できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

顔と顔をつなぐ、つなぐ人たちをつなぐ

2012-04-30 17:20:47 | 受験・学校

今日は仕事があって出勤しているのですが、その道中でツイッターを見ていたら、大阪市内の学童保育関係者が梅田や難波など、いろんなところで大阪市のPT案が出した学童保育の補助金廃止方針への反対の署名活動をしていることを知りました。

その署名関連のツイートを見ておりますと、こんなツイートがありました。以下の内容はつぶやいた方の承諾を得たものではないので、適宜、中身を私のほうで要点を整理し、まとめなおす形で紹介します。

大阪市内のある場所でそのツイートをされていた方のところに、あるご夫婦がやってこられました。妻のほうはすぐに署名をされたようですが、夫のほうは渋る。なぜかというと、夫のほうは大の橋下支持者だからだとか。そこで妻のほうが、自分も橋下氏支持だったけど、子どもや若者の施設をつぶしてから、とても許せない気持ちになったと、その場で夫に向けて語ったそうです。そうすると夫は「そうなのか・・・・」と言って、署名に応じたのだとか。

この方のツイートの趣旨だけわかるように中身を適宜こちらでアレンジして紹介したのですが、このエピソード、とても重要ですよね。つまり、実際に子どもや若者などに関する施策について、橋下改革の様子を見てきた人々にしてみれば、とてもこんな改革で将来何かよくなるとは思えない。そのことを正直に、自分の言葉で、まずは身近にいる人に伝えていく。それだけで、確実に何人か、橋下改革への支持を見直すかもしれない。そう思えるエピソードですよね、このケース。

実は私も身近なところ、それも我が家でこれと似たようなケースを体験しました。妻に落ちこぼれゼロ法以来のアメリカ教育改革の状況を紹介した大阪・毎日放送の特集や、朝日新聞の特集記事などを読んでもらって、「これと似たようなことを橋下教育改革がやろうとしているんだよ」と言うと、「そんなん、あかんやん」と。また、学童保育の補助金がなくそうという案を大阪市のPT案が出したのだよという話を妻にすると、「むちゃくちゃやん、学童保育なくなったら、子どもも親もどうしたらいいの?」と。以前は毎週日曜日の午後などに、やしきたかじん氏などが出てくる番組をよく見ていた妻ですが、こういう話をするなかで、橋下氏らが「子どもや親たちにとって、むちゃくちゃな改革をする人たち」ということに、少しずつ気づいたようです。

このような次第で、私たちがひとりひとり、クチコミで、自分の身近にいる誰かに「橋下改革のおかしさ」を率直に語っていくということ。それも、できるだけ衣食住や子育て等々、私たちの暮らしの身近なところで起こってくる諸問題に即して、この改革がもたらすデメリットを率直に語ること。それだけでも、橋下氏らの動きを支持してきた人々の意識が少しずつであれ、何か動いていく側面があるのではないか。上記のエピソードや我が家の例から、こんなことを考えました。

ついでにいいますと、こうしたひとりひとりのクチコミの動きに、電子メール、ツイッター、フェイスブック、ブログ等々のインターネットを活用しての情報交換やオフ会、あるいは、さまざまな単位での学習会を組み合わせると、なおいいのではないかと。

これまでの経過をみる限り、マスメディア経由での情報発信と、自宅などにこもってのツイッター経由の情報発信を使って、橋下氏は自分たちへの支持を呼び掛け、世論を動かそうとしているのかもしれません。

これに対して、私らは自分らのからだを動かして、いろんな形で実際に人と出会って、いい人間関係をつくりながら、ひとりひとりに「こんな改革はおかしいのだ」と呼びかけていく。また、その「こんな改革はおかしいのだ」と呼びかけていく人たちどうしを、ツイッターやフェイスブック、ブログ、メールといったメディアでつないでいく。あるいは、学習会やオフ会などの集まりで、また顔と顔の見える関係をつないでいく。そして、橋下氏サイドの動きだけでなく、「こんな改革はおかしいのだ」と動いている私たちの側も取材するように、多様なメディアを組み合わせて、マスメディアに働きかけていく。また、議会や役所にも、「私たちはこんな改革を必要としていない」と伝えていく。

今は橋下改革について何かおかしいと感じ始めた人たちの「顔と顔をつなぐ」ことと、いろんなメディアや集まりの場を共有して、「つなぐ人たちをつなぐ」ということ。急ピッチで取り組むことになると思いますが、まずは、こういうことを積み上げていくことができればいいのではないか、と思っています。さまざまなテーマでの署名活動が、このような取り組みの第一歩になることを願っています。

