できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

たいへん申し訳ありません。6月29日のいじめ防止学会設立記念大会は「延期」です。

2024-06-19 19:11:31 | 学問

たいへん申し訳ありません。下記のホームページを参照していただければおわかりのとおり、6月29日(土)に予定されていた「いじめ防止学会」設立記念大会は、「延期」と決まりました。おわびの上、延期の連絡をさせていただきます。

https://ijimeboushi.org/annual-meeting-delay

たいへん残念ですが、やはり開催を決めてからみなさんに周知するまでの時間が足りず、このままだとなかなか参加者が集まりそうにないとのこと。

ほんとうに申し訳ありません。

でも、なんとかして来年、開催にはたどりつけるようにがんばりたいと思います。

引き続き、ご支援をよろしくお願いします。


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【開催延期となりました(6月19日追記)】6月29日(土)「いじめ防止学会」が設立記念大会を東京で開催します。

2024-06-19 19:10:49 | 学問

<6月19日追記>

https://ijimeboushi.org/annual-meeting-delay

たいへん申し訳ありません。上記ホームページ上の告知でもおわかりのとおり、6月29日(土)のいじめ防止学会設立記念大会は「延期」となりました。下記の内容を何度も告知をしておりましたが、このような結果となり、誠に申し訳ありません。おわびの上、延期のお知らせをします。

〇下記は以前、ブログに掲載した記事です。そのまま残します。

先日は本学で開催予定の「公教育計画学会第16回大会」の案内を、このブログに掲載しました。

今度は私が設立準備のお手伝いをしている「一般社団法人子どもいじめ防止学会」(いつもは「いじめ防止学会」と呼んでいます」の設立記念大会と会員募集の案内を、こちらのブログに掲載しておきます。案内画像は、下記のとおりです。

また、会員としての参加申し込み、設立記念大会の参加申し込みは、いずれも「一般社団法人子どもいじめ防止学会」のホームページからできます。URLは、こちらです。

https://ijimeboushi.org/

教育や心理、医療、福祉、法律など、いじめ防止の取り組みにかかわる多様な領域の研究者・専門職が集まって、この問題に「多職種連携」で取り組んでいこうと考えての学会立ち上げです。

ということで、興味関心のあるみなさんのご参加、よろしくお願いします。

 


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公教育計画学会第16回大会(6月15日(土)~16日(日))開催のお知らせ

2024-06-01 14:45:16 | 学問

2024年6月15日(土)~16日(日)、京都精華大学にて「公教育計画学会第16回大会」を開催します。

2019年の金沢市での大会開催以来、公教育計画学会の大会は「対面」ではなく「オンライン」での開催を続けてきましたが、ようやく2024年の大会から「対面」に戻ることになりました。

また、今年は私の勤務校・京都精華大学が大会開催校。私も大会実行委員長としてなにかと準備におわれています。

さて、その大会開催の第二次案内(プログラム)を画像にして、このブログに貼り付けておきます。学会ホームページの更新がまだできていないので、先にこちらから第二次案内を流します。

画像の2枚目に「大会参加申し込み」の方法が書いてありますので、その内容を確認して、参加申し込みを行ってください。みなさまの参加、お待ちしております。

<大会案内>

<大会プログラム>

<懇親会のご案内>


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気付けば大学教員生活満20年。21年目に突入しました。

2021-09-09 19:30:43 | 学問

下記の内容は、9月1日にフェイスブックやツイッターに書きこんだ内容に手を加えて、こちらのブログに転載したものです。

下記にも書いたとおり、2001年9月1日付けで京都精華大学の教員になったので、大学教員生活は「満20年」です。今月から21年目突入です。ほんと、我ながら「よくがんばって働き続けたなあ」って思います。

定年までまだ13年くらいありますが(今が52歳なので)、これからは「後を継ぐ人」のことを意識しながら動きたいなあって思います。

また、徐々に自分の身の丈の範囲内でしか仕事できないというか、だんだん「口は動くけどからだは動かない」「休まないと仕事できない」状態になってきてますので…。「ぼちぼち、やることも整理して、仕事の範囲も抑えたいなあ」って思っています。

ということで、今後とも、どうぞよろしくお願いします。

<以下、9月1日にフェイスブックやツイッターに書いた内容>

今日は9月1日。2001年9月1日付けでうちの大学に着任したので、今日で満20年になります。いよいよ21年目。着任して間もない頃の学生と遊べる元気さは影をひそめ、もう「ベテラン」というか、立派な「おっさん教員」の仲間入りです。なかなかからだが動かなくて、口ばっかり動く…。

