goo blog サービス終了のお知らせ 

浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

火の鳥

2014-12-11 16:41:30 | 
手塚治虫の「火の鳥」は全巻持っている。小学生の頃、図書室に置いてあって読んだ覚えがあるし、僕らの世代だと「鳳凰編」がアニメ映画にもなったよね。

大人になってから角川文庫版で出たので古本屋で見つけるとついつい買ってしまって結局、全巻揃ってしまった。

何年かに一度、ふと思い出して読み返すとやっぱり全巻読んでしまう。

すごい漫画だなぁと思いますね。

どんだけすごいかと言うと、2巻目の「未来編」は西暦3404年に始まります。そこで一度、地球上の生物全部が滅びて50億年くらい経ってまた生命が誕生する、という話なんです。それをなんとただ1巻でやってるのよ。すごいねぇ。今の時代だったらこれだけで50巻くらいになってしまうと思う。

更にこのラストシーンで1巻目の黎明編の冒頭につながるようになってるの。

つまり、1巻目である「黎明編」は2巻の「未来編」の後に読んでも先に読んでもいいし、なんなら最終巻である「太陽編」の後に「未来編」を読んでもいい。この時間軸の感じは本当に素晴らしい。

それで最近、アプリで「週刊手塚治虫」というのがあって、毎週少しずつ手塚治虫の漫画が無料配信される。ブラックジャックの1話とかね。そこで「火の鳥望郷篇」の1編は配信されてたんだけど、読んでて「あれ?」と思った。もちろん望郷篇は好きだし何度も読んでる、単行本も持ってるんだけど「こんなキャラクターいたっけ?」と思った。
著者 : 手塚治虫
朝日新聞出版
発売日 : 2009-07-21


そのキャラクターというのはノルヴァという宇宙人。雌雄同体の宇宙人。話の筋も少しだけ違っていて不思議に思ったのでつい望郷編を電子書籍で購入してしまった。

調べてみると望郷篇は雑誌掲載版、朝日ソノラマ版・講談社版、角川書店版で加筆修正が多々ある話らしい。へーそうなんだ。何度も読んだ「望郷篇」だけど違うキャラクターが一人出てくるだけで結構味わいが違くて楽しめた。ノルヴァがいたほうが更に輪廻転生な感じが強く出てきていていいですね。ズダーバンが死ぬ理由もなるほど、と思うし。

しかしさぁ、こんな漫画思いつく手塚治虫ってほんとすごいよね。全体的な流れもすごいし細部もそれぞれすごい。望郷篇の無生物の惑星とか改めて読んでも「怖いな」と思います。

もうこれ日本人の課題図書でしょ。

メインどころは大体好き(太陽編、宇宙編、望郷篇、鳳凰編、、)だし、短編~中編と言える回も好きです。中でもすごいなぁと思うのは「羽衣編」ね。これは全コマすべて舞台劇のような形で書かれている。つまり固定カメラのような印象。すごいよねぇ、なんでこんなの思いつくんだろう?

死なないって

2014-11-19 18:38:32 | 
今回、基本的に敬称略。

僕の好きな劇作家で、鴻上尚史という人がいる。確実にこの人の作品のおかげで今の僕の一部が出来ている。

その人がTwitterで発信した内容が少し論争になっていた。

すごーくシンプルにどういう話だったかまとめます。

まず、東洋経済オンラインというサイトに「リクルートスーツは黒を選べ」という記事があった。どういう記事かというとつまり「就活ではスーツで目立とうと思ってはいけない。無難な黒スーツがいい」という記事。

その記事に対していくつかメンションがあってそれに鴻上尚史がコメントした。

一連のコメントはこちら→「就活黒スーツ記事に関する鴻上尚史氏のTwitter」

するとそのコメントに対して様々なTwitterがあった。

それについて、僕が思ったことを書いておく。

まず、「無難に黒スーツを選ぶ学生」について何の罪も無いと思う。鴻上尚史に「学生だっていろいろ考えて黒スーツ来ているんだ、学生を責めるな」という主旨のことを言っている人がいたけど、鴻上尚史はそんなこと言っていないと思う。

学生ははじめての就職活動で色々不安だろうし、服装なんかで「君、派手なスーツ着てるから不採用」なんて言われたくないだろう。「君のそのスーツいいねぇ、採用」ってこともあまり考えづらいから、だったら無難な黒スーツ着とけばいいや、となるのは仕方ないでしょう。

(しかしさ、最近は黒スーツが「無難」になったんだね。てっきり紺が無難と思ってたけど)

また、普通の人が「就活は無難に黒スーツ着ておけばいいよ」と学生にアドバイスすることについても僕は何も言わない。僕だってもしそんな相談受けたら「ま、普通のスーツがいんじゃない?あまり派手だと逆に目立っちゃうかも知れないしね」と答えるかも知れない。個人的には僕がもし採用担当者だったらノーネクタイとかジーンズで来たら「お、おもろいじゃん」と思うけどね。流石にTシャツ短パンで来られたら「おい」と思うけどそれは職種の問題であって、もし僕が別の職種ならOKかも知れない。例えば面接する側もTシャツ短パンだったりしてね。逆に「就活で黒スーツ着て自分を殺すなんてくだらないぜ、もっと好きな服着ようぜ」っていう人もいてもいいと思う。

僕が違和感があるのは東洋経済というマスコミが「就活は黒スーツがいいです」という記事を書いたこと。

なぜ違和感があるかというと、そもそもこんな当たり前のことをわざわざ記事にする必要があるの? そんなん東洋経済がこんなこと書かなくたって多くの就活生が黒スーツ着てるんでしょ?自明なことを記事にする意味がわからない。

むしろマスコミならさ「企業の皆さん、イノベーティブな人財が欲しいのであれば、自社に来る就活生には『好きな格好で来てください』と言いましょうよ、そして実際に興味深い格好してきた就活生を採用しましょうよ」という提言くらいしてもらいたいもんです。

企業も、スティーブ・ジョブズみたいな人財が欲しいなら、スティーブ・ジョブズみたいな格好している人を取るくらいの気概が欲しいもんです。無難に周りにあわせて黒スーツ着てくる学生を採っといて「最近の新卒からはイノベーションが起きない」とか言って、そんなんあたり前じゃん!そりゃそうだよ。イノベーション起こしたいなら採用面接でに全裸でベニヤ板つけて来るような学生取りなさいって。

