http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201109160035.html (維新の教育条例案に異論噴出、陰山委員「間違っている」:朝日新聞(関西)、2011年9月16日)
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20110916-OYO1T00670.htm?from=main2 (陰山氏「教育委員辞めます」 維新条例案に反発:読売新聞(関西)、2011年9月16日)
各新聞のネット配信記事によりますと、昨日の大阪府教委の会議で、大阪維新の会がつくっている教育基本条例案に対して、陰山英男氏ら教育委員から異論噴出、反対の声があがったそうです。で、これが府議会で通過したら辞めるとまで、陰山氏ら教育委員は言っているのだとか。
まずは率直に、この時期に、教育委員のみなさんが「反対」という意思を表明したことは、私としては評価したいと思います。
ただ、ツイッター上での陰山氏のつぶやきを見ていると、「この人はほんと、よくわからんな」と思うところがあります。
たとえば今朝の陰山氏のつぶやきを見ていると、一方で「内容を知れば、そりゃ辞めるなと思うと思う」というようなことも言いますが、もう一方で、「私は橋下氏に期待しているし、このまま進むとも思ってない。粘り強く取り組む」ともいうんですよね。
また、もう少し時期をさかのぼって8月末あたりの陰山氏のつぶやきを見ると、「昨日、知事と話をして条例についての思いを聞き、了解はした。選挙前の動き故、やはりコメントはできないが、知事の問題意識は社会全体で共有されていいと思う」とも言うんですよね(8月27日)。
さらに、もっとさかのぼって、君が代条例問題が大きくマスコミなどで取り上げられていた頃、陰山氏はツイッターでこんなこともつぶやいています。
「君が代条例問題、明日知事との懇談がある。ここまで自力で問題を解決できてない教育委員会と強硬な知事。時代を理解しない教師。どうこの無力感を克服するか」(6月6日)
「君が代条例問題って、震災と内閣不信任案に似ている。本質的なあるいは全体的な課題ではない。だから、早く本論には入りたい。だが、目立つ問題なので、そこを避けては進めない。とにかく、早く決着させ、新しい指導要領問題に取り組まないといけない。だがメディアはこうした地道な課題に興味がない」(6月6日)
これを読んでいけばわかるように、今年6月の時点では、陰山氏はいまの学習指導要領の推進、学力向上という課題さえやれるのであれば、君が代条例の問題なんて脇に置いてかまわない、と考えていたようですね。でも、そのこと自体、教育委員しての見識が問われると思うのですが。なにしろ、今の教育基本条例の話は、その君が代条例の問題の延長線上に出てきているものですから。
また、君が代条例の前には、橋下知事が就任以来、市町村別の全国一斉学力テストの結果公開などの問題もあったし、「学力向上」をとにかく一番の目標に置いて、公立学校や教育委員会をゆさぶろうとしてきたわけです。そのうえで、その「学力向上」路線を推進する役割を担う教育委員として陰山氏などが引っ張りだされてきたわけですよね。ある意味、橋下府政の推進する「学力向上」路線の旗振り役として、期待されて、陰山氏は教育委員の役についたわけです。また、ほかの教育委員の方にも、橋下知事サイドにしてみれば、そういう期待があったのではないかと思われます。
だから要は「知事や維新の会が学力向上というのなら、僕らをもっと信用して、任せてよ」という話で、この教育基本条例案に「反対」といってるのかな、ということですね。また、この陰山氏らの「反対」というのは、そもそもの橋下知事や維新の会サイドのすすめようという教育改革路線自体に反対というよりは、「こんなひどい条例案でなくて、もっと教員にソフトなやり口の条例であれば、賛成する」ということでしかないのか・・・・という風に、少なくとも私などは見えてしまいます。彼らの反対の論理をもう少し、ていねいに見極める必要がありそうです。
なお、この教育基本条例案について、弁護士の大前治さんが反対の意見書を出しています。詳しくは下記でご確認ください。
http://osakanet.web.fc2.com/kyoikujorei2.html
また、このブログで引用・参照している教育基本条例案も、大前さんの下記のブログで読むことができます。
http://osakanet.web.fc2.com/kyoikujorei.html
ちなみにこの教育基本条例案の第2章(第5~12条、各教育関係者の役割分担)ですが、正直なところ首をかしげたくなるような内容ばかりですね。以下、私が気づいたことをまとめておきます。
たとえば第5条ですが、第3項は市町村が基礎自治体として小中学校教育で主体的な役割を担うとか、第4項で府や府教委が小中学校教育における市町村・市町村教委の自主性を尊重すると書いていますが、「だったらこんな教育基本条例など出すな」という話です。それこそ、第7条2項は学力テストの結果の市町村別の情報公開です。第5条4項の趣旨に沿って、市町村・市町村教委が「そんなことしてくれるな」と言えば、第7条2項はどうなるんですかね?
また、主体的に学校運営にかかわるよう第2項で地域住民や子どもの保護者に努力義務を課してますが、今でもいろんな場面で住民や保護者は学校に協力しています。また、どんな教育や学校運営への協力なのかによっては、むしろ「協力しないこと」のほうが意味ある場合もあります。それこそ、学校と地域社会と保護者が一体となって中学校の校則違反を取り締まるようなケースですが、その校則の中身に子どもの人権侵害の疑いがあるようなものが含まれていたら、それでも「協力する」ことがいいことなのでしょうか?
