できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

できることを、できる人が、できるかたちで

2008-06-30 10:21:04 | 学問

「できることを、できる人が、できるかたちで」

このことを、あらためて大阪市内の旧青少年会館所在の各地区で、子ども・子育て関連の活動や、識字教室などの社会教育関係の活動、文化・スポーツ関係の活動を続けたり、はじめたりしようと思う人たちに、伝えておきたい。(まぁ、このブログをどれだけ見ているか、わからないのではあるが)

たとえば、毎日仕事を続けている保護者にしてみれば、毎月1回どこかの土曜日の昼間、旧青館に子どもたちを集めて、何かイベント的な活動をする。それだけ、手一杯かもしれない。また、月によっては参加者が多い月もあるだろうし、少ない月もあるだろう。でも、まずはそれでいい。それが1年、2年と続いていけば、着実にその地区に、子どもや保護者の自主活動が根付いていく。

あるいは、そういう月1回程度の子どもの集まりを企画するグループが、複数あればどうだろうか? 第1週には地元の学生ボランティア主体のグループが何か企画し、第2週は保護者のサークル、第3週、第4週は地区外のボランティア団体主催の活動・・・・という風にまわせば、それぞれの団体などの負担は「月1回」の活動だけど、子どもの側から見れば、毎週土曜日、旧青館には子どもが集える活動がある、ということになる。こういうのが1年、2年と続けば、ますます、土曜日の旧青館活動はにぎやかになる。

また、今のところ旧青館の利用は体育館・グラウンドなどスポーツ施設部分が中心であるが、これはこれでOK。これも平日の昼間の利用者が募れるように、たとえば高齢者や主婦など、平日動きやすい層へのスポーツ活動利用を促す取組みをすればよい。

同様に、今までちがうところで行ってきた研究会・学習会や研修などを、平日の昼間の旧青館に移して行うようにすれば、平日の利用は増える。各地区での住民団体などの打ち合わせ、関係諸団体の各種会合なども、できるだけ旧青館を使うようにすれば、利用は増えるだろう。

あるいは、土曜日や長期休み中の子どもの活動に参加したい人たちを募って、ボランティア養成講座のようなことを企画する団体があってもいいだろう。平日の夜、自分たちで集まって誰か講師を呼び、「人権講座」とか、「まちづくりを考える講座」というようなことをやってもいいだろう。

こうしたひとつひとつの旧青館利用の取組みは小さくて、一見、取るにたりないように見える。でも、こうした活動が積み重なっていくと、気づけば「旧青館全体の利用率向上」ということになっていく。また、こうしたひとつひとつの取組みをたてに、横に、ナナメにつないでいけば、旧青館所在の各地区の子ども・子育て関連の活動や、社会教育・文化・スポーツ活動を軸にして、地域活性化の取組みができると思う。

そして、地元住民や保護者、子どもの活動が、たてに、横に、ナナメにつながったかたちになっていけば、その相互作用で、さらにいろんなアイデアがわいてきて、「あんなこともやってみよう、こんなこともやってみよう」という人が出てくる。こうなればまさに、千葉・習志野市で学校施設開放をきっかけに面白いまちづくり活動に取り組んだ岸祐司さんが、よく「いいこと循環」という言葉を使うのだが、その「いいこと循環」が各地区で起きてくるのではないだろうか。

だから、まずは「なんか、ここらでいっちょ、地元で活動やってみよう」と思う人が3人集まれば、自主サークルとして「ゴー」サインを出していこう。その3人が「できることを、できる形で」まずは、やりはじめてみよう。そしてできればその3人が、別の誰か、地元で活動をしている人たちと話をするだけでもいいから、何か交流することを心がけてみよう。あるいは、3人でやりはじめた活動について、積極的に情報発信してみよう。そうすることが、「いいこと循環」を生み出すきっかけになると思うから。

2006年度末での青少年会館条例廃止・事業解体を積極的に推進した人々に対して、今もなお可能な「抗議」の意思表示は、いろんな困難はあるだろうし、時には妨害もあるかもしれないが、「あらゆる利用形態を模索しつつ、徹底的に旧青館を利用し続けていくこと」だと思う。また、「旧青館を利用している人々が今もなおいる」ということを、あらゆるルートを通じて積極的にアピールし続けることと、ひとりひとりの利用者が「ここは地元住民が自分たちの生活や学びを営む上で、必要不可欠な場所なのだ」ということを、自らの意志と行動で持って示し続けることだと思う。

