今日は私の誕生日。
そう、「永遠の14歳」は、ルネが来日した年の年齢!
さあ、シマ姉は何歳か、計算してみよう!(爆★)
そして、誕生日メッセージをたくさんありがとうございました これからも頑張ってルネ記事をアップしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします!
▲カナダの記事より これこそ歌う「王子様」ですね
今回紹介する記事のタイトルは、「カナダからきた歌う『星の王子さま』ルネ・シマール」!! ルネの日本デビュー前の売り出しには、ルネの天使の歌声や歌唱力よりも、容姿の可愛さや生い立ち、カナダのアイドルであることに注目したものが多かったようです。
過去ログで何回か書いていますが、ルネについて書かれた記事に「マーク・レスターのような美少年でもなければ、西城秀樹のように男らしくもない」というフレーズがありました。でも、後に見たこれ以外の記事では「可愛い」や「美少年」という評価がほとんどでした。しかし、当時このフレーズが脳裏に焼き付いてしまった私は、前出の記事が一般的なルネの容姿に対する評価と勘違いし、私の美の基準は普通とは違うと思い込んでしまいました。特にマーク・レスターのことを、私は美少年と思ったことがなかったので、この記事のせいで、反発して彼のことを嫌いになってしまったくらいです。
サン=テグジュペリの『星の王子さま』の挿絵の王子は「美少年」というより「可愛い少年」ではありますが、少なくとも、この記事でのルネも、「愛らしくて純粋で、歌うことが大好きで、家族のためにバーで歌う健気な少年」ととらえられています。当時、外国人タレント・ブームの上、日本人が大好きな「逆境に負けない健気さ」は、ルネの圧倒的な歌唱力を見せつけられる前でも、魅力的に映ったかもしれません。後で紹介する女性向けの姉妹誌「女性セブン」では、この記事が「週刊セブンティーン」に掲載された後すぐに、ファン・クラブへの問い合わせがたくさん届いたとありますので、ルネは、容姿の可愛さだけでも、日本人の心をしっかりとらえてしまっていたのでしょう。
カナダからきた歌う
『星の王子さま』
ルネ・シマール
運命の出会い---教会
そんなある日、教会で結婚式が挙げられ、ルネは聖歌隊のひとりとして、式に参列した。
例によって、ルネがソロのパートを受け持ち、、礼拝堂は清純で敬虔な空気で満たされた。
その式のあと、、ルネは、花婿に声をかけられた。
「わたしはギー・クルティエという。いつかきっと君にあうと思う。」
ギー・クルティエは、若いながら、タレントのスカウト・マネージャーとして独立したばかりだった。
ギーは、早くルネの才能をみぬき、いつか彼をプロの歌手として育ててみたいと考えたのだった。
「いつか君とあうとおもう」
ギーの予感は意外とはやく実現した。結婚式から数ヵ月後、仕事で地方へでていたギーのもとへ、母から電話がかかった。母は興奮した口調で、こう語った。
「いまね、テレビで天使が歌うのを聞いたのよ。そう、ほんとうに、あれこそ天使の声だわ。あなた、いますぐ、その天使と契約なさい。」
「もしかして、その子は、ルネ・シマールっていわなかった!?」
「そう……そうよ。でもおまえ、どうしてそれを知ってるの?」
母のいぶかることばをそのままに受話器をおくと、ギーは、ケベック市に車を走らせた。
ルネは、バーで歌ってお金をかせぐかたわら、テレビのスター登竜門番組に出演し、歌手としてデビューの機会をねらっていた。
ギーの母が見たのは、その番組のひとつ。息子の手助けをしようと、いそいで知らせたのだった。
母の知らせを受けて、ギーがかけつけたとき、ルネは10数人のエージェントにかこまれていた。
が、ルネはギーの顔をみると、ニッコリ微笑んでいった。
「ぼく、どうしたらいいの?」
ルネはまだほんの少年だった。勝手がわからずとほうにくれていた。顔見知りのギーに、助けを求めたのだ。
ぼくは歌うのが大好き!