まぁ、この記事やそれに対するやりとりについてはいいんです。

僕が一番驚いたのが上記、鴻上尚史に対するコメントで、こういうことを言っている人がいたこと。

「学生も着たくて黒スーツ着てるわけじゃない、就活失敗したら死ぬから必死で着てるんだ」

驚愕しましたね。

マジで!?就活失敗したら死ぬの!?知らなんだ~。

だとしたらそもそもまともに就活してないまま大学出てもう10年近く過ぎた僕とかドッピオさんなんてもう死んでるね、完全にゾンビだね。

もしかしたら僕の時代からは時が過ぎて今では状況は変わっているのかも知れない。僕らの時はまだマシだったのかもしれない。

大学から社会に出ることに不安で、とりあえず周りをみて無難な格好をしようと思う気持ちは本当に分かる。一生懸命、そういう空気に自分を合わせてる学生を馬鹿にする気持ちはまったくない。結果的に僕は就活しなかったけど、もし何か巡り合わせがあったら僕だって就活してたと思う、その時には僕だって周りにあわせて黒スーツ着てたかも知れない。

それでもね、僕は言いたい。

就活失敗したくらいで死なないって!就活まともにやってなくて、あるいはまともにやったけど失敗して、それでも楽しくやってる人間なんてたくさんいるって!

もちろん、「せめて正社員になってくれ」「就活は大事だぞ、頑張れ」という真っ当なことを言う大人がいるのは大事だと思いますよ。親御さんとかね。
世の中の風潮が完全に「就職活動なんてしなくていいんです~、楽なことだけしましょうよ~」ってなったらそりゃ良くないと僕だって思う。でもさ「就活失敗したら死ぬ」ってのはあんまりじゃないですか? 「ベストを尽くしたほうがいいと思うよ。ベストを尽くしても内定取れなかったらそれはその時考えようよ」とくらいのスタンスでいたほうがいいんじゃないかな。仮に本当に就活失敗したら不幸になるとしたら、そんな社会こそおかしい!と声を大にして言おうよ。

就活生は就活生なりに頑張ってるんでしょう。頑張って、それでも残念ながら内定取れなかったとして(まともに就活して内定が取れるかどうかなんて最後は巡り合わせだと思う、本人の人間性や努力の問題じゃないと思うんです)、そんな人間がたかだか20歳そこらで「死んだ」と言われる社会って絶対おかしいでしょ?

さらにこういうことをTwitterで書いたら「確かに今の日本では非正規は死んだも同然ですよね」って言う人もいて更におどろいたでゲスよ。

少なくとも僕は誰に対してであれ、生きてる人間に「あなたは死んだも同然ですよね」なんて言いたくない。

怒らせちゃいけない人

2014-09-05 16:14:08 | 
最初に読んだ内田樹の著書は「日本辺境論」だったと思う。むめもさんから薦められたと思うんだけど、当のむめもさんに「読みましたよ」と言ったらぴんと来てなかったような気もするので僕の勘違いなのかも知れない。

内田樹の本と言うのはだいたい「ああ、なるほど!」と膝を打つことばかりです。「なんとなく今までなんでだろ?と思ってたんだけど、そういうことだったのね」と思わされる。

僕の印象だけど、内田樹の言うことは「真っ当」なことが多い。偽らず、ただ本筋の「真っ当」なことを言っている。

(話がずれるけど、真っ当なことを言う内田樹の本がこれだけ売れてるというのは、現代日本には真っ当なことを言う人が少ない、という証でもある)

更に加えて最近思うことは「こういう人は怒らせてはいけないな」と言うこと。

普通、そういうと「怒ると激昂してなにするかわからない人」というイメージを持つかも知れないけどそうじゃない。合気道七段の人がそんな人なわけないじゃないですか。むしろそういう人とは真逆。

そういう人(怒ったら激昂して何しでかすかわからない人)というのは実は扱いやすい。それはつまり「子ども」ってことだから。子どもは扱いやすい。「はい、よちよち、良い子でちゅね~、元気でちゅね~」ってやっときゃいい。「いいよ、あいつなんか勝手に怒らせとけよ」なんて周りは言う。ほんとの「子ども」ではなくて「精神的子ども」と言うことね。

内田樹を「怒らせてはいけない」というのは真逆です。たぶんこの人が怒ったら、何かに「嫌だ!」と思ったらテコでも動かない。「まぁまぁイイじゃないですか」と言っても動かないだろう。動かないどころか、何とかしてその「嫌な状況」を変えるために全身全霊を尽くすだろう。本人は、自分は嫌だと思ったらすぐ逃げる、近づかない、と言ってる。でも逃げられない状況に置かれたら何とか変えようと思うんだろう。そのためには多分、手段を選ばない。と、言うと最短距離、一番楽な手段を取るような感じだけど、そうじゃない。かなり聡明な人だから「最短距離が最も効果的とは限らない」ということまで分かってる。

それは、めちゃくちゃなこと言ってる「子ども」に「うるさい、ばか!言うこと聞け!」とゲンコツ食らわすのに似てる。確かに一度は静かになるかも知れない。でもゲンコツに耐えられるようになったら(例えば身体が大きくなったりね)、たぶんその子どもは「もうゲンコツなんか怖くねーよ!」とまためちゃくちゃなことを言い出すだろう。
この場合、ほんとに効果的なのは、笑顔と静かな声でゆっくり近づいて真っ当なことを言うしかない。「まぁまぁ落ち着きなさい」と諭して、心を尽くして「いつか伝わる」と信じて語るしかない。

たぶん、内田樹はいま怒ってる。この、「子ども」ばかりの日本に怒ってる。本当なら逃げたしたいんだろうけど、それが出来ないのも分かってるんだろう。長年かけて築き上げて来たこの国を子どもたちがボロボロにしようとしてるのが許せないんだろう。

だから、一番効果的な方法、一見遠回りに見える方法を取っているんじゃないかと思う。

内田樹の「怒り」はこの本の前書きを読めば分かる。

少し抜粋します。

---
「経済成長が止まったら日本は終わりです」と断言する人に聞きたいのです。何が「終わり」なのか。2012年の経済成長率世界一はリビアです。カダフィが死んで、内戦状態にある国が成長率世界一です。二位はシエラリオネです。独立以来内戦が続き、「国民の平均寿命が世界一短い国」と嘆かれたシエラリオネが第二位です。三位がアフガニスタンです。米国が撤退したらカルザイ政府とタリバンの内戦が始まることが確実なアフガニスタンが第三位です。これらの国の成長率の高さと「国民の豊かさ」の間にどういう相関があるのか、経済成長論者は説明する義務があるでしょう。でも、誰も説明してくれません。
---