ついでにいえば、2001年8月31日付けで兵庫県の川西市子どもの人権オンブズパーソン(川西オンブズ)の調査相談専門員の仕事を辞めました。だから川西オンブズ辞めて満20年です。もう子どもの人権論の世界でも、私の経験談は「伝説の勇者」の話ですね。そろそろ子どもの人権論からは「引退」かな。

ただ大学の仕事にしても、子どもの人権論にしても、若い研究者や実践者が増えているので…。私の残された仕事として、成功話も失敗話も全部ひっくるめて、きちんと今までしてきたことを正直に「語り継ぐ」ということがあるかな、とは思ってます。後継者つくっていかないとねえ…。

「からだは動かないけど口は動く」から、「若いもん」に煙たがられても叱るときは叱って、「やればできるじゃ~ん!君らすごい!」と感心するときは感心して、「よしよし…」となぐさめるときはなぐさめて、言うべきことはいう。これが、「おっさん教員」になった私の今後の仕事かなと思います。

ただ、願わくば「中間管理職」や「トップ」ではなく、「ひとりの職人頭みたいなおっさん教員」として、小中学校・高校や支援学校から大学までの教職員や研究者・専門職の「若いもん」とかかわる感じがいいなあ。子どもや学生とかかわる「現場」を離れたくない。それだけは思います。


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今週から当分の間「遠隔授業」対応です。

2021-04-26 19:39:06 | 学問

昨日もプリキュアの話の前に少しだけ書きましたが、今週から当分の間(=本学では今年度から4学期制(クォーター制)導入なので、第1クォーター終了の6月初旬まで)、私が担当する科目については対面授業から「遠隔授業」に切り替えることにしました。

これは京都府からの新型コロナウイルス感染症の「まん延等防止措置」に関する要請で、「大学などへの学生の入講を制限すること(50%以下に減らすのが目標)」という話があり…。それに本学として協力するために、先週中に準備をして、今週から「可能な限りの遠隔授業対応」がはじまることになったものです。

ただし、たとえば各学部の必修科目(実技や卒論ゼミとか)などについては、平日午後の時間帯に隔週で、学年を分けて(今週は1年・4年、来週は2年・3年という感じで)「対面授業」を継続します。だから、学生たちと教職員の一部は、引き続き大学に来ています。

まあ、私の担当する教職課程科目の場合、朝1限や夜6限といった変則的な時間帯に開講する科目が多く、特に夜6限開講の科目などは、終わったら19時半。20時からの飲食店の営業自粛措置などを考えると、「6限の授業に出たら晩ごはん食べられない」ような学生もでそうです。おまけに私も西宮~京都の遠距離通勤のリスク(自分も感染しそうだし、ウイルスを大学に運んでしまいそう…)を抱えています。

ということで、上記の要請に積極的に私は応じることにして、第1クォーター終了までの「遠隔授業への切り替え」を選びました。

なお、その「遠隔授業への切り替え」にあたって、先週木曜日(4月15日)に、フェイスブックやツイッターで、以下のような内容の文章を書きました。それをこちらにも転載しておきます。私がいま、考えている「遠隔授業」のあり方です。「少なくとも、この方法が今の自分にはベターかな?」と思う方法を書いてみました。

<以下、4月15日にフェイスブックに書いた内容の転載(もとはツイッターでのつぶやき)>

とりあえず感染拡大防止の観点から、私の担当科目の授業を「対面」で行うのは、あした金曜日まで。来週から第1クォーターの終わる頃(6月最初の週)までは、一応、自分の担当科目すべてで「遠隔授業」対応の予定です。ただ、私は資料・課題配信型オンリーだからな~。

「スマホのギガ食うだけのくだらない動画配信授業」よりも、「あらためて読んだらけっこう面白いPDF資料を送り、その資料に学生なりにコメント書いたら、ていねいなお返事が届く『文通』スタイル」で、私は今年も「遠隔授業」するつもりです。

ついでにいうと、その「文通」スタイルが成立するためにも…。今週までは「対面」できっちり授業して、私の顔と名前とキャラクターを受講生に理解していただく。私も受講生たちの姿、顔をできるだけ目に焼き付け、声も覚えておく。そういうことをいま、心がけています。

そうやって受講生たちの姿や顔、声などを思い浮かべながらPDFの配信資料をつくったり、学生からのコメントへの返信を書く。そうすることで、「文通」スタイルの「遠隔授業」にも、「対面」とはまたちがった「親しみやすさ」が生まれると思ってますので。

ついでにいうと私、本や論文、雑誌記事読んでいても、書いている人の顔や息遣いが思い浮かぶときってあるんですよね。特に自分の知り合いが書いている本や論文、雑誌記事だと、その傾向ありますね。それを思うと、きっとPDF資料と課題配信型の「遠隔授業」にも似たような傾向あるだろうな、と。