そして、まだ旧青館が利用可能なうちに、また、先行的に出発した自主サークルなどが粘り強く活動しているうちに、新たな子どもや保護者、地元住民の教育・生涯学習活動、文化・スポーツ活動を組織化したり、その諸活動の活性化に向けて、外部からの支援も得ながら、新たな動きを出していけるかどうか。そこに、各地区の運動体(特に幹部層)の課題があるのではなかろうか。また、こうしたことに積極的に取り組むなかで、不祥事を生み出した体質的な問題点を早急に改善し、新たな運動体として出直すことができるかどうか。そこも問われているのではないだろうか。

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昨日、うかがった、うれしい話。

2008-06-29 13:59:36 | 受験・学校

昨日、ある会合で、大阪市内のある旧青少年会館を活用して、保護者たちが協力し合って子ども会活動に取り組んでいる話を聴きました。

もちろん、いきなり保護者がなんでもかんでもできるというわけではないので、無理のないところで、最初は月1回程度、条例廃止前に青少年会館で集まっていた子どもと保護者が、何か集まる機会が今後ももてたら・・・・というところからはじまったそうです。また、今のところは、小学生の子どもとその保護者が中心になっているそうです。そして、月1回のイベントに参加する人数にも、その回ごとに変動があるそうです。

ただ、それでも、夏休み中にキャンプに出かけたり、冬休みや春休みなどには、集まる回数を増やしたり、学生ボランティアの協力が得られるようになったり、子どもたちの活動日の連絡用にブログをつくったり・・・・と、徐々に活動の幅が広がってきているとのこと。また、今の大阪市の行政施策のなかで、子どもたちの地域活動支援の枠で使えそうなプログラムだとか、助成金の公募などに応募して、それも適宜、子ども会活動を続ける上でうまく活用しているとか。そして、時折、子どもたちの集まる日に、仕事の休みなどが重なっている元青館スタッフの方もふらっと手伝いに来られたりするそうです。

個人的な思いとしては、こうした地道な取組みが、やがて保護者と地域社会の人たちの連合体というか、ネットワークをつくって、「小学生の子どもたちの放課後・長期休暇中の生活と学びの支援」という観点から活動を続けるNPOなどができていく。そのNPOが、たとえば平日や学校の長期休み中は学童保育事業を運営したり、中学生や高校生で学校の勉強になかなかついていけない子どもには、補習塾的な活動をしたり、あるいは、悩みを抱える地元の子どもや若者たちに対する支援活動をしたり・・・・と発展していけばいいな、と思います。そして、そのNPOの活動場所として、旧青少年会館を含む大阪市保有の遊休施設が無償もしくはきわめて安い金額で利用できるようになれば、あるいは、こうした活動に取り組む団体に対して一律適用されるような、活動場所確保に向けての資金援助システムなどがあれば、なお一層、面白い取組みができるのではないか、と思うのですが。

それと、昨日、お話をお聞きした方々は、何度もくり返し、「大阪市内の障害のある子ども・若者たちの居場所の不足」ということを言っておられました。学校のある時期はいいとして、たとえば夏休みや冬休みといった長期休み中、障害のある子どもたちが地域の諸活動に参加する機会をどのように保障するのか。たとえば地域社会のスポーツやアート系、その他の文化的な諸活動に、障害のある子ども・若者たちの参加・参画の機会を保障するという取組み、これは行政施策のなかでどう位置づいているのでしょうか? 今、小学生だと「放課後いきいき事業」が大阪市では全市的に展開されているのですが、この事業について、障害のある子どもたちの参加状況はどんな状況にあるのでしょうか? また、中学生以上だと、どういう場所が考えられるのでしょうか・・・・? そういったことを、あらためて昨日のお話を聴いて、考えさせられました。

あと、昨日、このお話をお聞きしてうれしかったのは、条例廃止が本決まりになる頃に私がこのブログに書いたことを見て、保護者たちで何か、やってみようと思ったということ。それも以前、私がこのブログで、条例廃止後の暫定使用可能な間に、旧青少年会館を活用して、「できる人が、できるかたちで、できることをする」という話を書いたのですが、そのことがきっかけになって、「まずは保護者有志が呼びかけて、月1度でいいから、何か子どもたちと保護者が集まっていっしょにあそぶことからはじめる」ということを、昨日お話をお聞きしたみなさんは思いついたそうです。

