できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

9月からあらためて、更新を再開します。

2009-08-31 09:31:14 | 悩み

もうひとつの日記帳ブログで書いているとおり、父の葬儀等、私の個人的な事情により、こちらのブログの更新が途切れております。

この夏休みあたりから、そろそろこちらのブログもこまめに更新したいといってきたのに、このような状態になって申し訳ありません。

ただ、徐々に生活も落ち着いてまいりました。また、父の死を前にして考えたことと、これからの子ども施策・青少年施策のあり方について考えたこととが、いろんな形でつながっています。ほかにも、今の人権教育や解放教育、子どもの人権などに関する研究や実践のあり方についても、いろいろと思うところがありますし。

そんなことも含めて、あすから9月ですが、月が変わったあたりから徐々に、こちらのブログもできるところから更新していきたいと思います。

ひとまず、近況報告とおわびの意味で、このことだけ記しておきます。

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古い文献を読み直そう(その5)

2009-08-18 20:26:31 | いま・むかし

前回に引き続き、『双書解放教育の実践』(解放教育研究会 福地幸造・中村拡三編、明治図書)シリーズ(全4巻)の第1巻『解放運動と教育』(1970年)の内容から、気づいたことをまとめておきます。当面はこのシリーズ4巻本の内容から気づいたことを書き綴っていきますが、ひとまず第1巻は今回で締めくくります。

さて、この第1巻の最後の章「十 まとめ・展望」(中村拡三執筆)では、1960年代末頃の民間教育運動と解放教育との関係について、「今日の民間教育運動では、教育と運動とが切断されている」(p.213)と述べています。(以下、青字部分は、この第1巻からの引用部分です。)また、これに続いて、中村拡三は次のようにも述べます。

この体質は、おそらく、日本の体制がわの体質を受けつぐものだろう。子どもたちには教育の機会が保障されている。学校に集まり、教室にならぶ子どもたちによりよい教育を。民主的な教育理念と実践を。―つまり、体制がわで設定したものにのって、そこでの研究、苦闘がつづけられているのではないか。の子どもについては、の低位性、の子どもたちの低位性から、せめて一般なみに、という発想ではなかったか。(p.213)

の子どもたちは、このワクの外にあった。ワクにはめられても、とじこめられることをこばんだ。それは分析や論理の展開で明らかにすることではない。公教育であり、義務教育といわれるいまの中学校を卒業しても、読み書きさえ十分にできない事実である。(p.213)

今もなお、子どもの人権に関連して、あるいは人権教育なるものに関連して、さまざまな民間団体があり、積極的な研究活動が続けられています。しかし、今、すすめられている子どもの人権、あるいは人権教育に関する研究活動の中身が、はたしてどこまで被差別の子どもたちの生活を意識しているものであるのか。このような過去の文章に触れると、あらためて今、そのことが問われているように感じます。

また、中村が「の子どもについては、の低位性、の子どもたちの低位性から、せめて一般なみに、という発想」と指摘する部分については、詳しくはここで書きませんが、それを今の子どもの人権や人権教育に関する議論がどれだけ克服できているのか、私も自信がもてなくなってしまいます。たとえば最近の「学力」問題について論じている本や論文では、どうなのでしょうか?

こんな感じで、今日は短い文章になってしまいましたが、過去の文献を読み直すと、いろいろと今の状況に関して気づくことが多々あります。次回は第2巻の内容に触れていこうと思います。

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古い文献を読み直そう(その4)

2009-08-17 12:18:02 | いま・むかし

お盆休みとはいえ家庭内でいろんな用事が入っていたため、更新が1週間ほど途切れてしまいました。また、今朝からこのブログの更新をしようと思ってパソコンに向かっていたら、今度は急に画面が暗くなるというパソコンのトラブル。ようやく復旧したので、さっそく、前回の続きを書きます。

さて、前回とりあげた『双書解放教育の実践』シリーズ(解放教育研究会 福地幸造・中村拡三編、明治図書、全4巻)の第1巻『解放運動と教育』(1970年)の話を続けます。

この本なのですが、目次をずっと見ていけばわかるように、たとえば識字教室(学校)、解放子ども会とその保護者組織の活動、青年のサークル活動、各地区での教育計画づくりの取組みなど、1960年代後半あたりで、解放運動の側から地域の教育運動として取組んできたことをふまえてまとめられています。また、このような内容で構成された第1巻には、次のような編者・中村拡三の思いがこめられています。(以下、文字色が青の部分は、この本からの引用です。)