だから「やたらとスマホのギガ食うだけのくだらない動画配信授業」よりも、「資料を書いている私の気持ちや息遣いが伝わり、読んでいる学生とお互いの気持ちが通うような『文通』スタイル」の「資料課題配信型」の遠隔授業をやりたいわけで…。

たとえPDFでつくった資料を「読む」かたちでの遠隔授業でも、画面で見ている文字の向こうに、私の顔が思い浮かぶ。そんな感じで学生たちが配信資料を読み、課題に取り組み、思ったことを返信してくれたら…。そのほうが、くだらない動画をいやいや見ているよりも、よほど「双方向」ですよ。

※以上で転載終了。


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3月17日(火)午後、子ども情報研究センター・子ども人権部会のご案内(定員充足、受付終了)

2020-02-17 20:14:58 | 学問

※3月5日(木)追記

下記の子ども情報研究センター・子ども人権部会のご案内ですが、おかげさまで定員を充足しました。

また、新型コロナウィルス性肺炎の感染拡大防止の観点から、これ以上の参加申込の受け付けはしないでおこうと考えております。

なので、大変申し訳ありませんが、今後の申し込みはお断りさせていただきます。

なお、同じ内容での学習会の企画をご希望の方は、別途、私の方までご連絡ください。

<子ども情報研究センター 子ども人権部会のお知らせ>


○テーマ
編者といっしょに『「いじめ防止対策」と子どもの権利』を読む

○今回取り上げる本
鈴木庸裕・住友剛・桝屋二郎編著
『「いじめ防止対策」と子どもの権利』(かもがわ出版、2020年2月)

○報告者:住友 剛(京都精華大学)

○日時:2020年3月17日(火) 13時~15時

○場所:子ども情報研究センター事務所
 〒552-0001 大阪府大阪市港区波除4丁目1−37
 HRCビル5階 
 地下鉄中央線「弁天町」駅4番出口より 700m(徒歩10分)

○定員:10名(先着順)
※場所の関係で参加可能な人数に上限があります。
 参加予定の方は下記までご連絡ください。
 子ども情報研究センター事務所 
 FAX:06-4394-8501 電子メール:info(アット)kojoken.jp (「アット」の部分は@を入れてください)

○座長からひとこと
みなさま、おひさしぶりです。この何年か、子ども人権部会は子育ち連携部会と合同で公開学習会を行ってきました。今回は久しぶりに子ども人権部会単独での開催になります。
さて、このたび『「いじめ防止対策」と子どもの権利』という本を、私が編者のひとりになるかたちで、研究者・医師・弁護士・スクールソーシャルワーカー・養護教諭、そして遺族の方との共著でまとめました。この本は、いじめの重大事態が起きた時の対応、特に調査委員会運営のあり方や、未然防止・再発防止策の実施のあり方などについて、「子どもの権利擁護」の視点から考えてみたものです。なお、この本は2月末には書店に並ぶと思いますし、Amazonなどでは予約注文が可能です(当日も会場で販売します)。
今回の子ども人権部会では、編著者のひとりである私の方から、どのような思い・内容でこの本をまとめたのかについて概説した上で、あらためて今後のいじめの重大事態対応のあり方などについて議論をしてみたいと思います。
場所の関係で参加者の上限が設定されていますが、どうぞご参加ください。(文責:子ども人権部会座長 住友 剛)

※追記:同様の学習会の開催を希望される方は、私のところまでご一報ください。この日も参加できる方の数に限りがあります。ご希望の方が多いようでしたら、二度目、三度目の学習会の開催を考えます。


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雑誌『季刊教育法』での連載、はじまりました。

2017-09-28 08:51:56 | 学問

さっそくですが、『季刊教育法』という雑誌の最新号(第194号、2017年9月)から、私の連載企画「『ハの字』の両側を見つめる学校事故・事件学」がスタートしました。

いまのところ、この号を含めて4回の連載になる予定です(評判がよかったら、もっと先まで続くかもしれませんが・・・。ただ、ネタが続くかなあ?)。

タイトルを見ておわかりの方もいるかと思いますが、私がこの春に出した『新しい学校事故・事件学』(子どもの風出版会、2017年3月)で書いたことを、よりていねいに、読みやすく、「ここがポイントだよ」という形で連載にしようと思っています。

もしよかったら、『季刊教育法』と『新しい学校事故・事件学』の両方を買ってください。なので、両方の画像をここに貼り付けて、リンクも貼っておきます。(なお、『季刊教育法』第194号のほうのリンク先は、出版社・エイデル研究所の出版物データベースにしています。まだAmazonにはでていないようなので・・・)