ね、怒ってるでしょ?訳の分からん数字(経済成長率)を持ち出して人々の危機感を煽る人々に。そしてその数字の背景をまったく説明してくれない人々に。

そして、内田樹の怒りがどうすれば鎮まるのかはこの本の本文に書いてある。

たぶん、内田樹はこの本を読んだ何人かでもいいから「子ども」を「大人」にしようとしているんだろう。それも書いてある。全国民の7%くらいを大人にしたい、と。たぶん、そういう社会にして、本人は大好きな合気道だけやって生きていたいんだろう。

僕も「内田樹が合気道だけやってる社会」がいつか来ればいいなと思っています。

晴天の霹靂

2014-06-02 19:44:37 | 
「晴天の霹靂」という映画を観てきました。

予め言っておきますけど、オススメですから少しでも気になったり、ちょっと暇なんで映画でも見ようかな、と思っているならご覧になられたほうがいい。誰が出てるとか監督が誰だとかストーリーがどうとかなんにも知らないほうがいいと思う。僕の文章なんてもちろん読まなくていい。

だもんで予告編動画も貼らないでおきます。



というのもまったく予備知識がなくて「なんか大泉洋が出ててちょっとほんわかした映画なんでしょ」と少しバカにした気持ちもありつつ観に行ったの。どうもすいません。

観たら想像以上に良くてですね~。「いいから黙ってこれ観て」という感じで映画をオススメされて、ほとんど何も知らずに映画を観るという経験(その映画が面白かったら、だけど)は、いいですね。

話としては、大泉洋は売れないマジシャン。後輩にも追いぬかれてバカにされている。この後輩ってのが「桐島、」のキャプテン。髪型変わっていたので最初わからなくて「どこかで観たことあるなー」と思ってました。行方しれずだった父親が無くなったという連絡があり、遺骨を引き取りに行く。そこで不思議な落雷があって40年前にタイムスリップしてしまい、そこで、当時の父(劇団ひとりが演じてる)と出会う、という話。

大泉洋と劇団ひとりが、昭和浅草の演芸場でコンビを組んで舞台に上がるんだけど、さすがに舞台出身俳優とお笑い芸人、舞台上で巧いんですわ。普通の俳優さんが芸人役で舞台に上がったりしててもあんまりおもしろくない場合があるけど、この二人はやっぱり違った。舞台慣れしているというのか呼吸がいいというのか。

いまさらなんだけど、改めて、大泉洋っていい俳優さんだねぇ。コメディも出来るしシリアスも出来る。「探偵はバーにいる」シリーズの頃から思っていたけど。劇団ひとりもこんないい俳優だとは思わなかった。役として昭和40年代の人の役なんだけど、服装とか髪型とかなんとなくの表情とかが本当にそれっぽかった。柴崎コウももちろん悪くない。女優を綺麗に撮る、というのは映画の基本ですからね、良かったですよ。

役者と言えば「桐島、」組の俳優さんが結構出てた。冒頭にキャプテン、中盤に武ちゃんと先生。もうこれだけで桐島好きしては5億点ですよ。特に先生はセリフもたくさんあっていつも怒ってる役で良かった。

話の筋としてはお涙頂戴ものであまりにもセンチメンタルすぎるような気もするけど、それでも役者同士のアンサンブル、監督の腕がよくってすっきり見られたですよ。

まったく予備知識が無かったんだけど終盤のストーリー、またラストシーンの切れ味が素晴らしくて「これは監督の腕がいいんだな、誰なんだろう?」と思いエンドロールを最後まで見ていて驚いた。なんと監督は劇団ひとりなんです。更に原作小説も劇団ひとり。え?この人、こんなに才能あったの!?と驚きました。

とにかく面白かったし、驚いた。まさに自分にとってこの映画の存在自体が「晴天の霹靂」だった。と、うまいこと言ってみる。

うきわ

2014-05-21 12:09:29 | 
「文学とは何か?」という問いに僕は答えられない。

でも、この漫画を読んで「これぞ文学だよなぁ」と思った。



常々、演繹法より帰納法で考えるタチなので「自分がこれを文学と感じたということは、そこから自分の考える文学が分かるかも知れない」と思って新幹線の中で考えてみた。

たぶん、僕の考える文学って審美性(美しさを描くこと)と語用論性(すごーくシンプルに言うと、伝えたいことをまわりくどく伝えること)なんじゃないかなと思う。

いい漫画なんですよ、ホント。

テーマは「浮気」、だからタイトルがうきわ」なんですな。浮気されてる二人が見つけたうきわ、つまり「拠り所」。

読んでると「なんかふたりともどうしようもないなぁ」と思ってくる。でも「仕方ないよなぁ」とも思う


ネットでも観られますからよろしければどうぞ→「やわらかスピリッツ-うきわ
※ネット上ではいくつか公開を終了している回がある。まぁ、話の全体的な流れはわかると思うけど、、

ゴーン・ガール

2014-03-19 17:40:57 | 
ネットで紹介されてて、面白そうだなと思った本がちょうど図書館にあったので借りて読んでみた。
ゴーン・ガール 上 (小学館文庫)ゴーン・ガール 下 (小学館文庫)
「ゴーン・ガール」

(関係ないけど上下巻並べると絵になる装丁の本っていいよね)

「イヤミス第一位」ってあって何だろ、と思ったら「嫌なミステリー」だってさ。言っていることはわかるけど、その一位を読むってのも物好きな話だね。もちろん僕のことね。

冒頭はシンプル。いろいろあるけど普通に暮らしている夫婦の奥さんがある日失踪する。それに気づいた旦那の章と奥さんの章が交互に描かれる。

肝としては旦那の章はあくまで現在進行形であるのに対して、奥さんの章は数年前からの日記、つまり「過去」ということ。

特に奥さんの章で描かれる旦那の描写が、僕は同じ男性として「ああ、こういうとこダメだよなぁ」と思いつつ「でも、こういうとこあるよなぁ」と身につまされました。

旦那はもちろん普通の男だから奥さんを殴ったり反社会的なことをやっているわけではない。

ただ男がよくやる「女性からの信頼を少しずつ損なっていくこと」をやっているだけ。

これがねぇ、痛いんです。男なら少なからず皆やっている場合があることだから。

僕が「ああ、、、」と思ったのは「女性から聞いた話を覚えていない」ということ。例えばこの小説の中では「来月のいついつは誰々と食事に行く」なんてことを奥さんが言ったのに覚えていなくてその日に「食事に行かない?」と誘っちゃう、とかね。