この巻は、あとに続く三巻の前提となるものであり、解放教育の土台にすえられねばならないものである。解放運動というものが、「教育」というものをどうとらえてきたか、どんな教育を生みだしてきたか、そのことを明らかにしたいと思う。(p.17)

この引用からもわかるとおり、当時の編者らの認識においては、解放運動が地域の教育運動として取組んできた子ども会や保護者組織の活動、青年のサークル活動、識字教室の活動などが、まさに「解放教育の土台」というべきものだったわけです。

また、次の一文は識字教室の位置づけについて述べられたものですが、当時の解放運動において「教育」や「学習」とは、このようなものとして考えられていたことを忘れてはならないでしょう。

字を習い、読み、書ける。生活が便利になる。識字の運動は、ただ、それだけにとどまっては意味をもたない。その文字を通して差別の実態を知り、自分の経験や自分を取り巻く差別の現実を自分の手で書き続ける運動に発展しなければならない。その習得した文字は、差別を告発し、解消させるための有効な手段であるからである。怨念(おんねん)―うらみつらみを綴り、これを通しての現在おかれている姿を変えさせる力にならなければならない。進学のための予備校や塾で勉強するのとは、わけが違う。の子どもたちの、文字を習うという教育もまた同じではないか。(p.60)

もちろん、この文章が綴られた1960年代末と今とでは、差別の現状や解放運動を取り巻く社会情勢はずいぶん、変わっています。

ただ、「進学のために」いわゆる「受験学力」を高めるような学習ではなくて、自らの置かれている現実を批判的に認識し、そのなかで問題となることを的確にとらえ、周囲に訴え、働きかけていく力を身につけていく学習。こういったことを当初、解放運動の側は教育・学習に求めていたことは、あらためて確認しておいてもいいと思います。なぜなら、このことが、先に述べた「解放教育の土台」として当時、考えられていたと思われるからです。

あるいは、当時のある地区での子ども会活動にかかわって、この本には次のような文章もあります。

まずなによりも“生きる”ことを先行さすこと、つまり、教室や家庭のなかでは得られない解放感を、自らの手でつくり出していくことから、活動は始められたのである。(p.78)

不就学や長欠、そしていわゆる非行といわれる事柄についても、子どもたちの集団としての解放感を組織して、はじめてそれらに対する一定の批判力と、解決への行動力が生まれる。解放感をつくりだし、育てていくなかで子どもたちは自らが生んだものについて考え始める。自らの解放をハバむもの、それが自分と自分の周囲にある現実への関心となって現れてくる。(p.78)

この文章から察するに、この地区の子ども会は、たとえば劣悪な住環境や両親の不安定な就労、生活苦、家庭の不和、授業についていけない等の学校生活への不適応など、さまざまな課題に直面し、まさに落ち着いて自分のことを話したり、考えたりできるような「居場所」のない状態の子どもたちに、まずは学校でも家庭でもない「居場所」を創りだすことからはじめられたのでしょう。

子どもたちが学校からも家庭からも解放された場で、教師でも親でもないおとなに支えられて、自らの生い立ちや生活環境のなかで抱え込むことになった諸課題を見つめなおし、それにどう対応するかを考える機会を設けること。また、そのようなことが可能な「居場所」を創出すること。

この「居場所」創出という取組みは、1960年代末だけでなく、いわゆる不登校やひきこもり、非行など、現代日本社会のさまざまな青少年の問題にかかわって、今もなお必要なことでしょう。また、このような「居場所」創出の取組みは、差別の問題だけでなく、ほかの子どもの人権にかかわる諸課題においても必要なことでしょう。私としては、この当時において、編者らが「解放教育の土台」に、子ども会のこうした「自らを解き放つ居場所」という側面を重視したことを評価したいと思います。

そして、この本には、社会教育について、次のような指摘もあります。これは1960年代末のある地区での青年たちの学習会活動にかかわっての指摘です。

青年は夢をもっている。希望もある。反面、不満もある。しかし、これらの、ねがいや不満を語る場がない。その場を設定すること、それ自体が、本来の社会教育ではなかろうか。ところが、その場の設定すらなされていないのが実際の姿ではなかろうか。今の社会教育には、青年をたちあがらせる方向に問題のあることはいうまでもないが、その場さえないというのが現状である。(p.102)

青年・婦人・子どものねがいを聞かずして、社会教育は成り立っていかない。とくに青年の願いに、どこまで耳を傾けるかに、社会教育のすべてがかかっているといってもいいのではなかろうか。(p.102)

「婦人」という言葉に当時の制約のようなものを感じるのであるが、しかし、言おうとすることはよくわかります。大阪市内のもと青少年会館での子ども会や保護者組織の活動、識字教室や青年のサークル活動などを見ていると、「こうした活動を積極的に支援することこそ、社会教育・生涯学習行政の仕事ではないのか?」と私も思いますし、「そこで活動している人々の願いや要望をどうして聞こうとしないのだろう?」と思ってしまいます。今もなお、1960年代末の指摘が通用するのは、なぜなのでしょうか?