いちばん初めに、才能をみとめてくれた、ということで、ルネはギーをマネージャーにえらんだ。
ギーもまた、ルネの才能をだいじに育てようと考えた。ルネの持つ愛らしさ、清純さをだいじに、汚れない心を失わないように心がけた。なにしろ、ルネはそのころまだ10歳だった。
こうして、ルネはデビューした。デビュー曲の『鳥』は、たちまちにヒットし、ケベックだけで10万枚売れた。
つづいて発売した同じ題名のLPも、14万枚をこす売れゆきだった。
ルネは、もうバーで歌う必要がなかった。テレビに出演し、ステージからステージへと、スケジュールがつまっている。
1961年2月28日生まれ、13歳のルネは、いまではカナダ1のスターだ。
ルネのいくところには、必ずティーンがあらわれ、
「ルネ」
と、黄色い声をはりあげる。ルネ・シマール--ティーンのそれはカナダのアイドルだ。
ルネが、髪を波うたせて歌う、黒い目を細めて微笑むとき、女の子は熱狂する。
あのせま苦しいアパート住まいは、もう過去のものとなった。だが、ルネは今もこういう。
「ぼくは歌うことが大好きなんだ! パパ」
カナダのケベック州チクーティミで、歌うために生まれてきたルネ・シマールは、まもなくカナダを代表する歌手として、日本にやってくる。
第3回東京音楽祭で、ルネが歌うのは、さいとう大三作詞、村井邦彦作曲の『ミドリ色の屋根』だ。そのために日本語も勉強した。
東京音楽祭に、これほど年のの若い歌手が出場するのは初めてだ。
東京音楽祭は6月29日に準決勝、30日に決勝が行われる。そのあとルネは、『火曜歌謡ビッグマッチ』『歌え!ヤンヤン!!』『ギンザNOW』『ひるのプレゼント』などに出演する。
カナダと同じように、ルネなチャーミングな声が、帝劇にひびき、テレビスタジオに流れ、おおくのティーンをひきつけるにちがいない。
▲ルネはステージで、兄ルジが作曲した『母さんは天使』をかならず歌う
特報
ルネのファン・クラブ誕生!
ルネの来日(6月26日)にさきがけて、ファン・クラブが誕生しました。
会員には、
①ルネのサイン入りブロマイド、およびバッジをプレゼント
②フィルム・コンサートにご招待。
③コンサートの優待割引きなど、たくさんのステキな特典があります。
くわしいことは、
〒108東京都港区芝浦3-5-39 スタジオ・シティ内 ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」係あて、ハガキでおたずねください。
今回紹介した後半部にも、実際とは異なるところがあります。まず、レジスは『ぼくのママは天使』の作詞者です。
そして、今回の記事でも、ルネのセミ・ドキュメンタリー映画『Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-』でも、ギーの結婚式で歌ったのは、テレビで歌ったのよりも前になっていますが、過去ログで書いたとおり、ギーの母が結婚式に参列していたら、テレビ出演以前にルネを知っているはずです。よく考えれば分かるはずですが、映画の演出でそうなったのでしょうか? 当時の新聞(または芸能雑誌)記事で報じられているので、ギーはルネを、母と自分の事務所のタレントからの連絡で知ってスカウトし、その後で自分の結婚式で歌わせたというのが事実のようです。
※過去ログ「ルネのデビュー裏話」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/574.html
そして、ルネのファン・クラブの特典で、「フィルム・コンサートへの招待」や「コンサートの優待券割引」が明記されています。日本の「ルネ・プロジェクト」では、ファースト・コンサートやファースト・アルバム、市川崑監督による「RENE A TOKYO」等の計画が、この時すでに進んでいたということですね。本当に、ルネの来日40周年を前にして、39年前とカレンダーの並びが同じこの年に、いろいろなことが分かるのも何かの縁なのかもしれません。この流れで、ルネが日本と関わるイベントが持てたら最高に幸せですね