これをやられると「こっちの言ったこと覚えてないんだな」と思われちゃうよね。

でも、僕よくこれやります。ほんとにごめんなさい。

聞いていないわけじゃなくて、聞いているつもりなんだけど、単純に頭からスポッと抜けてしまうだけ。いや「それを人の話をちゃんと聞いてないと言うんだ」と言われればごめんなさい、というしかないけどさ。

仕事でもなんでも手帳にメモをしないと忘れてしまうから、すぐにメモをしておくようにしている。メモをした瞬間に「よし、忘れていい」と安心しちゃうんだよね。

「記憶力がないんだ」というのは好きなもの(例えば映画とか、どこぞで食べた豚バラとか)をいつまでも覚えているんだから当てはまらないと思う。

いやぁ、嫌ですね、我ながら。

「愛」があれば必ず伝わる

2014-02-03 18:33:13 | 
プレゼンテーションの「技術」って最近流行ってるんじゃないかな。

聴衆の前に立って何かを喋るとき、いかに巧く伝えるか、っていう技術。たぶん本屋に行けば売るほどある(という意味の無いジョーク)

僕は仕事柄そういう機会があるからそれなりに勉強した。もちろんプレゼンテーション技術って大事だと思う。ぼそぼそとよくポイントのわからない話し方だと確かに伝わらないよね。どういう論理構成にするか、どこにポイントを持ってくるか、どういう資料を使うか、どういう声の大きさで、どう身振り手振りを加えるか、という技術はもちろん大事。

でもさ、技術だけじゃダメなんだよ。

こないだ、ある講演会に行ったの。

時代劇研究家の春日太一氏の「池波作品映像化の技法」というもの。まずこの春日太一氏という人は僕が2013年Book of the yearの1冊に選んだ「あかんやつら」の著者です。

今の時代に、しかも春日太一氏のように若い(30代中盤)人が時代劇研究家を名乗っているというのが非常に興味深い。

「あかんやつら」は京都東映撮影所という日本映画の黄金時代を気づいた場所とその周囲に集う人々のノンフィクションだった。熱くて、いい本でしたよ。


で、その春日太一氏が浅草の生涯学習センター(うちの近所にある結構立派な建物で、図書館が入っているのでたまに行く)で講座をやるってのを道端の掲示板で見た。


正直、時代劇についての知識というのはほとんど無いし、池波作品もほとんど読んでいないんだけど、春日太一氏の話を近所で聴けるというのは貴重な機会なので行ってみた。

結果ね、すごーく面白かったんですよ。今回のテーマは「鬼平犯科帳」で、僕はほとんど知らないのに大変に話が面白かった。

面白いだけではなくて、感動した。ところどころ涙を流しそうになった。春日太一氏は持論を展開した後に「例えば鬼平○話で、こういう台詞があります」と脚本のセリフを読み上げるんだけど、そういうところで涙が出そうになった。

聞いてて改めて感じたのが「プレゼンテーション技術も大事だけど、それよりもっと大事なことがあるな」と言うこと。春日太一氏はいわゆる「プレゼンテーション技術」をほとんど使っていない。ただ、90分間身振り手振りもアイコンタクトも無く話しているだけ。

もしこれがプレゼンテーション技術バリバリの講演、例えばオバマ大統領のスピーチなんかを思い出して欲しいんだけど、熱っぽく身振り手振りも満点だったら、何も知らない僕が感動するのはわかるんです。

でも春日太一氏はそうではなかった。じゃあなぜ、僕は感動したのか。講座を聴いた後、それを考えていた。

で、思うんだけど、たぶん根本にある「愛」が大事なんじゃないかと思う。

春日太一氏はたぶん、時代劇を大変愛していて、その愛に基づいて徹底的に調べている。そして「何としてもこの面白い時代劇というものを多くの人に伝えたい」と心の底から思っているんだと思う。少なくとも僕はそう感じた。

やっぱりこれですよ、人に何かを伝えるって。「とにかく伝えたいんだ!」という強い気持ちが無い人がいくら「技術」を学んでもそれは絶対に伝わらない。

逆に「技術」が無くても(技術が無い技術が無いと繰り返して春日太一氏には本当に失礼な話だけど)、「これを伝えたい!」と強く思っていることがあって、更に伝えるために夜も寝ないでそのことを調べていれば、絶対に伝わる。たぶん春日太一氏は寝る間も惜しんで鬼平の原作を読み、ドラマを観て、脚本も読み込んでいるんだろうと思う。そうじゃなきゃあんな風に話せないと思う。

残念ながら時代劇という分野は現代日本では消えつつある。だけどその面白さを「愛」を持って語る春日太一氏は日本にとって必要な人だと思う。

僕だって講演を聞き終えた瞬間「鬼平読みてー!鬼平ドラマ観てー!」って思ったもの。来週もあります。来週は「仕掛人 藤枝梅安」、楽しみだ。

The book of the year 2013

2013-12-31 22:50:37 | 
ついこないだ夏が終わって半ズボンをしまったと思ったらあっという間に年が終わるねー。ほんとに9、10、11、12月ってのはあっという間。

個人的 The book of the year 2013ということで今年僕が読んだ本のベスト1を。本に順位をつけることなんて何の意味もないじゃないかと思うところもあるけど、まぁ何となくね。あくまで「僕が今年読んだ本」なので今年出た本とは限りません。

まずはランクイン作品から。


京都東映撮影所を追ったドキュメント。ほんとに映画が好きで、中には映画撮影所にしか居場所が無くて、ここで毎日映画を作っていた人たちの話。「今だったら絶対問題になるよなー」と思うことがバシバシ起こってる。
これ読んで知ったんだけど、僕は映画「探偵はBARにいる」が好きなんだけど、この作品の監督は東映の流れをくんでいるらしい。


パッと見つけて(たぶん鹿児島の本屋さんだった)「こりゃ面白い!」と思った漫画。倦怠期っぽいカップルを男性と女性の視点から書いているというのは面白いよなぁ。


これぞ僕が読みたい伊坂幸太郎でした。何気ない普通の人のセリフが何か重大な人生の指針のように感じさせるというのはやっぱりうまい。


落語家、立川談志最後の日々を看取った娘さんの日記。もしこれが大落語家とその娘の話ではなく、普通の父娘の話だったとしても僕は泣いていたと思う。それくらいこの著者の文章が巧い。名文だと思う。ふと、父の思い出を語りながらただ最後「月がきれいだった」と切り替えるところがある。これが非常に巧い。くどくどと語らないところが非常に小説的だと思う。