ちなみに、あした大阪市内で「替え歌」で橋下改革への批判をアピールしていこうという試みがあるようです。こういう試みもいいですね、どんどん、やっていくといいと思います。これもまた「顔と顔をつなぐ」「つなぐ人たちをつなぐ」という営みだと思いますので。


ほんとうに「なんちゅうこと、するねん!」というしかない。

2012-04-29 20:23:15 | いま・むかし

またしばらく更新が途切れました。やはり本業の大学での仕事や、家事育児介護といった家のことが忙しくなると、なかなかブログの更新にまで手が回りません。寝る時間が減るくらい、今はバタバタしていますので。

ですが、できるだけ今の大阪市内・大阪府内の子どもや教育・福祉などの状況に関して、こちらからも積極的に情報を発信していきたいので、短くとも何か書いていくことにしたいと思います。なかなか状況は切迫していますし、今、ここで抗議の声、異議申し立てをしておかないと、ろくな方向に行かないように思いますので。

さて、昨日の夜、大阪市内で識字教室・日本語教室の運営などにかかわっておられるみなさんの集まりに行ってきました。基本的にはこのみなさんのお話を脇で聴いているだけで、自分からは何も意見を述べたりとかはしなかったのですが。

ただ、例の大阪市の「グレート・リセット」を目指すPT案のおかげで、市民交流センターなどで活動を続けている識字教室・日本語教室の存続が危ぶまれる状況になってきました。というのも、市民交流センターなどで活動をしている分の教室事業、これを終了させるという方針が、PT案のなかに盛り込まれているようなのです。

このような場に顔を出して、識字教室・日本語教室の運営にかかわっておられる方の話を実際に聴きますと、正直なところ「なんちゅうこと、するねん!」と、あらためてこの大阪市のPT案に対して、つよい憤りを感じました。

いま「自分は疲れてるから休みたい」とか、そういうことを言うていられない、そんな気分になりましたね。ここで休んでしまっている間に事態がどんどん悪くなってしまうのならば、疲れている自分なりに何かできることをやっておきたい、そう思うわけです。

それから、昨日は午前中にあった子どもの権利条約に関する学習会に、大阪市の学童保育に関する補助金を削減しないでほしいという署名を持ってこられた方がいました。もちろん、こちらもOKです。さっそく私も書きましたし、集まったみなさんに趣旨を理解してもらって、書いていただきました。

先ほどの識字教室・日本語教室のみなさんの集まりには、何人か、大阪市内の青少年会館事業廃止に反対したり、そのあとの各地区の経過を調べているときに出会った方も出席されていました。

あの2006年の頃から今に至るまで、大阪市内ではこんな感じで、次々に子どもや若者に関する施策が打ち切られ、地元の人たちが大事に活用してきた施設が廃止や整理・統廃合され、そして、識字教室や日本語教室のように「事業規模は小さいけれども、そこが多くの人々を支えている」ような事業がなくなっていく・・・・。そんな状況が続いています。

平松市政の時期にはかなり、その速度はゆるやかになったものの、橋下市政が始まってからのこのか月、6年前の関市政の末期以上の速度で、このような子どもや若者、人権や教育・福祉に関する施策の「見直し」という名の打ち切り・廃止が起きています。

いまこそ、「できることを、できる人が、できるかたちで」ということに立ち返って、「なんちゅうこと、するねん!」と、大阪市のPT案や橋下改革に対して、批判の声、異議申し立ての動きをするべきときだろうと思います。私も、時間と気力・体力の許す限り、それを続けようと思います。


これ以上、大阪から子どもたちの居場所をなくさないで。

2012-04-24 18:34:12 | いま・むかし

以下は大阪市の西成区にある「こどもの里」ブログからの呼びかけです。大阪市のPT案で発表された放課後児童健全育成事業の見直しにより、「こどもの里」の取り組みを含む「子どもの家」事業がなくなってしまいます。

http://blogs.dion.ne.jp/kodomonosato/archives/10725887.html

また、次のサイトはマンガでわかりやすく、大阪市の放課後児童健全育成事業の見直しにより、市内の民間学童保育への補助金が削減され、その結果、子どもたちの居場所がなくなることを伝えています。また、子どもを学童保育に預けて働いている保護者にとっても、さまざまな面で生活に支障が出ることも、このマンガからわかります。

http://homepage3.nifty.com/GOLAKU/ta1204a.html

そして、学童保育については、大阪市の学童保育連絡協議会が次のとおり、署名活動を行っています。

http://www.warabe1986.net/shomei.pdf

こういう状況をみると、今から5年前、2006年の秋に、大阪市の青少年会館12館からの市職員引き上げ、条例廃止の方針が、当時の関市長から出されたときのことを思い出しました。あのときは飛鳥会事件以来の一連の不祥事が口実だったのですが、「不祥事の後始末をするのは当然としても、どうしてそのために子どもたちの居場所をつぶさなければいけないのか、その理由が全く分からない」と、私はこのブログなどを通じて、抗議の声をあげました。ですが、最終的には翌年2007年の3月に青少年会館条例が廃止され、市職員は引き上げ、旧青少年会館施設は当面、市民利用施設として暫定使用ということになったのでした。