このように、前々からこれはこのブログなどで書いてきたことですが、古い解放教育関係の文献を読んでいると、「これって、今の状況にも通じることじゃないの?」と思うような言葉に、何度も出会うことがあります。特に、もと青少年会館で取り組まれている諸活動にかかわっていると、私にしてみると、1960~70年代あたりに書かれた解放教育関係の文献が、比較的最近書かれたそれよりも、何か示唆に富むことが多々あります。今後も引き続き、古い文献を読んでいて気づいたことを、ここに書いていこうと思います。

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古い文献を読み直そう(その3)

2009-08-08 08:55:33 | いま・むかし

しばらく更新が途切れがちになっていたのですが、この夏休みくらいはできるだけ時間を見つけて、こちらのブログの更新をこまめにやっていこうと思います。そのときに比較的書くことを見つけやすいのが、解放教育や人権教育、子どもの人権関係の文献にかかわる話。これだと、家にいてもいろいろ書くことが思いつきますので。そこで、今回からまたしばらく、古い解放教育関係の文献などから、思いつくことを書いてみます。

今、私の手元に、『双書解放教育の実践』(解放教育研究会 中村拡三・福地幸造編、明治図書)という4巻本のセットがあります。これは1960年代末~70年代はじめに、解放教育運動が高まった頃に出された本です。この双書の第1巻は『解放運動と教育』(1970年)で、ここには、次のような中村拡三の言葉が出てきます。(以下、色のちがう部分は、この本からの引用です。)

解放教育を形造ろうとするなら、の子どもたち、親たちの現実のすがたに徹底的に依拠しなくてはならない。その現実に、そこから生まれる要求に、運動の形造る人間の変革に。そこから子どもをみる、教育をみる、である。こちらから、そちらを、ではない。解放教育だからというのではない。教育の対象であり主人公であるところのもの、そのものに依拠すること、それがなくてはどんな教育も成りたたないであろう。(p.12)

あるいは、中村拡三は、各自治体レベルでの「同和教育」に関する研究組織や教職員組合などにかかわっていながらも、実際のの子どもや保護者からのさまざまな要求にうまく対応しきれない当時の教師たちに対して、次のようにも述べています。

つまるところは、自分の姿に応じてしかと教育をとらえられない。自分の姿ににせて解放教育をとらえようとする。と自分みずからにあるものとの矛盾を解決していくすべを知らない。教師・教育の頽廃は、ここから生まれてきている。(p.12)

これは本の出版時期から見て、あくまでも1960年代末頃の状況を、中村拡三の立場から見ての話です。そのことを一定、ふまえた上でも、私としてはなお、この中村拡三の言葉に、「解放教育」なるものの「原点」のようなものを感じます。

大阪市の青少年会館(青館)条例廃止をめぐる諸問題にかかわり始めて、私はこれでもう3年近くたつことになります。なにしろ廃止方針が打ち出されたのは、2006年8月のことですからね。それ以来、条例がなくなってからあともひきつづき、青館所在の各地区の子どもや若者、保護者、地元住民や、元青少年会館職員、地元の解放運動の関係者のみなさんと、いろんな形で接点を持ち続けてきました。また、ここ最近は、もと青館周辺の公立小中学校の教員のみなさんとも、徐々につながりをつくりつつあります。

私としては、青館条例廃止以後の各地区のみなさんの状況を知れば知るほど、自分に何ができるのかを考えたいと思ってきましたし、実際に動けることを見つけて動いてきました。相当くたびれつつありますが、今もなお、その気持ちには変わりはありません。

そして、こうしたかかわりを続ける中で、私としては、本来「解放教育」なるものは、実際にその当事者の人々の声を聴き、生活をともにしながら(あるいは、外から入ってくる人であれば、繰り返し間近に見ながら)、そこでいっしょに悩んだり迷ったりしながら、子どもや保護者、地元住民などと現場の実践者、研究者などが、いっしょに何かを創りだそうとする営みではないかと感じ始めました。また、私はその営みのなかに、何か「解放教育」の「原点」とでもいうべき大事なものがあるように思えてきました。