今年、一番読んだ漫画はこれかも知れない。「止界」という時が止まった世界に入れる人々のSFサスペンス漫画。これ面白いよー。町山智浩が語る「悪役論」というのがあって、物語の中で単に「善役と悪役」という構図だとあまり面白くならない。作者の本当の欲望が悪に投影されているとその悪役は魅力的になる。たとえばジョジョのDIOにしてもそれは単なる悪ではなく作者の「強くなりたい、永遠の命が欲しい」という欲望が投影されており、それを、それでも作者の善性の象徴である主人公が倒すのでカタルシスになるのだと思う。そういう点でこの漫画の「佐河」は明らかに作者の本当の欲望の象徴だと思う。
止まっている時の中で、佐河と塩見の一瞬の判断は名シーンだった。
この作品は本当にダラダラ続けないでしっかりと結末をつけてほしい。9巻くらいで終わるのが理想だなあ。


いやもうほんとに待ってましたよ。荒木飛呂彦の短編集。「六壁坂」を未読だったので読めて本当にうれしい。しかしさぁ、こんな話思いつくなんて確実に頭おかしいよね(褒めてます) 「密漁海岸」がほろっとするくらいいい話だったなぁ。杜王町に住む人々には本当に幸せになってほしい。


ああ、これについてはちゃんと書かないといけないな。ここでさっと語れる本じゃない。「攻殻機動隊」「パトレイバーシリーズ」の映画監督、押井守の本。この人の映画は僕はあまり観ていない。「パトレイバーシリーズ」くらい。でもこの人の本と言うのは断然面白い。この人が語るテーマは常に「勝敗論」、と言っても「人に勝つ」とか「金持ちになる」っていう勝利じゃない。おそらくだけどこの人のいう勝利は「自分の好きなことをいかに好きなようにやるか」ということ。
この本は毎回、一つの映画を取り上げてそれぞれにおける「勝利」を語っている。特に面白いのが「上からはめちゃくちゃな目標を言われ、条件は悪い、部下もいうこと聞かない」という映画が多いということ。「マネーボール」「プライベート・ライアン」「パトレイバー2」など。中間管理職の人にとっては参考になる話が多いと思う。
もともとこの本は「勝つために観る映画」というタイトルでWebで連載されていた。でもそのまま収録されているわけじゃないから書籍版を買う意味はあると思いますよ。
Web版では最初のほうに取り上げられた「ロンゲスト・ヤード」が書籍版では最後に来ているというのに著者の意図を感じる。おそらく、伝えたいことはこの映画に入っているんだろう。


内田樹の本は今年「見たら買う」という状態で結構読んだ。元々、合気道を始めたのはこの人の本を読んだというのも理由の一つ。それなりに真面目に合気道をしているけどやればやるほど「ああ、こういうののために自分は合気道をやっているのね」と気づくことがある。

さて、僕にとってのThe book of the year 2013は、、






「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」



個人的ランキングですから、どうかご勘弁を。「村上春樹だったらなんでもいい」ってわけでは決してないんだよ。この小説は本当に良かったの、僕にとって。僕は村上春樹の長編の中で『国境の南、太陽の西』がベスト3に入るくらい好き、という非常に変わった人間なわけだけど。今回のこの小説は『国境の南、太陽の西』と同じような感じがしたんだよなぁ。

『1Q84』は2009年のThe Book of the yearにしたんだけど、僕は『1Q84』よりこちらのほうが好きかも知れない。

何故なんだろうなぁ。分からないけど好きなんですよ。「世界中でたった一人の僕のためだけにこの小説は書かれたんじゃないか」と思ったもの。

好きなんです、とにかく。しつこいね(笑)


さて、今年も終わる。

年末になると「七味五悦三会」という言葉を思い出す。江戸時代の言葉らしいんだけど、「1年の間に七回くらいは美味しいものを食べ、五回くらいは楽しいこと(悦)があって、三人くらい良い出会いがあるといいものですなぁ」という意味だそうです。当時の人は年末にこの言葉を思い出し、今年そういうことがあったかどうかを考えたとさ。

指折り数えてみると両手で数えきれないくらい美味しいものは食べた。五回どころじゃなく楽しいこともあった。だってバーベキューを4回もやったからね、今年は。素敵な出会いもあった。残念ながら別れもあった。でも出会いも別れも無いよりは何かがあったほうがいい。

「かぐや姫の物語」の物語を観てそう思ったよ。せっかくこの世に生を受けて、愛を受けて育ったけども思い通りにならないことばかり。「こんなはずじゃなかった」「ここは自分が本当に居たい場所じゃない」と思いつつ日々を過ごして最後にはお迎えが来て無に帰す。どんなに泣き叫んでもそれを拒むことは出来ない。じゃあそんな人生に意味があるのか? でも、何もないよりはあった方がいい。

そういうことです。

今年もお世話になりました。とにかく皆さん、ありがとうございました。大層面白かったです。

来年も理力があなたと共にあるように。
(May the force be with you.)

地獄八景亡者戯

2013-12-19 16:48:24 | 
お誘い頂き桂雀々という落語家の「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」という落語を聴いてきました。


これはその後、飲みに行った店のステーキ。久々にこんなにドンとしたステーキ食べたなぁ。

で、落語の方はというと個人的に桂雀々という落語家の「野望」(いい意味で)を感じた落語でした。

まず「地獄八景亡者戯」という噺を説明させてください。元々は上方の話。それを桂米朝という人間国宝が持ちネタとした。(桂雀々の師匠は桂枝雀という人で米朝の弟子)

話の筋としては間抜けな男がサバにあたって死んでしまい、地獄に行って三途の河を渡って閻魔大王に会う、、という噺。でもこの筋は正直言ってどうでもいいっちゃいい。

この話の構造が素晴らしいのは舞台が地獄と言うわけで近年亡くなった有名人をどんどん盛り込めるということ。

例えば地獄の入り口で「はい、男はこっちに並んで、女はこっち、ああ、外国人はこっちの列、なんか偉そうな人が来たなぁ、あ、マンデラさんかいな」とかね。もちろんこれだけじゃ笑いにならない。今回は「なんかデタラメな手話の人もついてるなぁ」と言っていた。