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
ルネの「GOLDEN☆BEST limited ルネ・シマール」のアンコールプレスの出荷日が5月30日に決定しましたね! 早く手元に届くのを楽しみに待ちましょう♡
<報告>
過去ログで募集していました、西城秀樹氏のアルバム・セットのもらい手が見つかりました。仏語版「傷だらけのローラ」の歌詞のためだけに入手し、ずっともらっていただけるファンの方を探していましたが、facebookの方で、ルネ・ファンであり、西城秀樹氏のファンでもある、希望していた以上の方に引き継ぐことができました♡
<猫のアスカ その後>
とにかく元気です★ 昨夜は、息子に遊んで欲しくて、何度注意してもパソコンのキーボードに乗って息子の逆鱗に触れ、部屋を締め出された後は反省したらしく、義父母の部屋に身を寄せていました(笑)。大好きなおもちゃで大興奮し、エンドレスに遊ぶので、おもちゃを隠せば探し出して大暴れのやんちゃ猫になっています。
<グリーンカーテン その後>
黒小玉スイカ「ブラック・ボンバー」が育っていないのでよく見たら、根切虫にやられた? ただ今、別の小玉メロンに植え替えて様子を見ています。昨年こぼれたアサガオの種がたくさん芽吹いて、間引きが必要そう★ 他は順調に生育していますが、まだまだ気が抜けません。
<職場のアマガエルと鉢植え その後>
一昨日、窓辺がジャングル化しているため、犬走りにパッションフルーツ、オリヅルラン3鉢、シャコバサボテン2鉢、冬越ししたベゴニア6鉢、カランコエ2鉢を出しました。窓辺にはまだ、オリヅルラン1鉢、カランコエ1鉢、ベゴニア2鉢とミニトマトの鉢と、寄せ植えが2鉢残っています。寄せ植えのアマガエルはというと、私が出張している間、流しに現れ、2日後には机とゴミ箱の間にはまって寝ているのを強制送還★ またいなくなったと思ったら、鉢植えの穴に入っていたり、午前中いなかったのに、また同じ寄せ植えに舞い戻っていたり…と、私との「かくれんぼ」を楽しんでいるように思えてなりません。お隣の部署の鉢植えの植え替えで出てきた「ニシドッコ(根切虫のさなぎ)」をあげたら、硬くて食べられず、また放浪の旅に…。そのため寄せ植えをいつ外に出すか思案中です(溜息)。
今日は主人が陸上大会やら育成会の会議やらでいないので、美容室に行っちゃおう♪ 誕生日のお祝いは、明日に延期のシマ姉家なのでした。
そう、「永遠の14歳」は、ルネが来日した年の年齢!
さあ、シマ姉は何歳か、計算してみよう!(爆★)
そして、誕生日メッセージをたくさんありがとうございました これからも頑張ってルネ記事をアップしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします!
▲カナダの記事より これこそ歌う「王子様」ですね
今回紹介する記事のタイトルは、「カナダからきた歌う『星の王子さま』ルネ・シマール」!! ルネの日本デビュー前の売り出しには、ルネの天使の歌声や歌唱力よりも、容姿の可愛さや生い立ち、カナダのアイドルであることに注目したものが多かったようです。
過去ログで何回か書いていますが、ルネについて書かれた記事に「マーク・レスターのような美少年でもなければ、西城秀樹のように男らしくもない」というフレーズがありました。でも、後に見たこれ以外の記事では「可愛い」や「美少年」という評価がほとんどでした。しかし、当時このフレーズが脳裏に焼き付いてしまった私は、前出の記事が一般的なルネの容姿に対する評価と勘違いし、私の美の基準は普通とは違うと思い込んでしまいました。特にマーク・レスターのことを、私は美少年と思ったことがなかったので、この記事のせいで、反発して彼のことを嫌いになってしまったくらいです。
サン=テグジュペリの『星の王子さま』の挿絵の王子は「美少年」というより「可愛い少年」ではありますが、少なくとも、この記事でのルネも、「愛らしくて純粋で、歌うことが大好きで、家族のためにバーで歌う健気な少年」ととらえられています。当時、外国人タレント・ブームの上、日本人が大好きな「逆境に負けない健気さ」は、ルネの圧倒的な歌唱力を見せつけられる前でも、魅力的に映ったかもしれません。後で紹介する女性向けの姉妹誌「女性セブン」では、この記事が「週刊セブンティーン」に掲載された後すぐに、ファン・クラブへの問い合わせがたくさん届いたとありますので、ルネは、容姿の可愛さだけでも、日本人の心をしっかりとらえてしまっていたのでしょう。
