浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

ローマ人列伝:スッラ伝1

2008-05-01 03:22:38 | ローマ人列伝
ローマ人列伝、今回は「幸運な」スッラ。

何度も繰り返しますがこのローマ人列伝は僕の個人的な趣味で書いているものですから歴史的間違いはご容赦ください。(ご指摘はありがたくいただきます)



このローマ人列伝も結構続きとうとう「普通の人はしらねーだろー」という人を出すことになりました。

僕自身も「ローマ人の物語」を読む前に知っていた古代ローマ人と言えばカエサル、アウグストゥス、クレオパトラ、ティベリウス、ロムルスくらいです。もちろんその人たちが何をやったか、は知らず「ま、名前だけは」という感じ。

今回のスッラは名前すら知りませんでした。しかしローマ史を語るには外せない人物。どのように外せないのか?それはこの列伝を読み終えたときにご理解いただけるはず。おそらく、たぶん。

スッラ、本名はルキウス・コルネリウス・スッラ・フェリクス。はい、長いですね。覚えなくていいです。とは言えスッチーと呼ぶのも軽々しいのでスッラで通しましょう。素っ裸とは違いますからね、いっときますけど。

生まれは紀元前138年。ポエニ戦役(ハンニバル率いるカルタゴ軍とローマ軍の戦い)が終わりローマが地中海の覇権を握りだした頃。

コルネリウス一族ということで家柄は悪くはありませんが決して名家でもありません。

若い頃は持ち前の人当たりのよさで近所の親分格。女性にもずいぶんもてたようで学費なんかも女性から貢いでもらっていたようです。シジマみたいですね、…はい、失礼しました。

彼が頭角を現し始めたのは、北アフリカで起こった反乱、ユグリタ戦争の頃。当時の司令官であるガイウス・マリウスの副官として反乱軍を征伐し政治の表舞台に立ちます。


(ウォーケン、じゃなくてガイウス・マリウス)

続く同盟市戦争(ローマ帝国の下で同盟を結んでいた都市が続々と反乱を起こし始めた戦争)でも戦果を挙げ、執政官となります。

※執政官、皆さん覚えてますか?忘れた人はこちらで復習を。→「ローマ史をもっと楽しむために」

ポエニ戦役を終え、地中海最大の国家となった当時のローマ。しかし領土が広くなればなるほど綻びは目立ちはじめます。今までは強大な都市国家(カルタゴ)があり、そこと戦っていることで国民を団結させることが出来ました。それが今となっては反乱反乱の日々。敵が居るときは味方が増え、敵がいなくなれば味方が敵になる、という皮肉。

そんな時代に執政官になったスッラ。更に戦争は続きます。

続いてはポントス王国(イランあたりですかね)との戦争であるミトリダス戦争。執政官であるスッラは当然最高司令官としてこの戦争に向かいます。

この戦争は計3度、足掛け20年にわたりますが、軍才のあったスッラ、何とか勝利を手にします。敵が居なくなったと思ったここで思わぬ人が敵となります。

ここでスッラの敵となったのはかっての上官ガイウス・マリウス。執政官スッラに権力が集中することを心よく思わなかった彼は当時の護民官と結託し、スッラの権力を奪います。

戦地でその報を聞いたスッラ、掟破りの逆さそり、手元の軍勢と共にローマを攻めます。

当然のことながら大きな戦争中ですから兵士はすべて戦地に出ています。つまりスッラの指揮下。それを持ったスッラがローマに攻め込んできたわけですらローマは当然無防備。権力奪還に成功します。ガイウス・マリウスはすたこらさっさと逃避行。

ここでスッラのイデオロギーが確定しました。

憎きガイウス・マリウスは民衆派。バックには多くの平民が居ました。ならば対するスッラの立場は決まっています。民衆派ならぬ元老院派です。ここから彼は民衆派の政治家の粛清を始めます。

取った方針は密告制度。民衆派と評される政治家の名を名簿にし、ローマの広場に張り出し「民衆派を密告したものには褒美を取らす。かくまったものは全裸、じゃない死刑」と宣告します。

市民からの密告によりスッラの元には民衆派の名前が続々と集まってきます。スッラはその情報を元に処刑者名簿に名を加えていきます。

そこに名を加えられたのは人物の中にはガイウス・マリウスの親戚の娘の旦那である若者も居ました。もうそんな遠縁どうでもいいじゃん、と思いますがスッラの処刑名簿は徹底していました。とにかく民衆派は皆殺し、日本酒は鬼殺し。

そう、その若者とスッラの出会いこそがドラマなのです。


…to be continued...