この構造が素晴らしいでしょ。

地獄の中心に冥途筋という繁華街があってそこは人通りも多くて店もたくさんある、という設定。

「そこでハンバーガーも食べられますよ、メイドナルドで。そうそう最近、カフェが出来て大人気なんですわ、ハカ―バックス、みんなハカバ、ハカバって言っててねぇ、墓場でコーヒー飲もうって」

ハカ―バックス、略して墓場って笑ったなぁ。

そこには劇場もあって何せあの世は人材が豊富なのでいろんな出し物がある。歌舞伎なら中村勘三郎は1代目から18代目まで全部そろってる。落語だって昭和の四天王と立川談志だ集まって笑点ならぬ昇天で大喜利をやっている。あの人間国宝、桂米朝のチケットだって売れている。

「いやいや米朝はまだ生きとるがな」「へぇ、前売り券で」

「漫才もなんでもある。エンタツアチャコ、ダイマルラケット、夢路いとしこいしからなんでもおまっせ。一番人気は松鶴家キリストと浮世亭マホメットの論争漫才。ただねぇ一人一人は人気があるんですが、どうも一緒になるとかみ合いません」

もうこういうギャグのオンパレード。落語を文字で書いてるわけだらこれ読んでもおしろくはないだろうけど、実際に聞いていると爆笑。更にこれ90分もある長い話。演じるほうはハイテンションで喋って動いて大変ですよ。


で。僕はこの話を聞いて桂雀々の野望を勝手に感じたの。

まず枕というか前説でこの話の説明を簡単にしたのね。

「上方落語は大変です、色々鳴り物も入ってくるのでそれに合わせないといけなくて。江戸落語ならただ一人で芝浜やってしんみりさせて『ああ、大みそかだなぁ』と思わせればいいだけの話ですが」

上方落語は話に合わせて舞台そでで鳴り物と言われる三味線や太鼓を鳴らす、いわばBGM。一方江戸落語にはそういのは無い。

もちろん上方が大変で江戸が楽だ、なんて思っているわけじゃなくて、ここで江戸落語における年末の風物詩『芝浜』の話をしたことに意味があるんだと僕は思う。

つまり「江戸落語の年末が『芝浜』なら、上方落語の年末は『地獄八景』にしてやる」という野望があるんじゃないかと思う。

そう考えると『地獄八景』は今年亡くなった有名人をどんどん「今年来たばっかり」ということで盛り込める。

あと三途の河を渡るときに鬼が今年の流行歌を歌って渡し賃を決める、というくだりもあるので流行歌を盛り込める。

更に今回は「今でしょ」「おもてなし」「じぇじぇじぇ」「倍返しだ」の流行語も入っていた。

つまり今年総ざらいの話に出来る構造を持った話なのだ、ということ。

少なくとも僕は「出来れば毎年年末に桂雀々の『地獄八景』を聴きたいなぁ」と思ったよ。



桂雀々の自伝。すごいよ。

更にこの本を読んでからこの人の師匠である桂枝雀のWikipediaを読むと本当に呆然とする。

○○なのに、○○

2013-12-16 16:52:36 | 
今年最後のバーベキューでした。

今年一番の寒さだったらしいけど天気が良かったので体感温度はそんなに寒くなかったよ。

バーベキューやると毎回思うんだけど楽しすぎて何を食べたんだか(食べたときは全部うめーうめー言っているんだけど)何を話したんだか記憶にない。酒も飲んでるしね。楽しすぎて写真もあんまり撮ってない。なぜかぜんぜいの写真が2枚だけ。
 
バーベキューで締めにぜんざいってのもすごいね、しかし。


ドッピオさんが撮ってくれた写真。なんかこう見ると「文明社会が崩壊した後、自活する現地の人々」って感じがするね。やってる本人たちは非常に楽しんでいるんだけど。


その後、新橋で二次会やってて話していたこと。

先日ね、友人(女性)から恋愛相談を受けてまして。まず僕に相談するってのがあんまり正しいと思えないけど。「とりあえずなんにでも回答を出す」ってのが僕の得意技なもんですから。

「その人のどこが好きなの?」って聞いたら「スゴイ人なのに自分でそれに気づいていないところ」って言ってたんだよね。

それ聞いて、人が人を好きになるのって「○○なのに、○○」だよなぁと思った。

そういうのって多くないですか。「頭がいいのに偉そうじゃない」とか「仕事がすごく出来るのに人にやさしい」とか。

これって異性を好きになる、という場合だけじゃなくて、同性でも「ああ、いい人だなぁ」と思う時ってこういう時が多いと思う。つまるところ二面性なのかも知れないね。

僕自身は「好きな異性のタイプ」ってあんまり信じていない。「好きになった人がタイプだい!」ってところはあるし。

こういうのって過去を振り返って「ああ、結果的に好きになった異性はこういうタイプが多いなぁ」と思うのはいいと思うんだけど、好きな異性のタイプを決めて「こういうタイプ以外ダメ」って考えちゃうのってもったいないと思うし、意味がないと思う。結局さぁ、惚れちゃったらどうしようもないでしょ。

で、そういう視点で考えたときに自分の(四つ葉のクローバーのように数少なくて、リスのようにささやかな)経験に基づいてみると、僕がいいなぁと思う女性って「物腰が柔らかいのに芯が強い人」が多いんじゃないかな、と思う。いいよね、そういう人って。

途中からでも大丈夫

2013-12-05 22:07:30 | 
塩野七生の「ローマ人の物語」をガシガシ読んでたのは2008年。なんとまぁもう5年前になっちゃうんですね。

それで「ローマ人列伝」を書いていたのが2009年。いま考えてもよう書いたもんだなぁ、と思いますよ、我ながら。

まとめはこちら→「ローマ人列伝まとめページ

(自分で言って申し訳ないけど「ティベリウス伝」「ネロ伝」「ハンニバル伝」は自信あります)

「ローマ人の物語」は既にすべて文庫化されて久しく、僕もたまーに「あ、カエサルのあのとこ読みたいな」とか思って部分部分ぺらっと読み返すだけ。でもね、改めて思い返しても面白いシリーズだったなぁと思いますよ。

