていました。それは「時代を読む能力」です。

2000年後の現代からローマ史を見る我々は勝手なものです。「共和制なんてもう無理じゃん」、今の我々なら簡単にそう思うでしょう。しかし共和制のおかげでここまで強大になったローマに生まれ育った人間にとって共和制は絶対です。

たとえば日本の幕末を見ても「尊皇攘夷!」の旗の下、死んでいく人々を見て、「開国に決まってるじゃーん」と現代の我々が思うのは簡単です。しかし「徳川こそが絶対。徳川のおかげで今の自分がある」と生まれ育った人にはやはり尊皇攘夷だったのでしょう。

共和制を信じ、そのために粛清を行ったスッラの気持ちは分かるような気がします。

共和制を万全なものにするために、スッラは終身独裁官に就きます。もともと独裁官とはあまりに権力が強いため非常時にしか任命されない官職でありしかも任期は1年と定められています。それをスッラが掟破りの逆さそりで任期を終身にしたのです。もう共和制のためにはルール無用。

更に彼の粛清は続きます。

王嫌いのローマ人(後に終身独裁官となったカエサルは「カエサルは王になろうとしている」と暗殺されます)ですがさすがの彼らもスッラには何も言えませんでした。今となってはスッラのなすことに意義をとなえるだけで処刑者名簿に名を載せられてしまうのですから。

終身独裁官としてとりあえずの粛清を終え、共和制を万全なものにしたスッラ、普通の人であれば後は自分の思うとおりに政治を行っていく、という欲にかられるでしょう。

しかし彼は自ら終身独裁官を辞任します。せっかく就任した終身独裁官を1年で辞任。なんでやねん、という感じです。

なぜなら彼の目指すものは権力が一人に集中しない、合議制による政治。ここでスッラが権力を持ったままでは自らの信じた共和制に反することになります。すぱっと辞任&引退&キック&ラッシュ。僕はここに彼の「自己制御の能力」を感じます。

スッラが信じ磐石なものにした共和制ローマ。現代に生きる皆さんは既にご存知だと思いますがその共和制は脆くも崩れます。スッラが殺さなかった一人の若者によって。

彼の正式な名はルキウス・コルネリウス・スッラ・フェリクス。最後の「フェリクス」は仇名のようなもの。「幸運な」という意味です。彼は幸運でした。権力のすべてを手にし敵という敵は粛清したのですから。しかし幸運なのは彼一人だけ。彼の粛清により処刑された人は何百人にも及びます。

そして、確かに彼は幸運でした。自分が信じ人生をかけた共和制の滅びる姿を見る前に死んだことも。

敵、そして敵となる可能性があるものをすべて殺したスッラ、晩年は引退し家族に囲まれ過ごし、そして家族に看取られながら人生を終えます。すべての敵を許したカエサルが彼が許した敵の手によって暗殺されたのとは対照的です。
そしてカエサルの名が2000年後の現代も英雄として残り、スッラの名は残っていないことも。

彼の墓碑には彼の希望でこう記されているそうです。

「味方にとっては、スッラ以上に良きことをした者はなく、敵にとっては、スッラ以上に悪しきことをした者はなし」



<スッラ伝:完>