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2017年8月6日(日)午後の子ども支援学研究会のお知らせ

2017-07-22 12:06:38 | 学問

2017年8月6日(日)午後の「子ども支援学研究会」の案内がようやくできましたので、こちらで画像にしてアップし、みなさんへの告知とさせていただきます。

ちなみに・・・。ここ2~3年、この子ども支援学研究会では私が司会をすることが多くてですねえ、「ええ加減、誰か代わってくれ~」という思いが正直、募っておりました。

なので、今回はその願いがかないまして(笑)、ひさびさ(いや、もしかしたら初めてかも??)に、「指定討論者」に私がまわることになりました。

まあ、そんなわけで、いじめ問題と子どもの相談・救済に関する浜田寿美男さん(前・川西市子どもの人権オンブズパーソン代表。奈良女子大学名誉教授)のお話に対して、「指定討論者」としていろいろ質問してみようと思っております。

特にいじめ問題を考える上での子ども観の部分で、浜田さんにはいろいろと伺ってみたいと思うことが多々あります。きっとその子ども観の部分で発想がいろいろ問い直されてくると、いじめ防止対策推進法への理解も変わってくるだろうなあ・・・と思ったので。

たとえば最近、私は「都会の下水管のなかでくらすドブネズミにとっての『自然』ってなんだろう?」ということをよくく考えます。

それこそ、都会の下水管はたしかに人間の側から見れば「人工」のもので、「自然」そのものではない。

だけど、生まれたときからそこで生息しているドブネズミにとっては、それが生態系、生息環境そのものなんですよね。

そして、長い間、下水管で生まれ育ったドブネズミには、そこ以外に生きられるような「外の世界」がわかるんだろうか・・・とか思ったりするわけです。

また、ドブネズミが下水管を自らの生息環境として「したたかに」生きていくための、その適応方法ってなんなのだろうか・・・ということにも関心があります。

この「都会の下水管」を「学校(制度)」に、「ドブネズミ」を「高学歴社会に生きるいまどきの子どもと若者」に置き換えて考えると、いろいろ、見えてくることがあるかと。

こういう観点から「いじめ」問題を考えると、どうなるんだろう・・・って、浜田さんに聴いてみたかったわけです。

なにしろ、浜田寿美男さんって、私が読んだものの範囲でいえば、たとえば学校(制度)は近代社会成立後の「人工」物で、「自然」なものではない・・・というところから子ども論を進めておられますもので・・・(笑)

また、浜田さんは「いまどきの子どもの生きるかたち」といいますか、ライフスタイルにこだわったお話も書かれたりしていますので(笑)

<追記>今から4~5年前、まだ私が大学院人文学研究科の科目を担当していた頃、「浜田寿美男の子ども論」をテーマに半年間、講義をしたことがあります。その頃に浜田さんの書かれたいろんな本、読みましたねえ(笑)


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あくまでも「直感的」に思ったことですが。

2017-07-11 22:27:23 | 学問

ここのところ、少なくとも私の目には、といいますか、私の体感あるいは直感的には、といいますか・・・。

そのことばを繰り出すご本人はいたってまじめに、善意でやっているつもりかもしれないけど、でも「従来と同じような(公)教育批判や学校批判のことば」を繰り出せば繰り出すほど、気付いたら今、文科省+政権与党の打ち出そうとする教育改革を「追認」し、さらに(公)教育や学校の状況を悪化させかねないような、そういう「しかけ」が何か、できあがっているように見えてきています。

その「しかけ」の部分をどのように解き明かすのか。

その「しかけ」の部分をどのようなことばにして表現するのか。

そこがかなり、難しいのですが。


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「縦割りのタコツボに細分化された仕事」を「ヨコにつなぐ」作業

2017-07-10 23:41:42 | 学問

ほんとうはある人にかかわるひとつひとつの出来事、もの、ひと等々が、別の出来事、もの、ひと等々と複雑に、いろんなかたちでつながりあっている。

また、あるポジションに立ってみると、そのつながりあいがいろんな形で見えて来て、次々に「あっ、これも!」「こっちも!」っていう具合に課題も見えてくる。

でも、そういう風に次々に課題がつながって見えてくると、考えるべきこと、やるべきことも増えて来て、とってもしんどい。

だから、どこかでその出来事やもの・ひと等々のつながりを「あえて、見ない」ようにしてみたり、「あえて、考えない」ようにして、自分を楽で、安全・安心なポジションに置いたりする人もいる(ついでにいうと、研究者の世界での「〇〇学」や「〇〇論」の「専門」なるものも、もしかしたら、この「あえて、考えない」「あえて、見ない」ことの仕切りをつくることによって成立しているのかもしれない)。