たまに「ローマ帝国と一緒じゃないか」とか「こういうときアウグストゥスならもっとうまくやるんだろうなー」とか思ってる。

面白いんだけど、さすがにハードカバー15冊、文庫本でも40冊というボリュームを前にすると普通の人は躊躇するよね。

そういう時、僕は「別に頭から最後まで一気じゃなくて、ところどころ読んでも面白いすよ」という進め方をする。

ということで、「少しでも興味あるならここだけでもどうぞ」というオススメしておきます。(末尾にあるのはハードカバー全15巻中の巻数)

<ハンニバル戦記> 2巻

戦記物が好きだったら絶対面白いですから大丈夫。既に弱小国となっていたかっての大国カルタゴが生んだ稀代の天才ハンニバルがどうローマを追い詰めたのか。これはドキドキワクワクの大活劇です。

<ユリウス・カエサル ルビコン以前> 4巻
<ユリウス・カエサル ルビコン以後> 5巻



「とにかくカエサルは面白いから」というだけでオススメするのがこの2冊。2冊でもヘヴィというのであれば「成り上がる話」が好きなら「ルビコン以前」、政治的暗躍話が好きなら「ルビコン以後」だけでも。

<パクス・ロマーナ>  6巻

僕が一番好きなのはこれかも知れない。1000年に一人の天才カエサルの後を継いだアウグストゥスの活躍。心躍る戦記ものではまったくないし、むしろ元老院とのやり取りだけなんだけど、とにかく面白い。マネジメントだとか経営戦略面としても学ぶ事が多い。

<悪名高き皇帝たち> 7巻

これもほんと面白いんだよなー。(←今回、面白いしか言ってない) これと次の「四皇帝の一年」は北野武監督で「アウトレイジ・ローマ帝国 ~全員悪人~」として映画化してほしいですね。


書いてて思ったけど正直8巻以降はやっぱり前半のどれか読んでないとちょっと楽しめないかもなぁと思った。ひとつだけ、10巻は独立していてローマ帝国時代の建造物とかインフラについてのもの。これから入るってのはちょっとマニアックかも知れない。通して読んでると楽しめるんだけどね。

とにかく上記に挙げたものはどれも面白いんでどれかから読み始めて「で、どうなるのかな」と次の巻に進んでもいいし、「なんでこうなったの?」と前の巻に戻ってもいいと思う。

ちょうど年末年始の休みにぴったりだと思うよ。

ドラムが女子

2013-11-28 17:26:19 | 
たまにラジオを聴いている。

で、こういうののいいところは「偶然、面白いものに出会うことがある」っていうことだと思います。特にラジオだと音楽ね。

聴くとはなしに聴いていると「あ、いいじゃん」という曲に出会うことがたまにある。

テレビももちろんそういう場面はあるんだけど、どうしてもテレビって視覚を使うメディアだから使い勝手がよろしくないし、偶然面白いものに出会うことを期待して観るには効率がよくない。CMもたっぷり入るし別に見たくもないトークとかも入るし。

先日も流れていた曲が「あ、いいじゃん」と思って即、iTMSで購入した。

しかしさぁ、改めて言うけど、本当にiPhone便利ね(いまさら)

iPhoneでラジオ聞いて「いいな」と思った曲はその番組のTwitter見ると曲名がすぐわかる。そのままiTMSで購入。動かしているのは指先を数センチだけ。すごい時代だと思うよ、改めて。

で、購入したのは「ゲスの極み乙女。」というバンドの「キラーボール」



すごいバンド名だねしかし。

まずドラムが女性ってのがいい。だいたいドラムとかサックスとかを女性がやっているのは僕は好きなんだよなぁ。あとベースも良いね。なんつんすか、チョッパー奏法ってんですか。よう知らんけんども。

歌詞もいいじゃないですか、なんとなく毒があってさ。

---
ああ、もう笑えるくらいに
嫌気がさして
朝5時
踊りつかれた僕は
あの子の家まで行ったんだ
そしたら君は涙を流して
僕に寄ってきた
僕は言ったんだ
「いつもこうやってるの?」
---

最近、こういう情景描写の歌詞って減ったと思う。

「愛してる、さびしい、会いたい」とか気持ちを歌ってるだけの歌詞って多いでしょ。それはそれで別に否定はしませんが。そうじゃなくてただ情景を描写することで言葉にならないその時の気持ちを感じさせる歌詞ってのは好きだなぁ。

例えば、
---
江ノ島が見えてきた 俺の家も近い
ゆきずりの女なんて 夢を見るよに忘れてしまう
さっきまで俺一人 あんた思い出してた時
シャイなハートにルージュの色が ただ浮かぶ
---
岩場のデッキチェアーで 君のリボンに見とれてたら
僕の指を噛んだのは何故?
---
こういうのいいねぇ。その一連の流れをこの曲には感じるの。

もうすぐアルバムが出るらしいからたのしみだ。

三回忌

2013-11-27 13:48:53 | 
立川談志が亡くなって丸2年ということで三回忌。先週、談志まつりが開催された。4日間に渡って落語あり、トークあり、秘蔵映像あり、というもの。

ちょっとした繋がりで光栄なことにお誘いいただきそのうちの1日だけ観ることが出来た。

秘蔵映像ですごかったのは「芝浜」の稽古。

(僕が以前「芝浜」について書いたのはこちら→「だんしがしんだ」)

亡くなるほぼ1年前に弟子の落語会にゲスト出演した際、楽屋に引き上げながら「講談のほうができるんじゃねぇかな、ちょっとやってみようか」と「二度目の清書」という講談を喋りはじめる。楽屋で着替えながらそれを10分くらい続けた後、「芝浜もちょっとやってみよう」と「芝浜」を始める。

これがすごいのよ。映像の後ろに掛け時計がかかっていて経過時間が分かる。着物を脱いで、着替えながら、立ったままずっと「芝浜」を喋っている。なんと40分もの間。

僕自身はもともと古今亭志ん朝という落語家が好きだったんだけど、この談志の映像を観ていたら泣けてきた。「ああ、自分は談志が好きだったんだなぁ」と今更ながら気づかされた。

この映像の最後、稽古を終えた談志がふっと振り返って「この映像、楽屋稽古とか言って高く売れるよ」とニヤッと笑うのがまた談志っぽくてすごい。

ステージ上でも何人かが、また、打ち上げにも参加させていただきそこで話した人たちが言っていたことで印象的だったのが「いまだに『いま談志が生きていたら何と言うだろう』と考える」ということ。

確かにそう思う。

「落語とは、人間の業の肯定」をはじめ、数々の名言を残した談志がいまの日本を見たらなんていうんだろう。たとえば2020年東京オリンピックについて、昨今の食品偽造問題について。なんて言うんだろうね。