そしてその後、旧青少年会館は人権文化センター等々と整理・統廃合され、市民交流センターとして再出発したはずですが・・・・。ですが、次のブログや私の先日のこのブログでの記事でもあきらかなとおり、市民交流センターが今度は廃止の対象としてPT案にあがってきています。それどころか、青少年会館事業をなくすときには「24区全市への展開」という話だったはずの教育相談事業のサテライト(旧・ほっとスペース事業)も、「都構想」で8~9の特別区ができることを前提に再編成とか。「いったい、何を考えているのか!」と、5年前のことを思い出して、あらためて腹立たしく思うところです。

http://miniosaka.seesaa.net/article/264539891.html

さらに、5年前の大阪市立青少年会館12館の廃止前には、市内の児童館や勤労青少年ホーム(トモノス)の廃止などもありました。あれも確かその後、大阪市内各区の「子ども・子育てプラザ」などの形で、子育て支援活動の拠点になったはずですが、これも削減対象になるようです。そしてこの他にも、大阪市の野外活動施設の廃止など、子どもが活動できる施設などをどんどん減らしていこうとしている案が、この橋下改革でつくられたPT案なのです。

正直なところ、今までだって大阪市内の子どもたちの活動のための施設は、十分に整備されているとは言い難い状況にあります。また、この数年間で次々につぶされてきた経過もあります。そこへもってきて、このPT案の発表です。

「PT案などいらない。大阪市の行政改革も、もういい加減にしてくれ。もうこれ以上、大阪から子どもたちの居場所をなくさないでくれ」というのが、私の率直な思いです。

それぞれの署名活動、抗議活動などへのみなさんのご協力、よろしくお願いします。


映画「人間の壁」を見る会のこと

2012-04-21 22:51:51 | いま・むかし

ここ2週間ほど本業が忙しかったこともあって、こちらのブログの更新が途切れました。今日からまたぼちぼち、再開していきます。まあ、例の大阪市のPT案があまりにもひどいので、そのPT案を周知するために「しばらく更新を控えよう」という意図もあったのですが。

さて、今日は午後から下記の映画を見る会に参加するため、堺市まで出かけました。

http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-sakaiappeal/archives/4543282.html

映画「人間の壁」は、石川達三の小説『人間の壁』をモデルにしたもの。また、この『人間の壁』という小説は、1957年2月の佐賀県で起きた3日間の教職員組合の一斉休暇闘争と、その後の行政処分や警察・検察の捜査などを背景にして書かれた、架空の女性小学校教師を主人公にした物語です。そして、この1957年2月の佐賀県での一斉休暇闘争については、前にもこのブログで書いたとおり、私、去年の11月に調査に出かけてきたところです。ちなみに、映画そのものは1959年の作品のようですが。

このようなこともあって、はじめて今日、映画で「人間の壁」を見ました。映画は今、岩波現代文庫から出ている小説『人間の壁』でいうと、ちょうど一斉休暇闘争に入る前のところで止まっています。でも、かなり原作に忠実に描かれた作品だなぁと思いながら、この映画をじっくりと見ました。なかなか、いい作品だと思います。もちろん、実際に映画を見てほしいので、これ以上、中身の話は避けようと思いますが。

それで、映画を見る会に出てみて思ったのは、「いま、市民団体や教職員組合の主催で、各地でもう一度、この映画『人間の壁』を見る会を開いてみてはどうか?」ということ。特に大阪では、早急に大阪府内及び大阪市・堺市の市内で、どんどんこの映画を見る機会をつくったほうがいいのではないか、と思いました。というのも、この映画に描かれた当時の保守政党の政治家の学校教育への「介入」のしかたが、ほんと、ここ最近の大阪での動きとそっくりなんですよね。だから、そういうものとかつて、日本社会ではどのように対峙してきたのか、それを考える意味でも、映画「人間の壁」を見る会を大阪府内や大阪市・堺市のあちこちで開くというのは、とても大事なことのように思いました。

それにしても、今から50年ほど昔の映画で描かれた様子と、今の様子がそっくりというのは、そのそっくりな今の人々の発想が「先祖がえり」しているのか、それとも「進歩がない」のか・・・・。