でも、いったんその「あえて、見ない」ことや「あえて、考えない」ようにしてきたこと課題に気付き、その課題から自分に深く、何か問いかけられているように思ってしまったときには・・・。

実は、こちらがどれだけしんどくても、向こうからその課題が追っかけてくるから、結局、逃げられなくなるんだよねえ。なにしろ逃げても逃げてもその問いかけ、その課題が追ってくるから、それに立ち向かう術と知恵を自分で編み出して、なんとかしのぐしかなくなる。

自分がこれまで取り組んできたこと。それは研究上の課題であれ、大学教員としての教育や大学運営の仕事であれ、市民活動の課題であれ・・・だけど。そういう自分のこれまで取り組んできたことというのは、なんかこの「逃げても逃げてもその課題、その問いかけが追いかけてくる」ような、そういうものばかりだったような気がするなあ。
ふと、今夜はそんなことを思いました。

なにしろ・・・。もともとの資格課程部門(特に教職)に加えて、副専攻「福祉」コースの準備、障がい学生支援の取り組み、そして高大接続と、人文学部のゼミ担当離れたら、次々に「全学」の教育課題への対応のお仕事が押し寄せてきているもんなあ・・・。いったい、いつになったらヒマになるんだろう・・・。

でも、たとえば教員(研究者)と事務職とか、「〇〇学部」のカリキュラムとか、そういう従来ある「縦割りのタコツボに細分化された仕事」を、「今度は全学的な見地から、現場レベルで日々「ヨコにつなぐ」という仕事があるよな~」なんてことをふと気づいてしまうと、「あっ、これもやらなあかん。あれもやらなあかん」と思ってしまう自分があるわけでして・・・。

そうそう、この「縦割り」のタコツボに細分化された仕事を、別の観点から「ヨコにつなぐ」という意味では、これ、地元・兵庫の教組での私のかかわりもそうだし(生活指導部会と養護教員部の両方に顔出してますから・・・)、研究面で「教育学と〇〇学の連携」みたいなテーマにこだわるのもそうだし、「〇〇運動(主に人権にかかわる社会運動)でやってきたことを、学校事故・事件の取り組みに応用してみる」とかいうのもそうだし・・・。

どうやら自分は、「縦割りのタコツボに細分化されたこと」を別の観点から「ヨコにつなぐ」ことに、今はいろんな領域でこだわっているんだな~って、ふと、思いました。


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正直なところ「いかがなものか」と思っていること(その2)

2017-05-29 07:30:30 | 学問

部活動の大会 平日開催の是非を問う 「授業よりも部活動優先」の危うさ

(Yahoo!ニュース、2017年5月28日)

https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20170528-00071413/

昨日から書き始めている「正直なところいかがなものか」と思っていることの2つめは、この記事です。

「結局、彼は、『授業が大事』『学習指導要領にもとづく正規の教育課程が大事』というその枠組みを越えられないんだな」ということですね。

あれだけ「教育を問う」とか「学校を問う」とか言っているわりには、たとえば彼は「部活動」であったり「2分の1成人式」であったり・・・と、どちらかというと、「特別活動」や「正規の教育課程外の教育活動」だったりする部分を問うていて、「本丸」ともいえる「授業」や「学習指導要領の枠組み」それ自体は「不問」にしているんだな、と。

この彼の論理の延長線上でたとえば教員の多忙化緩和策や部活動の活動日数・時間数規制をしていくと、結局、どういう学校ができあがり、どういう教育が営まれるか。

結論から言えば「がっちがちに固められた学習指導要領の枠組みのなかで、教職員と子どもがひたすら、授業に専念しているような、別の意味で『余裕のない』学校」かと。

ちなみに、このがっちがちに固められた学習指導要領の枠組みそのものが、子どもや教職員の負担しきれないくらいの学習内容を質・量ともに消化することを求めていたら・・・。彼の発想を前提にすると、多忙化は部分的に緩和されるかもしれませんが、抜本的には解消されません。だからこそ、教員の多忙化や部活動の活動日数等の規制の必要性は一方で認めるものの、他方で私は「ものたりない」と、彼らの多忙化緩和のキャンペーンについては思ってきました。

もちろん「学校は本来、勉強するところだ」とか、「学校での教育は本来、学問をするところだ」とか、そういう価値観があるのは認めます。彼も、もしかしたらそういう価値観の持ち主なのかもしれません。

でも、「学校で子どもが学んだり、経験したりする必要のあること」のなかに、「精一杯、自分の今、手持ちの力で、何かにチャレンジすることの大切さ」みたいなものを入れてみる。これを仮に「今を生きる経験」と呼んでおきます。また、この「今を生きる経験」そのものが「いまどきの中高生にとって必要な学習経験であり、学問への入り口になるものだ」と考えてみます。

