柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

ある遺族の方の話です。

2008年05月08日 | 悲しみのケア
絵手紙が届きました。

季節の折々に、届きます。

もう何枚頂いたでしょうか。

ちょっとした、展覧会が出来るのではないでしょうか。

Nさんと会ったのは、9年前になります。

Nさんは、息子さんに連れられて、病院から退院してきました。

奥様が他の病院に入院していたので、そこへ行くつもりでいたのに

着いたのは、葬儀社でした。

そこで、初めて、奥様が亡くなったと聞かされ、ショックで
大声を張り上げて、怒り出しました。

誰にという訳ではありません。
全てに、Nさんを取り巻く全てに対して怒りをぶつけていたと思います。

Nさんの奥様は持病があり、ずっと入院をされていました。
Nさんは、見舞いに行くついでに、自分も検査をしようと同じ病院に入院しましたが、奥様は治療の関係で他の病院に転院になってしまいました。

突然の異変で奥様が急死されてしまったのです。

他の病院に転院をすすめた医師に怒り、黙っていた子供達に怒り、奥様をお預かりした、私達にさえ怒りをあらわにされました。

でも、その後、Nさんのお人柄が表れてきます。
時間が経つにつれ、周りに気を使い出しました。

自宅に戻り、息子さんが主になって打合せが始まりますが
Nさんも、色々なご意見を出してくださいました。

今でも忘れることが出来ないのが、
「なんだか、混乱して、俺は頭が痛くなった」といって
アイスノンを頭のてっぺんに乗せ、タオルを紐かわりにしてあごの下で結んでいた
格好です。

その格好で、部屋をウロウロされてサンドイッチを私にすすめるのです。
「あんたも、お腹がすいたろう。コレ食べなさい」



無事にお葬式が終わり、その後Nさんとの交流が始まります。

「ちょっとそこまで来たんだよ。」
「これから、この先の郵便局に行くんだ」
「今、スーパーに行ってきた。コレはどう料理するのか?」
こんな日々が続きます。

Nさんは、夕方が近づくと家に帰りたくないのです。
1人きりの家は、日暮れ時が一番寂しくなるのです。

一度は息子さんの家に同居をしてみましたが
やっぱり落ち着くことが出来なくて、一人の暮らしを選びました。

Nさんの担当者は1人ですが、事務所に尋ねてきた時
担当者とそのときに居合わせた社員がいつもお相手をしていたので
結局、社員全員と仲良くなってしまいました。

社員が仕事で忙しい時は、事務スタッフや社長までもが話し相手になってくれました。(その葬儀社は大手鉄道会社のグループで社長が2年ほどで入れ替わりますが
ステキな方はこんな協力をしてくださいました。感謝です)

そのNさんが脳出血で自宅で倒れます。
何分後に気が付いたときには、右半身が麻痺を起こし、立ち上がれなかったそうです。

這いずって、コンクリートの階段を下り、道路まで出て、歩いている人に助けを求めたそうです。

その当時は、歩けず、言葉もしゃべれず、手も使えませんでした。
もちろん字も絵も描けません。

その後、ビックリするようなリハビリをされ、何とか歩けるようになりました。
それを支えたのは、同じ遺族のお仲間でした。

ご家族よりも頻繁に病院に通い運動に連れ出してくれました。

その方々の努力に、私達はとても驚き、心を打たれました。

何とか歩けるまで、回復されましたが1人住まいは難しく
今は老人施設に入っています。

もう80の半ばになられています。

私が、その葬儀社を辞めた時、家の前で大きな声がするので覗くと
Nさんが、杖をつきながら、息子さんに連れられて逢いに来てくれました。

私の家は知らなかったのですが「この辺だと思って来た」といってくれました。

私が葬儀という仕事をさせていただいたお陰で
Nさんのような素晴らしい方々とめぐり合うことが出来ました。

私は忙しさに追われ、ご無沙汰してしまいますが
いつもNさんから、季節の移り変わりを
絵手紙で教えてもらっています。