このお話をお聞きして、大阪市の青少年会館条例廃止の提案が出て以来、今までの間、ほんと、いろんなことがありましたが、このブログで気づいたこと、感じたことを発信し続けてきてよかったな~と思いました。私自身が、こうした地元で粘り強く取組みを続けているみなさんに、逆に勇気付けられたような次第です。

そして、あらためて言いたいことは、こんなことです。

例の大阪府の財政再建だの、大阪市の市政改革だの、「施策見直し」だのという状況のなかで、それでも大阪市内の旧青少年会館所在の各地区で保護者や地元の住民などを中心に、こうして粘り強く、子ども・子育てに関する地域の取組みをすすめている人々がいるということ。

また、そうした保護者や地元住民などをサポートする形で、学生ボランティアや地元外の人々、研究者などのネットワークが形成されつつあるということ。

そして、そうした地道な取組みを続けている地区間での連絡、連携の取組みもはじまりつつあるということ。

こういう営みのなかに、これから先の各地区での子ども・子育てに関する運動の取り組みのヒントと、今、かなりダメージを食らって(あるいは、時代状況にあわなくなったり、自ら招いた不始末によって)、ガタガタになっている運動を再建していく主体の形成過程を考えるヒントなどが、いっぱい詰まっているように思います。

今後も引き続き、こうした子ども・子育ての活動や、識字教室その他の成人対象の学習活動、その他、文化・スポーツ活動などについて、子どもの人権を大事にするという視点から、大阪市内の条例廃止後の旧青少年会館所在地区で粘り強く取組みを続け、未来を切り開こうとしている人々と、積極的に私、交流を続けていきたいと思います。

それは子ども会活動や識字教室のボランティアの方、保護者会の方、自治会や運動体など地元諸団体の方、元青館職員の方、研究者など、立場を問いません。また、大阪市内に限らず、府下の各地区、さらには大阪府外であっても、こうした志を共有できるのであれば、ぜひ、交流をしていきたいです。

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今日、書いておきたかったこと。

2008-06-18 12:55:11 | ニュース

ほんとうはこのブログで今、いっぱいいろんなことを書いて、情報発信すべき時期なのだが、あいかわらず本業に追われていて、たいしたことが書けない。「なんでこんなに大学の仕事が忙しいのか・・・・」とぼやいてもしょうがないのだが、それでも、今、書ける範囲で、思っていることを書いておく。だから今後も、「今日、書いておきたかったこと」という、きわめて漠然としたタイトルでの記事が何度かでてくると思うが、お許しいただきたい。

この前、このブログで、今月はじめに府知事が発表した大阪府の財政再建プログラムについて、あらためて大枠だけでなく、小さな事業がどうなったかがわかるような資料も、府庁ホームページ上にアップすべきだと書いた。昨日確認したところ、その資料もきちんと今、アップされている。もともと当初から予定されていたのかもしれないが、ひとまず、こうした府庁側の地道な情報公開の努力には、敬意を示しておきたい。

また、これでおそらく、たとえば識字教室事業とか、渡日の子どもの学校生活支援関連の事業とか、学校における子どもの権利擁護に関する事業など、一事業あたりの予算額は少ないけど、生活困難な課題などを抱える府民の生活にとって重要な事業の動向が、きっとわかると思う。これらの事業に関連する資料のPDFファイルをダウンロードはしたものの、まだじっくりと読むことができていないのが残念である。

ただ、予想されるのは、大幅な予算減額か事業そのものの廃止、という既定方針どおりのプランが、そこに反映されているであろうこと。この私の予想に間違いがなければ、渡日の子どもとその保護者とか、文字の読み書きに何らかの不自由を抱えている方とか、大阪府下の学校で何か権利侵害にあって困っている子どもやその保護者とか、いろんな意味で「暮らしにくさを抱えている層」に、なおいっそうの「辛抱を」と求めているのが、この財政再建プログラムであるということがよくわかる。その一方で、国からの補助金を受け取るのとひきかえで、義務的にでもやらねばならない府の事業が残り、そのなかに予算のムダが残されているとするならば、なんともまた皮肉なことである。先に国と府との財政上の諸関係に生じた矛盾を整理して、その上でなお予算削減の必要があるのなら、こうした「暮らしにくさを抱えている層」への支援施策にまで手をつけるという、そういう筋道での財政再建策もあったのではないのだろうか。