ちなみに、私はどちらかというと、学校のなかであれ外であれ、子どもたちの「今を生きる経験」を充実させてほしいし、おとなたちはその「今を生きる経験」にできる限り、向き合ってほしいと願っています。

そういう風に考えてみたときに、「はたして今の学習指導要領の枠組みや、日々営んでいる授業のなかに、そのような子どもたちの『今を生きる経験』みたいなものが多々、含まれているのか?」という疑問もわいてきます。

だとすると、むしろ「いまどきの中高生にとって、『今を生きる経験』の場になっているのは、学習指導要領の枠組みに沿った日々の授業よりも、部活動だ!」なんて話も出てくるかもしれませんね。

そして、「いまどきの中高生にとっての『今を生きる経験』の時空間・仲間を保障するためには、むしろ学習指導要領の枠組みなんてぶっとばし、日々の授業もいったん脇において、熱心に部活動やることのほうが大事」なんて発想もでてきますよね。

とすれば・・・。「平日に数日、部活動の試合をしたからといって、どうなの?」という意見や、「学校の授業を休んでも、それにかわりうる貴重な経験をするんなら、別にいいじゃん」という意見にも、それなりに「一理ある」ということになりますよね。

さらにここへ「シーズン中は平日に試合等をして、土日はしっかりやすむ。試合で出られなかった授業は、オフシーズンなどに補習をする」なんて発想も組み入れたら、どうなりますか? 「別に何か、問題ありますか?」ということになりますよね。

要するに「大会日程と休養日、そして授業時間の確保。この3つを両立可能なカリキュラムをうまく組んだら、それでいいじゃん」って発想もあるわけですが、なぜこういう発想に彼は立たないんでしょうか?

私はやっぱり、彼は「学校」や「教育」のあり方を問うというわりには、「学校」や「教育」は「かくあるべし」ということに強いこだわりを持っている。なおかつ、そこだけは常に「不問」にされている。そして、その「不問」になっているこだわりの部分が、実は意外と「学習指導要領の枠組み」だったりするのではないか・・・と思っています。 

いかがでしょうか? こんな風に考えていくとと、「教育」や「学校」のあり方を問いたい彼のまじめさ、善意は否定しないものの、やはりその「問い方」やその「問い」の前提にある価値観の部分で、私などは「いかがなものか?」と思ってしまうんですよね。

いまどきの教職員や子どもを最も追いつめたり、苦しめたりしているものが、もしかしたら「学習指導要領」かもしれないと思ったら、彼のような議論にはならないような気もするんですよねえ。

なお、「学習指導要領」自体もよく読み込むと、けっこう融通の利くものになっているところがあります。そういう「融通の利くもの」として読み込んでみると、先の私が言う「大会日程と休養日、そして授業時間の確保。この3つを両立可能なカリキュラム」だって実現可能かもしれません。

でも、こんな発想、今の彼からは出てこないだろうなあ・・・。


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正直なところ「いかがなものか」と思っていること(その1)

2017-05-28 23:46:49 | 学問

このところ、学校での事故・事件に関する研究動向を見ていて、正直なところ「いかがなものか」と思っていることを、この際、少し書いておこうかなと思います。

この内容は昨日、CAPセンター・JAPANの総会記念講演会でもお話したことと重なるのですが・・・。

また、これはあくまでも「私の目から見て」の話でしかないのですが。

要するに「子どもを守りたい」とか「子どもの安全・安心の確保を」といいつつ、実は「それって、おとなの不安の解消」とか「おとなの不信感の緩和」のためにやっていて、「肝心の子どもそっちのけ」の話になっていないか、ということが、時折、子どもの安全・安心確保策についての議論に見受けられるんですよね。

たとえば、次のようなパターンの議論を見かけたときに、私はこのところ、「それって、おとなの不安感や不信感の緩和のための議論じゃないの?」と思うのです

(1)そもそも、子どもたち自体を「危ないこと」から遠ざけておく。そうすれば事故・事件は防げる。

⇒どこで子ども自身が身を守る術を学ぶの? 子どもが成長する上で貴重な体験を得る機会はどうなるの?

(2)たとえば「暴力をふるう」などの「他人に危害を加える子」は、学校から排除しておく(あるいは、そういう行為があれば排除する)。

⇒「学校安全・安心ルール」なるものをつくる自治体もある。あるいは、障害のある子どもなどの分離・別学を望む声もある。

 さらに、そもそも「問題行動を起こさないような子どもに家庭が育てるべき」だと考えたら、「家庭教育支援法案」なども出てくる・・・。

(3)そもそも「学校で子どもどうしが濃密に関わる機会」がなければ、問題も生じない。

⇒どこで子どもの仲間関係を育てるの?