カナダからきた歌う
『星の王子さま』
ルネ・シマール
運命の出会い---教会
そんなある日、教会で結婚式が挙げられ、ルネは聖歌隊のひとりとして、式に参列した。
例によって、ルネがソロのパートを受け持ち、、礼拝堂は清純で敬虔な空気で満たされた。
その式のあと、、ルネは、花婿に声をかけられた。
「わたしはギー・クルティエという。いつかきっと君にあうと思う。」
ギー・クルティエは、若いながら、タレントのスカウト・マネージャーとして独立したばかりだった。
ギーは、早くルネの才能をみぬき、いつか彼をプロの歌手として育ててみたいと考えたのだった。
「いつか君とあうとおもう」
ギーの予感は意外とはやく実現した。結婚式から数ヵ月後、仕事で地方へでていたギーのもとへ、母から電話がかかった。母は興奮した口調で、こう語った。
「いまね、テレビで天使が歌うのを聞いたのよ。そう、ほんとうに、あれこそ天使の声だわ。あなた、いますぐ、その天使と契約なさい。」
「もしかして、その子は、ルネ・シマールっていわなかった!?」
「そう……そうよ。でもおまえ、どうしてそれを知ってるの?」
母のいぶかることばをそのままに受話器をおくと、ギーは、ケベック市に車を走らせた。
ルネは、バーで歌ってお金をかせぐかたわら、テレビのスター登竜門番組に出演し、歌手としてデビューの機会をねらっていた。
ギーの母が見たのは、その番組のひとつ。息子の手助けをしようと、いそいで知らせたのだった。
母の知らせを受けて、ギーがかけつけたとき、ルネは10数人のエージェントにかこまれていた。
が、ルネはギーの顔をみると、ニッコリ微笑んでいった。
「ぼく、どうしたらいいの?」
ルネはまだほんの少年だった。勝手がわからずとほうにくれていた。顔見知りのギーに、助けを求めたのだ。
ぼくは歌うのが大好き!
いちばん初めに、才能をみとめてくれた、ということで、ルネはギーをマネージャーにえらんだ。
ギーもまた、ルネの才能をだいじに育てようと考えた。ルネの持つ愛らしさ、清純さをだいじに、汚れない心を失わないように心がけた。なにしろ、ルネはそのころまだ10歳だった。
こうして、ルネはデビューした。デビュー曲の『鳥』は、たちまちにヒットし、ケベックだけで10万枚売れた。
つづいて発売した同じ題名のLPも、14万枚をこす売れゆきだった。
ルネは、もうバーで歌う必要がなかった。テレビに出演し、ステージからステージへと、スケジュールがつまっている。
1961年2月28日生まれ、13歳のルネは、いまではカナダ1のスターだ。
ルネのいくところには、必ずティーンがあらわれ、
「ルネ」
と、黄色い声をはりあげる。ルネ・シマール--ティーンのそれはカナダのアイドルだ。
ルネが、髪を波うたせて歌う、黒い目を細めて微笑むとき、女の子は熱狂する。
あのせま苦しいアパート住まいは、もう過去のものとなった。だが、ルネは今もこういう。
「ぼくは歌うことが大好きなんだ! パパ」
カナダのケベック州チクーティミで、歌うために生まれてきたルネ・シマールは、まもなくカナダを代表する歌手として、日本にやってくる。
第3回東京音楽祭で、ルネが歌うのは、さいとう大三作詞、村井邦彦作曲の『ミドリ色の屋根』だ。そのために日本語も勉強した。
東京音楽祭に、これほど年のの若い歌手が出場するのは初めてだ。
東京音楽祭は6月29日に準決勝、30日に決勝が行われる。そのあとルネは、『火曜歌謡ビッグマッチ』『歌え!ヤンヤン!!』『ギンザNOW』『ひるのプレゼント』などに出演する。
カナダと同じように、ルネなチャーミングな声が、帝劇にひびき、テレビスタジオに流れ、おおくのティーンをひきつけるにちがいない。
▲ルネはステージで、兄ルジが作曲した『母さんは天使』をかならず歌う
特報
ルネのファン・クラブ誕生!