「グレート・リセット」をリセットしたい

2012-04-08 11:11:17 | ニュース

例のねつ造リスト問題で大阪維新の会がこちらには理解できないような対応をしたり、特別顧問らの調査チームが「なんじゃこれ?」と思うような調査報告書を出して、違憲の疑い濃厚なアンケートのデータを「廃棄」してる間に、大阪市は、こんなとんでもない試案を出してきました。

http://www.city.osaka.lg.jp/shiseikaikakushitsu/page/0000163563.html (施策・事業の見直し(試案)~市役所のゼロベースのグレート・リセット~)

私としては、この試案それ自体をリセットしたい。つまり、「グレート・リセットをリセットしたい」というのが、率直な思いです。

この試案の詳しい内容は上記のホームページで確認していただくのがいいとして、今後「打ち切り」「縮小」「廃止」等々、なくなりそうあるいは後退をしそうな子ども・若者関連の施策、あるいは人権に関する施策の主なものを列記すると、次のとおりです。所管局別の資料のほうから、気づいたものを抜き出してみます(抜けているものがあるかもしれません)。

・大阪市立大学への運営費交付金の削減。

・男女共同参画センター(クレオ)5館、市民交流センター廃止。

・地域コミュニティづくり事業の縮小。

・社会福祉協議会への交付金(市及び各区)の削減。

・長居障害者スポーツセンターの廃止、舞洲障害者スポーツセンターの一部廃止(宿泊施設部分)。

・民間保育所の職員給与への補助金の削減。

・児童いきいき放課後事業のうち「子どもの家」事業部分の縮小、スリム化。

・留守家庭児童対策、すなわち学童保育への助成金の削減、スリム化と統合(児童いきいき放課後事業へ)。

・子ども・子育てプラザの縮小(24館から18館へ)。

・ファミリーサポートセンター事業の縮小、スリム化(他の子育て支援事業へ)。

・1歳児保育特別対策費の廃止。

・障害のある18~20歳の人のいるひとり親家庭への水道料金減免措置などの廃止。

・子育ていろいろ相談センターの廃止。

・教育相談事業の縮小。特に「サテライト」での教育相談の廃止と、「サテライト」の実施場所を14か所から9か所に縮小(=旧「ほっとスペース事業」の縮小。これは、ほっとスペース事業の発足に私、かかわってきただけに、許せない!)

・公立幼稚園の民間委託を前提としての維持運営費等の廃止。

・青少年野外活動施設の廃止。

・各区の区民センター、スポーツセンターやプールの見直し(特別区が導入されるのにあわせて再編)。

・環境学習センターの廃止。

・新婚世帯への家賃補助の一部廃止。

・キッズプラザの運営補助の廃止。

・学校元気アップ地域本部事業の縮小、スリム化。

・「多様な体験活動の実施」にかかる予算の廃止。

・外国語指導助手に関する事業の縮小、スリム化。

・子どもの安全指導員に関する事業の再編(各区で検討)。

・学校給食協会交付金の見直し(=保護者負担増の方向での「受益と負担」の再検討、学校給食の民間委託の検討)。

・市立高校及び市立特別支援学校の府立移管を前提としての非常勤講師、スクールバス等の予算の廃止。

・学校6校の統廃合を前提とした公立学校の「一般維持運営費」の縮小・スリム化。

・総合生涯学習センター、市民学習センターの廃止・民間移管。

・公立保育所の保育料軽減措置の見直し(=保護者の負担増へ)

このほかにも、たとえば、市の音楽団の廃止や文楽協会、大阪フィルハーモニー協会への助成金削減なども含まれています。

いかがですか? これが子ども・若者施策や人権施策・教育施策などに注目したときの橋下改革の実情、大阪維新の内実です。次々に子どもや若者の暮らし、人々の学習や文化などに関する予算が切られ、施設がなくなっていくことがおわかりいただけるかと思います。

特に私が注目したいのは、区民センターや総合生涯学習センター・市民学習センター、クレオ大阪5館、市民交流センターといった、市民の集会・学習施設の廃止や民間移管ということ。

このうち総合生涯学習センターや市民学習センターに関して、この試案を作った人々は、次のように言います。

総合生涯学習センター、市民学習センターを廃止(平成26年度)

・基礎自治体で実施すべき施策であるが、新たな基礎自治体ごとに保有するような施設ではない

・施設ありきで考えるのではなく、限られた財源のもとでの施策効果の最大化を図る・学習機会の提供は民間のカルチャーセンター等に任せ、地域の学習支援は本市他施設や民間施設を活用して実施するなど、効果的・効率的な事業執行を行う

・必要に応じて民間実施の講座等への助成を行い、地域の学習支援事業の実施にあたっては、民間施設の活用も図るなど、施設ありきの展開からソフト事業へと転換する

・指定管理者制度(利用料金制、~平成25年度)

・生涯学習の場を提供する専門施設を行政が持つ必要があるか?