(4)そして、GPSケータイと監視カメラで子どもの登下校や学校生活の「すべて」を把握しておきたい。

⇒それでおとなは安全・安心かもしれないが、一方で監視社会・管理社会を創り出すことにもなる。

ざっと、こんな感じですね。

以上の(1)~(4)のような環境で、確かに子どもの安全は守られるかもしれないし、子どもとかかわるおとな(たとえば保護者とか)も安心かもしれない。

もちろん、「隅々まで誰かが子どもを監視・管理してくれているほうが、子ども自身もおとなの側も安全・安心」という発想もあるわけですが・・・。

しかし、これって見ようによっては、子どもに対するおとなの「善意」による「支配」、あるいは子どもに対する「監視・管理社会」の構築ですよね。

それでほんとうに、いいのかな?

あるいは、これって正直なところ「いかがなものか」とか思ったりするんですよね・・・。


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「量産型モビルスーツ」の生産のような今後の教員養成??

2017-05-23 08:20:13 | 学問

この土日(5月20日・21日)と、東京・玉川大学まで出張しておりました。

一般社団法人私立大学教職課程協会(全私教協)の定期総会&研究大会というものに、うちの大学の教職課程科目担当者として出席したわけですが。

そこに出ていて感じたこと、ここに書いておきます。

まあ、これから文科省が各大学を通じて進めて行こうとしている「教員管理政策の動向」にかかわることですが・・・。

まず、当日、他大学の知り合いの教員ともちらっと話をしたのですが、どうやら文科省は今後の教員養成において「量産型モビルスーツみたいな教員」をつくりたいようです。

しかも、そのための理屈づけに「大学の質保証」システムの構築と、医師その他の国家資格を必要とする職業に教員を近づけていくという、そんな「専門職教師」論、そして「多忙化解消」談義をくっつけたような話をしております。

また、その「しかけ」としてでてくるのが、「教職課程コアカリキュラム」という発想ですね。なお、このコアカリキュラムづくりに、一部の教員養成大学関係者や教職課程科目の担当教員がすでに「動員」されています。「教員養成の専門家のみなさんのご意見も聴いて聴きました」という形をとっているわけですね、はい。

この「教職課程コアカリキュラム」ですが、要するに、国公私立のすべての大学の教職課程で、それぞれの免許取得対象者に最低限、各科目で取り扱うべき内容をある程度、具体的に決めて、それをシラバスに盛り込ませる。そのときに他の国家資格、たとえば医師免許ではこんなことしているでしょ、獣医師でもこういうカリキュラム組んでるでしょ・・・みたいな話をするわけですね。

たとえば従来の「教科教育法(社会科教育法)」では、「学習指導要領の内容に関することは必ず扱え」とか、「その教科でのICT教育に関することは必ずやれ」とか、そういうことを書きこんでくるわけです。あるいは、教職課程コアカリキュラムのなかに、「学校安全」に関する事項を盛り込もうという話もでています。そういう形で、うまくいけば「最低限、教員になるために知っておくべきこと」の水準が具体化され、確保されるというメリットが、このコアカリキュラムにはないわけではありません。そのため「一概にダメとは言いづらい」という面があります。

ただ、その「教職課程コアカリキュラム」の内容がシラバスに盛り込まれ=再課程認定や新規の認定でそれがチェックされるとともに、今後、担当教員もそれに関連する業績を持っているかどうかをチェックされますし、今後の文科省の各大学での実地視察なんかでもそのあたりを見る・・・ということが十分、予想されます。

なおかつ、文科省はこの春、つくばにあった教員研修センターを再編した「独立行政法人教職員支援機構」をつくりました。将来的には、ここで「教職課程コアカリキュラム」の内容理解を中心としたテストを開発して、どうやら先々、各都道府県・政令市等がやっている教員採用試験の「統一の一次試験」みたいなものをやろうとしている様子です。それも「学校現場や地方教委の教員採用試験の負担、たいへんでしょう。それを国が肩代わりします・・・」ということと、「公教育を担う教職員の質保証」という理屈をつけてやるわけですね。「他の国家資格だって、国レベルでの統一試験やっているわけですから」という話も、ここに加わります。

さらに、この「教職課程コアカリキュラム」で身に付けた基本的資質の土台にたって、「地方独自の課題に対応した養成・採用・研修の一体化」をする。そこで、都道府県教委や政令市教委が主導する形で、「教員育成指標」をつくるための協議会が今後、つくられることになります。そこで、各地域での教委側の要請と、大学側の思惑とをすりあわせたかたちで、各地域独自の教員養成をするわけですね。すでに東京都が小学校教員の養成に関して、独自の指針みたいなものをつくっているようですが・・・。