ルネの来日(6月26日)にさきがけて、ファン・クラブが誕生しました。
会員には、
①ルネのサイン入りブロマイド、およびバッジをプレゼント
②フィルム・コンサートにご招待。
③コンサートの優待割引きなど、たくさんのステキな特典があります。
くわしいことは、
〒108東京都港区芝浦3-5-39 スタジオ・シティ内 ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」係あて、ハガキでおたずねください。
今回紹介した後半部にも、実際とは異なるところがあります。まず、レジスは『ぼくのママは天使』の作詞者です。
そして、今回の記事でも、ルネのセミ・ドキュメンタリー映画『Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-』でも、ギーの結婚式で歌ったのは、テレビで歌ったのよりも前になっていますが、過去ログで書いたとおり、ギーの母が結婚式に参列していたら、テレビ出演以前にルネを知っているはずです。よく考えれば分かるはずですが、映画の演出でそうなったのでしょうか? 当時の新聞(または芸能雑誌)記事で報じられているので、ギーはルネを、母と自分の事務所のタレントからの連絡で知ってスカウトし、その後で自分の結婚式で歌わせたというのが事実のようです。
※過去ログ「ルネのデビュー裏話」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/574.html
そして、ルネのファン・クラブの特典で、「フィルム・コンサートへの招待」や「コンサートの優待券割引」が明記されています。日本の「ルネ・プロジェクト」では、ファースト・コンサートやファースト・アルバム、市川崑監督による「RENE A TOKYO」等の計画が、この時すでに進んでいたということですね。本当に、ルネの来日40周年を前にして、39年前とカレンダーの並びが同じこの年に、いろいろなことが分かるのも何かの縁なのかもしれません。この流れで、ルネが日本と関わるイベントが持てたら最高に幸せですね
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
ルネの「GOLDEN☆BEST limited ルネ・シマール」のアンコールプレスの出荷日が5月30日に決定しましたね! 早く手元に届くのを楽しみに待ちましょう♡
<報告>
過去ログで募集していました、西城秀樹氏のアルバム・セットのもらい手が見つかりました。仏語版「傷だらけのローラ」の歌詞のためだけに入手し、ずっともらっていただけるファンの方を探していましたが、facebookの方で、ルネ・ファンであり、西城秀樹氏のファンでもある、希望していた以上の方に引き継ぐことができました♡
<猫のアスカ その後>
とにかく元気です★ 昨夜は、息子に遊んで欲しくて、何度注意してもパソコンのキーボードに乗って息子の逆鱗に触れ、部屋を締め出された後は反省したらしく、義父母の部屋に身を寄せていました(笑)。大好きなおもちゃで大興奮し、エンドレスに遊ぶので、おもちゃを隠せば探し出して大暴れのやんちゃ猫になっています。
<グリーンカーテン その後>
黒小玉スイカ「ブラック・ボンバー」が育っていないのでよく見たら、根切虫にやられた? ただ今、別の小玉メロンに植え替えて様子を見ています。昨年こぼれたアサガオの種がたくさん芽吹いて、間引きが必要そう★ 他は順調に生育していますが、まだまだ気が抜けません。
<職場のアマガエルと鉢植え その後>
一昨日、窓辺がジャングル化しているため、犬走りにパッションフルーツ、オリヅルラン3鉢、シャコバサボテン2鉢、冬越ししたベゴニア6鉢、カランコエ2鉢を出しました。窓辺にはまだ、オリヅルラン1鉢、カランコエ1鉢、ベゴニア2鉢とミニトマトの鉢と、寄せ植えが2鉢残っています。寄せ植えのアマガエルはというと、私が出張している間、流しに現れ、2日後には机とゴミ箱の間にはまって寝ているのを強制送還★ またいなくなったと思ったら、鉢植えの穴に入っていたり、午前中いなかったのに、また同じ寄せ植えに舞い戻っていたり…と、私との「かくれんぼ」を楽しんでいるように思えてなりません。お隣の部署の鉢植えの植え替えで出てきた「ニシドッコ(根切虫のさなぎ)」をあげたら、硬くて食べられず、また放浪の旅に…。そのため寄せ植えをいつ外に出すか思案中です(溜息)。
今日は主人が陸上大会やら育成会の会議やらでいないので、美容室に行っちゃおう♪ 誕生日のお祝いは、明日に延期のシマ姉家なのでした。