それから談志の弟子、立川志らくの落語もすごかった。

ちょっと話が長くなりますが、立川談志の師匠は五代目柳家小さん。で、この人の落語で僕が一番好きなのは十八番「短命」。のそっとした小さんが面白くなさそうに仏頂面で喋る短命がなぜか爆笑なんだよね。

志らくが枕で「談志が死んだと言いますが私は認めてません。立川談志は私の中にいる。生前、師匠は『小さんは死んでねぇ、オレの中にいる』と言っていました。ということはつまり今の私の中には小さんと談志がいるわけで、、、うるさくてかなわない」と笑わせた後に「短命」をやった。

そこには連綿と続いてきた落語の歴史をただその瞬間に観たようだった。

当日、物販で立川談志の娘さん、松岡弓子と立川志らくの対談本が売っていたので即購入。

これは名著。

弟子立川志らくと娘松岡弓子が語るのは「落語家・立川談志」「師匠・立川談志」「父・立川談志」、そしてそこから浮かび上がるのは「人間・立川談志」

もちろん天才であるんだけど非常に面白くて優しい人なんだろうと思う。

(談志の優しさについてはこちらもどうぞ→「優しくなりたい」)

今の日本に必要なのはやっぱり立川談志、というか談志性、つまり「人の業を肯定する」ってことだと改めて思う。もっと自分の人の業について優しくならないといけないなぁ。

そうそう、手ぬぐいをいただいてしまった。

戒名「立川雲黒斎家元勝手居士」が染め上げてある。いやぁ、いいものもらっちゃったなぁ。家宝にしよう。

巧い!

2013-11-25 17:39:24 | 
コンビニコーヒーの話は前にした。→「よく考えた

でさぁ、セブンイレブンがMyBottleDrink「drop」っての始めたね。

まだ一都三県での先行販売だそうですが。

ハンドル付のボトルが1,980円で売ってて、ドリンクのポーションがいろいろあってそれぞれ90円。

巧い!

もうね、セブンイレブンのこの「商売の巧さ」にはびっくりしますね。いいか悪いかはまったく別として。

そのうち、このボトルの限定バージョンとかすごくかわいいのとか出すつもりだろうね。いまのボトル自体カワイイし。

ポーションもそのうちいろいろ出すと思うよ。人気ないのはどんどんやめて時期限定フレーバーとかさ。

もうね、巧い!

たぶんそのうち他のコンビニもマネするかもしれないけど、これは先行者メリットあると思う。

さすがにボトル買うほどではないので、ポーションだけ買ってみた。したらさ、これ、すごく開けづらいの。基本的にボトルにセットしてボトル操作で開けるようになってる。

これも巧い!

ボトルだけ買って、中身は他で入れる、っていうことだって出来るけど、セブンのポーションはこのボトルに入れたほうが便利、ということであれば、やっぱりセブンで買っちゃうよね~。

そのうち、「このボトル持って来れば、セブンイレブンのホットコーヒー(ほら、レジ脇で売ってるやつ)が○円引き」とかやるだろうねえ。

こういうビジネスは巧いね。

ちなみに、買ってみたポーションはそんなに美味しくはなかったです。でもいいの、やり方が巧い。

集中力と脳と姿勢と

2013-11-20 19:05:36 | 
池谷裕二という脳学者の人がいて、僕は好きで結構著書を読んでいる。

最初にこの人を知ったのはこの本。


それからこれらの本も面白かった。




この人の話を基に「やっぱりアウトプットが大事なんだ」という話もした。

で、この人のインタビューをネットで見つけた。

タイトルは「集中力UPのカギは、脳ではなく、筋力にあった!

もうこのタイトルの時点で「やっぱり!そうでしょ!」と思ったね。

詳細はインタビュー本文を読んでいただくとして、大事なことは。

集中力、というのは脳と関係がない、ということ。じゃあ何が関係しているのかというと「姿勢」、さらにそれを支える「筋力」。誤解が無いように言っておくとここで言う筋力って筋肉ムッキムキということではなくて、正しい姿勢を保てるだけの充分な筋力ということね。

もう本当に実感としても、今までの経験としてもこれはすごーくよく分かる。

脳は疲れない。(それはこの人の著書、『海馬 ~脳は疲れない』をお読みください) じゃあ何が疲れるかというと身体が疲れる。じーっと本を読んでいればそれを支える腕も疲れるし、じっと見ている目も疲れる。どこかが痛いという状態では集中することが出来ない。だから集中力が続かない、ということになる。

更に言うと人間は「姿勢」に支配されている。文中で「猫背で決断したことより、良い姿勢で決断したことのほうが後の結果に自信を持てる、というデータが出ている」とも書かれている。

これは僕の個人的意見だけど、人間は姿勢も含めた「型」に大きく左右されるんじゃないか、と思っている。無理くりにでも「笑顔」という型を作っているとなんとなく楽しくなってくる。人間、年を取ってくると全身の筋肉が硬くなってくるから表情もあまりなくなってくる。表情がないとなんとなくつまらなくなってくる。

(もし満員電車で全員、無理くりにでも笑顔になって、ちゃんとお互いの目を見て大きな声で挨拶しあったら、車内の雰囲気と言うのはずいぶんよくなるんじゃないかと思っているんだけど、どうだろう)

例えば神社とかに行って「やっぱりこういうところに来ると静謐な気持ちがするなぁ」と言うのも僕は逆だと思っている。神社から何かのパワーが出ているわけではなくて、お賽銭を投げて背筋を伸ばして合掌して目を閉じるという「型」をやっているから脳が「あ、ここはちゃんとした場所なんだ」と感じているんじゃないかと思う。「ここでは姿勢よくして目を閉じなきゃいけないな」と思わせるってことはパワーが出ている事なのかもしれないけど。

少しだけだけど教壇に立っていた経験からもわかる。やっぱり姿勢のいい子というのは成績がいい。成績のいい子というのはだいたい姿勢がいい。机にだらーっと座っていて実際テストさせると出来る、という子ははっきり言って見たことがない。
これはたぶん、頭がいいとか悪いとかそういうこととは関係がない。姿勢がいい、ということは集中力が続いているということで、集中力があるのであれば聞いた内容が頭に入る、ということだろう。

とにかくこの話は直感としても、経験としても、ロジックとしてもすごくよく分かる。

つーことで姿勢よくしようと思います。