・・・という具合に、ここまで書いたことでおわかりいただけるかと思いますが、大学側の学問や研究・教育の自由度を「公教育における教職員の質保証」という観点から、文科省と地方教育行政の両面からある程度まで「制約」しかねないということ。その結果、私の目から見たら、「量産型モビルスーツのような教員」を「質が保証された専門職教師」として、大量に学校現場に送り出したい・・・という意図がうかがえるわけですね、はい。もしかしたら学校現場に今、必要なのは「量産型モビルスーツではなくて、プロトタイプのガンダム、ガンタンク、ガンキャノンかもしれない」という発想は、そこにはありません。

しかも、これって戦後日本の大学における教員養成の根幹にもかかわるような大改革なのですが、「これをあと1か月ちょっとで具体化して、やれ」という、そういう「むちゃくちゃなこと」をやろうとしているわけですね、文科省。もちろん、教育再生実行会議などで方針がでてから一定の月日がたつわけですが、それでも、やはりていねいな議論を蓄積するには時間がかかるわけで・・・。おそらく、何かが見切り発車されることは、十分、予想されます。

そして、こういう構造・構図のなかで教員養成改革行われているのを、従来の「専門職教師」論や「多忙化」談義やっている人たちが十分に捉えきれているのかどうか。

「専門職としての教師」等々、佐藤学さんあたりが言うてきたことなんて、なんかここのところの大学教員養成の質保証なんていう怪しげな文科省の管理政策とくっついて、ヤバい流れに巻き込まれているような、そんな気すらしてきたんですけどねえ・・・。

おそらく、この手の「質保証された量産型モビルスーツみたいな教員」には、「管理職や教育行政のしていることがおかしいと思ったら、異議申し立てをする」なんてプログラムは、入ってこないんだろうなあ。あるいは、「現場で起きている問題でマニュアルにないことは、自分で何が適切かをその場で判断して行動する」なんてことも、きっとここでいう「質保証」には「なじまない」といって、切り捨てられるんだろうなあ。そんなことに、従来の「専門職教師」論が接続されて、いいのかしら??

いずれにせよ、私立大学の教職課程担当者として、これから次々に押し寄せる「激動」の波をかぶることは、避けられないなあ・・・と思ったのでした。


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これは「大学授業料の後払いシステム」で「無償化」でなく、しかも大学への管理・統制強化策にもなる。

2017-05-23 08:14:29 | 学問

大学在学中は授業料無償化し卒業後納付 首相に提言提出

(2017年5月22日 16時28分 NHKニュース)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170522/k10010990911000.html

記事本文を読んでいただければすぐわかりますが・・・。

これってただの「大学授業料の長期間後払いシステム」であって、「無償化」じゃないよなあ。

なおかつ、すぐに予想されることだけど・・・。

まず、一時的に在学中、授業料を払わなくてすむために、大学等には国庫補助を増額することになる。

その国庫補助の支給要件をものすご~く厳格にしていけば、国がこのシステムつかって各大学を「支配」することも可能だな、これ。

お金の面からギューギュー各大学の自立性・自律性をしめあげるというのか、おそらく各大学を生かすも、殺すも、その支給要件次第ってことになりそう。

要するに、小中学校や高校並みに大学を国が管理・統制するシステムをつくる口実としても、この「授業料口先だけ無償化、実態は長期間後払いシステム」は使えるわけだね。

だ~れもそういうこと言わないから、あえて言っておく。



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6月3日、大阪・梅田にて「家庭教育支援法案」に関する学習会が行われます。

2017-05-14 07:56:28 | 学問

私はこの日不参加になりますが、下記のとおり6月3日(土)、大阪・梅田にて「家庭教育支援法案」に関する学習会が開催されます。

関心のある方、ぜひ、ご参加ください。

○子どもの権利条約関西ネットワーク主催 家庭教育支援法学習会

「家庭教育支援法ってなんですか?」

2017年6月3日(土)14時~16時 龍谷大学大阪梅田キャンパス研修室

要申し込み・定員80名(先着順)、資料代800円

申し込み(メール申し込みのみ):kodomonokenrikansai@gmail.com (氏名と参加人数、連絡先、保育サービスの有無を必ず書いてください)

<プログラム>

講演「家庭教育支援法案の問題点―子どもの権利の視点から―」(仮)

國本依伸弁護士 60分

子ども支援の現場からの報告 30分

質疑応答 30分

 

 


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