そういうなかであらためて中村拡三の書いた上記のような文章を読むと、「ああ、やっぱりそうなのだ」と思うわけですね。つまり、時代状況や社会情勢がいろいろ変わったとしても、被差別の子どもや保護者、地元の人々の暮らしにできるかぎり近接して、そこから何が教育の課題なのかをつかむということ。その作業がやっぱり、大事なのだと思うわけです。

一方、研究者であれば、自分の研究テーマや研究方法の側から、自分たちの関心に必要な範囲で、被差別の子どもや保護者、地元の人々の暮らし、あるいは地元学校・保育所などでの諸課題を切り取って、あれこれ論じることができます。また、そのような研究者たちの関心にしたがって切り取ったものに対して、別の観点からほかの研究者が批評を加えることも可能です。

しかし、そのような研究も批評も、被差別の教育課題をいろいろ取り扱ってはいても、はたしてそれが、どれだけそこに暮らす当事者や、その現場で活動している人々の切実な課題意識に通じているかといえば、それはよくわからないところです。そう考えると、「解放教育」に関心がある研究者であれば、自分たち研究者の興味関心や課題意識がどこまで当事者や現場で活動中の人々のそれとつながっているのかを、折に触れて問い直す必要があるのではないか、とも思うわけです。なにしろ、「自分の姿に応じてしかと教育をとらえられない」と中村拡三がかつて言ったわけですが、研究者が一生懸命「解放教育」や「人権教育」を論じていても、それは当事者や現場で活動する人々の切実な課題意識とつながりがないところで、自分たちの興味関心だけを深めているということも、もしかしたらしばしば、起こりうることかもしれないからです。

このような次第で、古い文献を読み直すと、いろいろと気づかされることが多々あります。これからもしばらくの間、こうした古い文献を読んでいて感じたことをまとめる形で、こまめな更新を心がけたいと思います。

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もと青館のプールのこと。

2009-08-06 16:35:53 | 受験・学校

久々の更新になります。このところ、もう一つの日記帳ブログを見ればおわかりいただけるように、実家のほうでいろいろあって、公私共に多忙を極めている状態です。ですが、ひきつづきこのブログからも情報発信をしたいと思います。

さて、夏休み中も大阪市内のもと青少年会館(青館)を活用して、子ども会や中学生の学習会、若者たちの音楽サークル、和太鼓サークル、識字教室など、さまざまな活動が行われていることかと思います。また、私のところに入ってきた情報では、もと青館所在の各地区において、夏祭りや盆踊りなども企画されているとのこと。各地区での地域活動が地道に続けられていることを、私としてはほんとうに喜ばしく思います。

さて、そんな状況のなかでふと思い出したのは、もと青館のプールのこと。2007年3月末の青少年会館事業廃止以後、もと青館のプール利用も廃止されたままです。ですが、夏休みの子どもの活動といえば、やっぱり水遊び、プールにキャンプでしょう。各地区の子ども会がどんな形でプール活動をしているのか、とても気になります。

なにしろ、夏休み中の学童保育や子ども会の活動内容を考えるとき、プール活動や水遊びの時間はとても重要。なにしろ、午前中に学校の宿題を中心とした学習・午後にプールという組み合わせだけで、ほぼ数日分、予定を組むことができます。もちろん、プールばかりでなく、映画鑑賞の日や学外施設見学の日だってあっていいでしょうし、ほかの体験活動の日や「あえて、どこにも行かずにゴロゴロする日」だってあっていいでしょう。でも、夏の暑い日に水辺で遊ぶ体験をするというのは、子どもたちにとっては、とってもいいもの。さらに、子どもとかかわるおとな側(スタッフたち)にとっても、いっしょに水遊びをしたり、プールに入っている子どもたちの様子をじっと脇から見守ったりと、いろんなかかわり方ができるはずです。

そんなわけで、いい加減、そろそろもと青館のプールを、地元の人々がさまざまな形で利用できるようにしたらどうかと思うのですが・・・・。そのほうが、地区内外の人々の交流が促進されて、よっぽど「市民交流」につながるような気もしています。また、もと青館プールの管理運営を地元の人々に委ねてみるのも、「行政と民間の連携」という観点から見て、いいようにも思うのですが。

ちなみに、私の暮らす市では、夏休み中の公立小学校のプール開放を、市教委から地域住民の総合型スポーツクラブに委託するかたちで行っています。ですから、プールに入っている子どもたちの様子を見守っているのは、たとえば日ごろ少年野球や少年サッカーの指導などにあたっている地元のおとなたちが中心のようです。そういう形で、もと青館のプールの管理運営も、地元のおとなたちに委ねてみたらどうかな・・・・と思うのですが。

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