それにしても、このままだと、「ほしがりません、勝つまでは」の再来というか、住民に対して「ほしがりません、財政再建までは」ということを府庁側が求めていくような流れが、大阪府下にどんどん浸透するのではないだろうか。しかも、その財政再建の見通しは、大阪府のかかえている債務から考えると、おそらく数年どころか、十数年以上かかるかもしれない。そして、その「ほしがりません、財政再建までは」といい続けている間、なおいっそうの「辛抱を」と言われても、その辛抱にもう耐え切れないと思う人々はきっと、増えていくように思う。

なにしろ、月収100万の人にとっての月1万円の負担増と、月収10万の人にとっての月1万の負担増は、意味がちがう。月収100万の人にとってみれば「辛抱の範囲内」であることが、月収10万の人にとっては「耐え難い苦痛」であるという、このあたり前の事実にこだわることが、今、大阪府の財政再建策の持つ意味を考える上で、とても重要なのではないだろうか。

しかし、どうもここ最近、この大阪府の財政再建策とか、府知事の施政方針などをめぐる議論をマスコミレベルで見聞きするたび、このあたり前の事実の話がどこかに飛んでしまい、何か日々の知事の発言や行動、つまりパフォーマンスばかりを追いかけて、「知事の改革姿勢は見事」というレベルの話に集約されてしまうような、そんな状況への違和感を抱くようになってきた。

たとえば、朝から家で授業準備をしながら、ある大阪の民放ラジオ局の番組を聴いていると、府知事が府庁幹部に自衛隊での研修をすすめたとか、府庁幹部がそれに不快感を示しているとか、そのラジオのパーソナリティーが中身ややり方はさておき、今までの取組みを変えたいという意欲が伝わるとか、そんな話ばかりが聞こえて来る。今朝の新聞記事かなにかに、そういう話が出たのだろう。しかし私には、「もっとちがうところをきちんと取材して、この府政改革が生活困難な層に何を及ぼすのか、それをきちんと伝えてほしい」という思いが強い。

そして、「年老いた府庁幹部を若い自衛隊員の訓練のなかに放り込み、根をあげるまで体力的にしぼりあげることに、何の意味があるのか。そんなことより、その府庁幹部が生活困難な層と直接対話し、直接その人たちの暮らしを見聞きして、何が本来の府政にとって必要な課題かを見極める作業のほうが、よっぽど重要。そのほうが、よっぽど府庁幹部にとっては、意識変革になりうるのではないか? そんな府知事の提案をもちあげるマスコミの目線、どこかおかしくないか?」と、この際、言っておきたい。

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「財政再建策」関連報道の検討という課題

2008-06-16 15:41:09 | ニュース

しばらくこのブログへの書き込みができないくらい、本業でも家庭内でも忙しく動いておりました。そうしたら、大阪府の財政再建案に異議申し立ての活動を続けているある方(複数)から、橋下知事の出した「大阪維新プログラム(案)」に対するパブリック・コメント募集が始まっていることを教えていただきました。ひとまず、下記のアドレスにアクセスすると、どういう要領でパブリック・コメントを受け付けているのかがわかるようです。みなさん、この際ですから積極的に意見表明をしてください。特に、この財政再建案で多大な影響を被る教育・子育て・生涯学習関連の取組みをされている方、よろしくお願いします。

http://www.pref.osaka.jp/kikaku/ishin/ishin_pc.html

それはさておき、気になったのは、先日の朝日新聞(大阪版)のこの記事。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200806140064.html

この記事を見ると、ある事業を実施するための国の補助金を受けるために、大阪府が負担せざるをえない部分、ここが今回、財政再建の「聖域」とされているとか。私の印象では、一連の大阪府の財政再建問題にまつわる報道のなかで、この話を朝日新聞が書いたのは、はじめてじゃないかな、と思います(まちがっていたら、ごめんなさい)。

この報道に書いていることがまちがいないとするならば、大阪府の財政再建について、たとえば国際児童文学館・府立青少年会館の廃止や教育・子育て・生涯学習関連の小さな事業の予算の削減、事業そのものの廃止などをする前に、こうした国と大阪府との財政上の関係の整理という課題があった、ということになります。

だとしたら、「マスメディアはなぜ今まで、こっちの方向からの大阪府の財政再建策の検討を伝えてこなかったのか?」という疑問がわきます。もしかしたら、財政再建策に関する大阪府側の報道発表をそのまま整理して新聞記事にしたり、テレビニュースにしたりするので手一杯で、それ以外の観点からの検討にまでゆとりがなかったのかもしれませんが。