そもそも、こういう考え方って、教育基本法(現行のもの)や社会教育法の趣旨に反するんではないですかね???

ちなみに、現行の教育基本法の「社会教育」の条文は、次のとおりです。

<現行教育基本法第12条「社会教育」>

個人の要望や社会の要請にこたえ、社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。

2.国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館その他の社会教育施設の設置、学校の施設の利用、学習の機会及び情報の提供その他の適当な方法によって社会教育の振興に努めなければならない。

いかがでしょうか? この教育基本法の趣旨に沿って言えば、社会教育の振興に積極的に努めなければならない責任が、大阪市の行政当局にはあるはず。また、その振興策のなかには、生涯学習センターなどの社会教育施設の設置ということも含まれているはずです。この試案を作った人々は、「他の振興策があるから」ということで民間委託や施設の廃止を考えているのかもしれませんが、それは今まで大阪市が社会教育・生涯学習の領域で踏ん張ってきたことを大幅に後退させる施策なのですから、「振興策」とはとても言えません。

というようなことから、やっぱり私は「グレート・リセット」は早急に「リセット」すべきだと思っています。もちろん、ほかの子どもや若者に関する施策、人権に関する施策などの大幅な後退は、とても容認することができません。



「なんじゃこれ?」の続き

2012-04-07 23:00:33 | ニュース

すでに「堺からのアピール」のブログ(http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-sakaiappeal/archives/4957476.html)で紹介されていますが、4月5日付けで橋下市長に提出された特別顧問らの調査チームの報告書については、私、中身を読んでみて、内容に「???」と疑問のつくことばかりです。なお、報告書それ自体については、こちらの大阪市ホームページから見ることができますので、お知らせしておきます。

http://www.city.osaka.lg.jp/jinji/page/0000161367.html

これを読んで率直に思ったことを、「堺からのアピール」ブログに出ている話と重複しますが、以下のとおり書いておきます。

(1)この最終報告書が、わざわざ関市長時代の改革の不徹底から書き出すことで、平松市長期にあらためて「労組と市当局との癒着が温存された」もしくは「復活した」という印象を出そうとしているかのように受け止めました。と同時に、今、進められている大阪市職員や労組へのさまざまな攻撃が、関市長時代に行われた攻撃の延長線上に位置づくものだということを、あらためて実感してしまいました。そしてこのようなことを書くと、特別顧問の弁護士らのチームの後ろに、そういう関市長時代あるいはそれ以降に市職員や労組を攻撃してきた人たちの意向がありそうだ、ということを、逆に浮かび上がらせてしまうように感じました。

(2)次に、この報告書を読むと、労組への市当局からの「ヤミ便宜供与」や「ヤミ専従」、あるいは「人事介入」の問題などが大きく取り上げられるような形になっています。でも、多くの人が、例の市職員や労組の政治活動に関するアンケートのことを知っていますし、それに回答するようにという市長の指示が出たこと、そのアンケートの結果が特別顧問らの調査チームにわたる予定だったことは知っています。そして、そのようなアンケートに対して弁護士会などからの批判声明が出たり、府の労働委員会からも「思想調査だ」「不当労働行為の疑いがある」として、調査続行を控えるように勧告されたことも、多くの人が知っています。このような報告書の内容は、やはり、自分たちの調査目的が「頓挫した」ということを物語っているのではないかな、と思います。ちなみに、報告書19ページには、「もちろん、労働組合が政治活動を行うことは否定されないが、ここでもまた、ルールに違反した選挙活動があれば問題となる」という指摘もあります。とすれば、そもそもの調査自体に無理があったのではないか・・・・と思いました。

(3)その「ヤミ便宜供与」とする内容を報告書から見ても、どこの倉庫や空き室にどういう形で労組のモノが置いてあったというようなものが中心。それは確かに問題かもしれないが、「だからどうなの?」という代物。「こんなことを調べに、市役所内の各部署をまわったのですか、調査チームのみなさま、本当にごくろうさま」と、あきれていうしかない話です。「ヤミ専従」についても、よく読めば、主な話は職場レベルで、労組の役員が日々の活動と勤務とを両立させやすいようなシフトを組むとか、そういうレベルの話ですよね。全く勤務してないならさておき、一応、仕事してますからねぇ・・・・。「それって、どこがダメなんですかね?」という印象を持つ人もいるのではないでしょうか。この部分は、ほんとうに「しょぼいな」という代物です。