それから第5条1項、第6条、第7条は、いずれも府知事が府教委を、府教委が市町村・市町村教委を「目標と情報公開による教育の管理」の下におき、そのことを通じて学校(府立学校及び市町村立の学校の両方)・教職員への管理・統制を強化していこうという意図がみえみえの条文です。いわばこの条例案は、「学力テスト」をテコにした学力向上策と、各学校のテストに対する達成目標の設定、その結果の情報公開。これをセットにして学校と教職員をコントロールしようとしているわけですね。
ついでにいうと、こういう教育管理の手法は、すでに国のここ数年の教育政策のなかに埋め込まれて、部分的には実施されてきたものではないのでしょうか。
次の第8条も、校長の裁量権が幅広くあるように見えますが、これは、第5条~7条までの規定にもとづいて、府知事・府教委によって設定された範囲内で、各学校の目標を定める。その各学校の目標達成を前提としての裁量権です。また、その各学校の達成すべき目標は「具体的」で「定量的」な目標とあります。となれば、たとえば学力テストの目標だとか、府立高校だと「現役での大学進学者○%」「卒業後の常勤職への就職者○%」というような目標が出てくるのではないでしょうか。これもまた、「目標による教育管理」ですよね。
そして第9条の各条文と、第8条6項。上で書いたような府知事・府教委の設定する範囲内で定めた各学校の教育目標の達成のために、校長(代理としての副校長)が教員に職務命令をだし、教員はその目標達成のために校長の指示に服従し、努力・研鑽をする。そんな関係を学校のなかにつくろうとしているわけですね、この教育基本条例案。おまけに第47条では、「いかなる会議、場所においても」校長の職務命令に反する意思決定をしてはいけないと書いています。
要するに「上から降りてくる教育目標の達成にさえ努力してればいいのだ、現場の教員は。いちいち、上に対して文句を言うな」という条例案ですね。そこには、上が設定した教育目標がまちがっているという危険性は全く想定されてないし、上からの命令が子どもに合わない、無理があるなどの問題点を、下からの声をすくいあげて修正しようなどという意図は見られない。 そういう条例案なんですよね、これ。こんなので学校現場、うまくいくんですかね?
ついでにいうと、第10条の1項・3項、第11条は、先ほど述べた学校の設定した教育目標達成のために「都合のいい家族、都合のいい地域住民」を作り出そう、それを動員しようという意図が見え見えの条文です。そこには、学校の設定した教育目標だとか、府知事・府教委サイドから降りてくる教育施策に誤りがあるから、それを是正してくれという保護者たち・地域住民たちの存在を排除しようという意図があるように思われます。
それこそ、たとえば学校が「学力向上とそのための基本的生活習慣の確立」を大きな目標にしたら、自ら主体的に「早寝早起き朝ごはん」運動を担ってくれる保護者とか、学校で「学力向上」のための補習教室的な取り組みをするなら積極的に手伝ってくれる地域住民とか、そういう人たちを求めたい条文ですよね、これらは。だとしたら私、陰山氏ら大阪府の教育委員の面々が今まで言ってきたこと、やってきたことと、この教育基本条例案が目指すところ、さほどかわらないような気もしなくはありません。
特に第10条2項は、学校事故・事件に関する被害者遺族支援の問題にかかわってきた我々としては、見過ごすことのできない条文です。このような条文があることによって、被害者遺族の側から学校への事故・事件の経過に関する調査の要求や、その調査結果の遺族への説明・開示などを求める動きなどが、場合によれば「社会通念上不当な態様で要求」されたことになり、締め出されかねない。
逆に、こういうことを教育基本条例案で書く前に、保護者や地域住民が教育や学校のあり方について知りたいと思う情報を得る手続きや、苦情や異議を申し立てるため上での手続き的なルールを定めたほうがいいのではないのか、その方が先ではないのか。私としてはそう思います。
第11条2項についても同様で、これなどは条例案がとおってしまったら、大阪府内の各地区で人権教育や子どもの人権について運動をすすめてきた人々、注意しないといけない。今後、周辺住民の立場から学校に対していろんな改善の意見・要望などを出してきた人々は、気を付けて意見や要望などを出していかないと、場合によれば「社会通念上不当な態様」での要求とみなされかねない。「うちの地区は学校との関係がうまくいってるから大丈夫」なんて言ってると、人事異動で校長以下の教職員を総入れ替えして、「あれは不当な態様での要求だ」なんて言って、締め出されかねませんからね。 (しかしそんな危機感、大阪の人権教育の関係者にあるのだろうか? もっというと、人権教育系の研究者や運動団体の人は、この教育基本条例案、読んでいるのだろうか?)
そして、この第12条です。これ、一見、保護者や地域住民の学校運営参加を推進しているように見えますが、要は「地域住民や保護者などの力で、学校の校長・教職員が教育目標の達成に向けて努力させるかどうか監視すること」がねらいのしくみです。あるいは、ここに「クラブ活動等」と書いていますが、「地域住民や保護者をクラブ活動等に動員する」ことによって、「教員をさらに学校の定める教育目標達成のための授業に専念させる」のがねらい、のしくみですね。教員のなかにはクラブ活動等の指導の負担を軽減してくれ、地域スポーツクラブなどにゆだねることができるようにしてくれ、という声があるようですが、その声をうまくすくいあげたかっこうにしながら、実は「目標による教育管理」の枠に教員をますます閉じ込めていく。そういう効果を狙っているような気がします。
以上、長々と書きましたが、この条例案については、こんなことがいえるでしょう。
要はこの条例案、学力向上や進学率・就職率上昇など、府知事・府教委が定めた教育目標達成のために動く校長をつくり、その校長に常に服従して動く教職員をつくり、その校長や学校を地域社会の側から常に監視する住民・保護者、その学校に常に協力的に動く住民・保護者をつくるためのもの。
大阪で人権教育や子どもの人権関連の活動に取り組んできた人たち、研究者たちは、こんな条例案を望んできたんでしょうかね? また、人権教育の関係者のなかにも「学力向上」を中心に活動してきた人がいますが、その人たちに「こういう方法での学力向上を望んでいるの?」と問うてみたい気もします。