あるいは、大阪府がそもそも、これまで財政再建に向けてのプランを報道発表する際に、こうした国と大阪府との財政上の関係について、どれだけ説明をしてきたのか。そこも、私としてはたいへん、気がかりです。これはうがった見方かもしれませんが、「もしかしたら、大阪府側がこうした問題を何らかの理由により意図的に伏せて、先に各種事業予算の削減、事業そのものの廃止、公共施設の整理といったことを優先的にマスメディアに向けて発表し、世論を誘導してきたのでは?」ということすら感じてしまいます。そのように考えると、マスメディアはこの間、大阪府側の世論誘導にうまく使われた、ということにもなりかねません。

そう考えると、この間の一連の大阪府の財政再建案の検討については、その再建案自体の妥当性を多様な観点から検討する必要があると同時に、「その再建案が大阪府側からどのように伝えられ、どのようにして世論が形成されてきたのか?」という意味で、メディア論的な観点からの検討も必要ではないか、と思われます。

今後の検討課題としてひとつ、このことを指摘しておきます。

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資料が足りないのでは?

2008-06-06 09:15:22 | ニュース

昨日から新聞やテレビのニュースなどでさかんに取り上げられているとおり、大阪府知事は財政再建プログラムを含む「大阪維新」プログラム(案)が発表しました。その内容は、大阪府の次のホームページで見ることができます。

http://www.pref.osaka.jp/kikaku/ishin/ishin_index.html

そこで、さっそく、このホームページから、財政再建プログラムをPDFファイルでダウンロードしてみてみました。そこでひとつ、気がついたことがあります。

それは、「主要な事務事業の検討結果しか、財政再建プログラムにはでてこない」ということ。

前からこのブログで情報発信しているとおり、大阪府や大阪府教委が行ってきた行政施策のなかには、1件あたりの金額はそれほど多くなくても、そのことによって支えられている人々の生活課題を考えると、きわめて重要だと思われる施策がいくつもあります。また、当初プロジェクトチーム試案段階では、こうした施策に対する削減・廃止案も、別添の資料のかたちで示されていたはずです。

だとしたら、今回の財政再建プログラムの発表にあたっても、こうした小さい事業の削減・廃止あるいは現状維持等の動向について、何らかの形でインターネット上で情報発信しなければ、大阪府としてはきちんとした説明をしたことにはならないのではないでしょうか。

もちろん、資料の準備などに手間取っていて、先に出せる資料を出したということはあるかと思います。だとしたら、数日遅れでもいいので、他の事業がどうなったか、きちんと情報発信するべきでしょう。別途、大阪府にも要望を出そうと思いますが、先にこのことを指摘しておきます。

ちなみに、「大阪維新」プログラム(案)ですが、中身を読んでいて、細かいところではいろんな違いはあるのですが、大筋の方針などを見ていると、「これ、どこかで見たような・・・・?」という気がしてきました。大阪市がこの何年かやってきた行財政改革のプランと、どことなく、よく似ているのです。要するに「財政状況が行き詰った自治体が、どこでも結局、持ち出すことになるプラン」ということなのでしょうか・・・・?

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大阪市市民局の人権施策に関する意見募集

2008-06-06 09:00:24 | 国際・政治

父の手術も無事、昨日終了しましたので、今日からまた、ブログでの情報発信を再開します。といっても、本業との兼ね合いなどもあって、不定期更新になることかとは思いますが。

さて、いま、大阪市市民局が、下記のとおりホームページ上などで、人権施策に関する意見募集を行っていることをご存知でしょうか?

http://www.city.osaka.jp/shimin/jinken/iken_boshu.html

これは去年12月に出された人権施策推進審議会の答申をふまえ、大阪市としての人権行政推進計画(仮称)をつくるために、市民のアイデア、意見などを募集するというものです。

この間、もと青少年会館などでいろんな活動を展開してきた人々は、その活動のなかで感じていることを上手に整理していけば、大阪市の人権施策のしくみづくりに反映させることができるのではないか、と思います。

このチャンスをぜひ、活かして、積極的に意見を大阪市市民局に送ってください。

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大阪府子ども条例とPT案

2008-06-01 18:19:13 | アート・文化

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200805300110.html

昨日の朝日新聞朝刊の記事では、やはり大阪府の国際児童文学館や府立青少年会館等の5施設が廃止の方向になったとか。父の入院・手術がらみで、まだ実家のゴタゴタはいろいろ続いているが、やはり、この問題については、少しコメントしておかざるをえない。