(4)新聞等のマスメディアでは大きく騒がれましたが、副市長や区長など市の幹部級職員が中心となっての選挙応援などの動きですが、これについても、報告書の41~42ページで、一方で市職員としての中立性を欠くという言い方をしていますが、同時に「一方で、これまでの調査では地公法や公選法において規制される政治活動に明確に該当するような行為があったとは評価できない」ということも書いています。また、秘書部が前市長のスケジュール把握・調整を「候補者としての調整」(39ページ)というような形で書いてますが、現職市長が市長選に出ている以上「これって仕事ですよね、秘書部の?」というしかないです。さらに、37ページあたりの大阪都構想へのQ&A作成が「選挙支援」みたいな書き方になってますが、大阪市民から市役所へ「都構想ってどういうものなの?」と問い合わせがあれば、それに一定、対応するのも市役所の仕事だと考えれば、すべてが「選挙支援か?」といえば、そうでもないでしょう。要するに、大阪市役所が幹部級以下、前市長の支援を選挙時にしていたというイメージをできるだけ強く打ちだしたい、そういう動機があることを、報告書のこのあたりの内容からうかがい知ることができました。

(4)例のねつ造リスト問題に関して、この調査チームの報告書の65ページには、「杉村議員も半信半疑であったようであるが、最終的にはテレビ放送・市会での質疑への進んでいったようである。杉村議員の年齢及び経験から考えれば、自らテレビ局を動かすことは難しいものと思われ、どこかの段階で、幹事長クラスのサポートがあったものと考えられる」と書いています。ここを本当はもっと深く追及すべきではなかったのかと思うのですが、そこはこの報告書、追及をしていません。もしも大阪維新の会の市議団が、市の非常勤職員から提出されたリストを「ねつ造」の疑いありと考えながらも、そこを慎重に検討することなく、テレビ局を動かしたり、市議会でそのリストをもとに質問したりしたのであれば、そちらのほうが大問題です。

(5)そして、この報告書の65ページ下から最後の66ページにかけて「提言」がでていますが、この6項目の提言の内容が、正直なところ、あれだけ大騒ぎした調査のわりには、実に陳腐。「しょぼい」というしかありません。「労使癒着」や「官民癒着」の是正、議員の口利きの排除、行政行為と政治活動の区分けのルール化、随意契約のチェックなどが主な提言ですが、「これって、あんな大がかりな調査なしには言えなかったことなの?」と思います。

(6)また、この報告書では、職員の処分に関して、66ページの提言部分で次のように言います。「今回の報告を踏まえ、処分に値する職員がいるかどうかについては、より丁寧な事情聴取を行う必要があるが、現時点においては、大阪市職員人材センターで待機している6名の職員の行為は一部不適切な行為はあったものの、違法とまでは言えないものと考えられることから、今後の処遇について早急に検討されたい。」だとしたら、この6名、早いこと人材待機センターにいる状態を解消しなければいけないのではないでしょうか、橋下市長? また、この提言が市長部局だけでなく市教委所属の教職員にもあてはまるのであれば、「より丁寧な事情聴取」ということには、たとえば卒業式などの国旗国歌問題での被処分教職員にも該当しますよね? 自分の呼び寄せた特別顧問がこのように調査結果をふまえておっしゃってるわけですから、橋下市長、ちゃんと言うこときかないといけないのでは?

ということで、「なんじゃこれ?」の続き、終わります。

なお、昨日のニュースやツイッター上で流れた話では、特別顧問らのチームがあずかっていた例の市職員へのアンケートのデータが一応、破棄されたようです。ただ、これもバックアップのデータなどがこのチーム関係者のパソコンやCDなどのなかに残っていないか、検証が必要ではないかと思われます。今後、この特別顧問らの調査がどのように行われてきたのか、その検証もあわせて行った方がよさそうな気がします、いろんな意味で。


東井義雄『村を育てる学力』を読んでみた。

2012-04-04 18:05:54 | いま・むかし

以前このブログで(2012年1月11日づけ)、大阪府教育委員の陰山英男氏と、例のワタミの会長が、ともに東井義雄という教育実践者(兵庫県の元公立小学校長)の教育観に影響を受けているという新聞記事を紹介しました。次の2つです。

http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000131201040001

http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000131201030002

そこで、あらためて東井義雄の著作集の第1巻『村を育てる学力』(明治図書、1972年)を図書館で借りてみて、読んでみました。すると、もう最初のほう、13~14ページのところで、次のような文章に出くわしました。以下、色を変えて、この13~14ページで私が印象に残った文章を引用します。

<以下、引用部>

たとえば学習の能率をあげるのに、私たちはよく「競争」の方式を使う。教室に「得点表」をはりつけて点取り競争をさせるくらいはいい方で、ひどいのは「得点表」を印刷して親に配ったりまでする。「競争の渦」に親まで巻き込んで、「あんな家の子どもに負けるようなことではどうするか」と言わせようとする手である。