さて、大阪府には「子ども条例」というものがある。2007年3月に制定されたばかりのものである。この条例の趣旨について、大阪府民や府議会関係者、それから、府庁職員、そして府知事自体が、どれだけ理解しているのだろうか。

たとえば、大阪府子ども条例には、次のような文章が「前文」に登場する。

「子どもは、社会における様々な活動に参加し、年齢の異なる多様な人々と交流しながら、学んだり遊んだりすることを通じて、豊かな心、個性や創造性をはぐくむことができる。また、主体的に参加することによって、自分の思いや意見を表明し、同時に他者の思いや意見を受け止めることができる。」

あるいは、第三条の基本理念には、次のような言葉も登場する。

「子どもの尊厳を守り、健やかな成長を支えるに当たっては、子どもが社会における様々な活動に参加する中で、健やかに成長することを認識し、子どもに対する参加の機会の提供に努めなければならない。」

そして、第四条に定める府の責務では、次のように述べられている。

「府は、前条に定める基本理念(以下「基本理念」という。)にのっとり、子ども施策を策定し、国、市町村、保護者、学校等、事業者及び府民と協力して、これを実施する責務を有する。」

この大阪府子ども条例の中身を素直に読めば、まずそもそも、たとえば府立青少年会館などの青少年活動施設、国際児童文学館のような子どもの文化施設というのは、こういう子ども条例の理念に沿った活動を行う施設ではないのか、という思いに至る。

それから、大阪府は、子どもの参加の機会の提供という観点から、こうした青少年活動施設・文化施設を、府民や事業者、府下の市町村、国などの協力を得ながら、積極的にそれを維持・運営していく責務があると考えるのが自然なのではないのか。

大阪府の財政状況が厳しいこと、それをなんとかしなければならない問題であることもわかる。しかし、こうした条例があって、子どもの参加機会の提供ということが府の責務でもある以上は、まずは「どうすればその運営にかかるコストを削減しつつ、積極的に子どものための公共施設を維持していくことができるか?」ということを追求すべきであって、「廃止」すればいいというものではない。

逆に、こうした子どものための公共施設を「廃止」したあと、どのように大阪府は子ども条例の趣旨に沿って、子どもの参加の機会を提供していくつもりなのか。そのことについて、大阪府はどういう展望を持っているのか。そこを逆に、私としては問いたい。別の朝日新聞の記事で報じられたように、大阪府下の市町村に府が子ども施策関係の助成金を「一括補助金」として配分すればそれでいい、というようなことは、この子ども条例にはどこにも書いていないからである。

さらに、このことは、子どものための公共施設の「廃止」問題だけでなく、前にこのブログに書いた学校における子どもの権利擁護関係の事業、渡日生徒に対する支援事業や、その他ありとあらゆる大阪府の子ども施策のなかで、いま、PT案によって廃止・縮小されようとしている各種事業の「すべて」に共通することでもある。

そして、これも大阪府の子ども条例の趣旨に沿っていうならば、子ども施策を総合的・計画的に推進するためのプランづくりに際して、第10条で、「大阪府子ども施策審議会の意見を聴く」とか、「子どもを含めた府民の意見を反映させるための適切な措置を講ずる」と書いている。だとするならば、PT案の実施が本決まりになりそうな今の時点で、今までの大阪府の子ども施策は全面的な見直しを迫られているわけであるから、大阪府知事は、まず子ども施策審議会を開催し、「この財政危機の状況下における子ども施策の全般的なあり方」について諮問し、答申を得なければいけないのではないのか。また、その答申をふまえた新たな大阪府の子ども施策の原案については、子どもを含む府民への意見聴取の機会を十分に作って、その意見をふまえた修正を行わなければいけないのではないだろうか。少なくとも、私としては、そのように考える。

今日は最後に、マスコミ関係者の方、大阪府議会や府下各自治体の議会関係者、そして、大阪府下で子ども施策に携わる仕事に従事している公務員の方(それは大阪府行政、大阪市を含む府下市町村のいずれにおいても)や学校教員の方、子どもに関する市民活動や民間企業などでの取り組みに関わっている方、子どもに関する研究活動などに従事されている方、すべてにお願いしたい。

もしもこの私のブログの記事を見ることがあれば、「ぜひとも、この大阪府子ども条例を読み直して、PT案の問題点を子ども条例との対応の観点からも検討していただきたい」ということ。そして、子ども条例との対応面で、PT案に何か問題があることに気づかれたら、積極的に府知事に伝えていただきたい、ということ。

このことを、あらためてお願いしておきたい。

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