学習の能率をあげるためには、「競争」はまことに速効薬である。四年生にもなって自分の名前が書けないという子に、「かるたとり」をやらせて、一挙にかなを覚えさせてしまった経験が私にもあるが、三つまでの数観念しかないその子にさえも、人に負けたくないという意識は強靭に根を張っていたのだ。その根をゆすぶること以外に、その子には手がなかったわけだが、この速効薬をむやみに使いすぎることが、一方でどんな事態を育てることになるか、それはここで改めて言わなくてもわかることだろう。

資本主義の社会である。好むと好まざるとにかかわりなく、「競争」を避けることはできないのも事実だ。「競争」するなら勝たねばならぬ。

しかし、この道は人をたおしていく道であると共に、人からたおされていく道である。行けば行くほど、くらしのむずかしくなる道である。

当時中学生だった娘を連れて、神戸の夜の新開地を歩いたことがあったが、ネオンサインの明滅の中をくぐりぬけて、湊川公園に出ると、澄んだ夜空にかかっている月を眺めて、「ああ、やっぱり月の方が美しい」ため息のように娘はつぶやいた。この田舎娘にも、ネオンサインの中に明滅しているいのちの火花が、決してしあわせの火花でないことが感じられるのだろうか、と私は思った。

ところが、村の百姓も、このことには気づこうともせず、我利々々主義・競争主義への道をひた進んでいるようだ。「うちのぜにで買うたもん、人に貸さいでもええ」とつぶやき、山の境界を越えても木を伐り合い、土手の境界を越えて草を刈り合い、我田引水を争い、農機具購入競争・嫁入り衣裳競争・麦刈り競争・田植え競争等々・・・・をくりかえしている。

こういう事実に目をつむって、村の教師はただ学習能率をさえあげておればよいものであろうか。私が「村を生かす学力」といったようなものを考えずにおれない理由の一つは、こんなところにもあるのである。(『東井義雄著作集1 村を育てる学力他』明治図書、1972年、13~14ページ。一部改行を引用にあたって、こちらで手直しした個所がある。)

いかがですか? 東井義雄は、「競争」を過剰にあおり、それをてこにして学習能率をあげるような教育の在り方には、以上のとおり、かなり否定的です。また、「競争」を教育・学習の方法として過剰にもちいることで、かえって損なわれるものが多々あることにも、東井義雄は目を向けようとしています。ちなみに、この著作集が出たのは1972年ですが、もともとの『村を育てる学力』なる本が出版されたのは、1957(昭和32)年のことです。

こういう東井義雄の教育観を前提にして、大阪のみならず日本の教育の現状を見たら、たとえば全国一斉学力テストのデータや大阪府など都道府県別の独自の学力テストの結果で教職員や子どもを追い立てたり、さらにはそのテストの結果の公開と学校選択制の導入のセットという形で保護者や地域住民を巻き込んだりする教育改革の手法は、「ほんとうにそれでいいのか?」ということになるかと思います。

そして、こんな風に見ていくと、あらためて、「いったい、東井義雄の教育論のどういうところを勉強すれば、今の日本全体の教育改革や、大阪の教育改革の流れを支持できるのだろう?」と、私などは不思議に思ってしまいました。


あえて「民間企業」の話に置き換えてみる。

2012-04-03 14:07:19 | ニュース

経営のうまくいっているとある老舗企業A社に、ある日突然、市場での株の大量買い占めによって、経営権を乗っ取ろうとする人たちのグループBがでてきました。また、その経営権を乗っ取るグループBは、最終的にはそのA社をいくつかの子会社C~Zに分割して、それぞれの子会社を売却しようと考えていました。そこでA社の重役と支社長・工場長クラスの幹部社員は、この経営権乗っ取りを阻止すべく、主要な取引先や株の持ち主などに働きかけて、このBへの株売却の求めなどに応じないよう求めてきました。

しかし、グループBによるA社の株式大量買い占めは成功し、いよいよA社の経営陣は総退陣、Bのメンバーが新たな経営陣として乗り込んできました。そしてBは外部から顧問を招き、A社の旧経営陣や幹部職員の不正を暴く調査を行ったり、A社の労働組合を徹底的に抑圧する措置をとりはじめました。「我らBの経営に従わない社員は、たとえ幹部といってもクビか、左遷だ!」「我らに逆らった以上、リスクは負っていただく」というのが、Bが送りこんだ新社長の方針でした。

その際、Bが送りこんだ新たな経営陣にとりいるべく、最近、A社の非正規で採用された社員が、労働組合の不正をものがたる資料を持ち込んできました。Bの経営陣は「これぞまさしく、我々が求めた資料だ!」と思いこみ、マスメディアを通じて、A社の旧経営陣や幹部職員、労働組合を攻撃しはじめました。また、Bが呼んできた外部の顧問も、この資料を参考にして、さらなる調査を行うことにしました。

ところが後日、この資料が「ねつ造」によるものだということがわかりました。当然、労働組合は猛烈な抗議を行います。また、それまでの不正追及の方法があまりにも問題が多いものだったので、Bの外部顧問による調査にも、それを指示したBの経営陣にも、各界から抗議の声があがりました。Bの経営陣は、各界からの抗議の声に徐々に追い詰められ、徐々に対応に苦慮するようになりました。そこで今度は、Bの経営陣が来る以前の問題を蒸し返して、A社の旧経営陣や幹部職員がBの乗っ取り阻止のために動いていた事実をあえて出してきて、「ほら、こんなにA社の社員たちの動きはひどかったのだ」と、マスメディアに示して、抗議の矛先をそらすことにしました。

・・・・いかがでしょうか、この話。どこかの自治体に似てますか?


他の地域でやめようとする教育改革をスタートするのが大阪

2012-04-01 12:58:55 | ニュース

いよいよ今日から2012年度がスタート。先日、あれだけいろんな人々が反対、抗議の声をあげるなか、大阪府議会で可決成立した教育行政・府立学校・職員の3つの基本条例も、いよいよ今日からスタートすることになります。

大阪維新の会の市議団の「ねつ造」リスト問題の陰に隠れていますが、大阪市や堺市を除く府内の全域で、まずは今日から(日曜日なので実質的にはあすから)、主に府立学校を中心にこの3つの基本条例に沿った動きが、いよいよ本格的に動くことになります。また、府内の各市町村教委、市町村立学校についても、この3つの基本条例にかかわる部分が徐々に動き始めることになります。そのことをあらためて、いま、ここで確認しておく必要があります。

と同時に、大阪市ではこの3つの基本条例によくにた「教育行政基本条例案」「学校活性化条例案」の2本が市議会に提案され、継続審議の状態にあります。その条例案の中身については、下記のブログで見ることができます。

http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-sakaiappeal/archives/4181172.html

さて、橋下市長は「学校選択制の導入」を大阪市において行うと言ってきましたし、この間、各区単位で学校選択制と中学校給食導入に関する公聴会(教育フォーラム)をはじめています。ですが、その学校選択制、すでに導入したほかの自治体のなかからは、以下のとおり、やめようとするところがあらわれています。

http://www.asahi.com/national/update/0331/OSK201203310060.html (杉並区、学校選択制廃止へ「教育内容で選ばれず」:朝日新聞デジタル配信記事2012年3月31日づけ)

また、杉並区以外にも、群馬県の前橋市や長崎市なども、次の記事のとおり、学校選択制の廃止を決めています。

http://osakanet.web.fc2.com/kiji01.html

学校選択制を日本の各自治体で導入するとどんな結果が生じるかは、導入を推進する側の「よさ・メリット」の強調の一方で、たとえば嶺井正也さんや佐貫浩さんなど、すでに教育政策の研究者たちが各自治体の動向などをていねいに検証しています。その検証の結果、選ばれる学校・選ばれない学校の差がはっきり出ること等、そのデメリットもはっきりと出てきています。(嶺井さん・佐貫さんの学校選択制関連の文献を名前だけ、紹介しておきます。)

佐貫浩『品川の学校で何が起こっているのか 学校選択制・小中一貫校・教育改革フロンティアの実像』花伝社、2010年。

嶺井正也(編著)『転換点に来た学校選択制』八月書館、2010年。

嶺井正也・中川登志男『学校選択と教育バウチャー』八月書館、2007年。

嶺井正也・中川登志男『選ばれる学校・選ばれない学校』八月書館、2005年。

このような研究動向、あるいは他の地域での動向を見れば、いまさら学校選択制を導入しても大阪であまりいい結果は出ないことはわかるはずです。

同じ日本国内の他の地域やもうやめようとしている教育改革を、大阪において、これから準備して実施することに、いったい、どんな意味があるのか。すぐにでも中止、撤回の方向に舵を切るべきではないのでしょうか。

ただ、「ねつ造」リスト問題への対応に見られるように、自らの失敗に対して謝ることも、従来の方針を軌道修正することもできないのが、橋下市長や大阪維新の会の今の姿のようです。こういう危ない人たちを、このままそのポストに置いていていいのか。もしも今後、彼らが任期切れまで居るとしたら、彼らの打ちだしてくる子ども施策や教育改革の諸提案について、それが本当に子どもにとって利益にならないと思うのであれば、徹底的に批判していくしか道はないのではないか。このごろ、あらためてそう思います。