できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

3年前の「3月31日」のことを、私は忘れない。

2010-03-31 20:51:10 | いま・むかし

ちょうど今から3年前、2007年3月31日は、大阪市内の青少年会館事業の「最後の日」。

この日、私は当時2歳だった娘を連れて、日之出青少年会館での子どもたちの「お別れ会」に出席した。そのときのことは、このブログの過去の記事を見てもらえればわかると思う。

あの頃はまだ紙おむつをしていたような、そんなうちの娘が、もう5歳。いよいよあした4月1日から、幼稚園の年長組である。この日之出青少年会館での「お別れ会」の日は、よっぽど居心地がよかったのか、娘はいただいたおやつを食べるのもそこそこに、会館のソファーの上でスヤスヤと眠ってしまった。そんな娘を見ながら、会館に集まった子どもや保護者のみなさん、地元の方々、そして館職員のみなさんとともに、当時の館長さんの閉館の挨拶を聞いていたような記憶がある。そんな「あの日」から、もう3年が経過したのである。

2006年秋に、一連の不祥事後の施策見直しの流れのなかで、一部事業を除いての大阪市内の青少年会館事業の「解体」と条例廃止、市職員の引き上げが決まった。このことに対して、当時、青少年会館で行われていた「ほっとスペース事業」に深くかかわってきた私は、仲間の研究者や知り合いの子ども関連のNPOの人たちとともに、署名運動を行ったり、事業「解体」反対のイベントで講演をしたりと、いろんな形で反対の声をあげてきた。しかし、結果的にはその声はとどかず、その流れを食い止めることはできなかった。

2007年3月末の事業「解体」・条例廃止後も、仲間の研究者や地元の解放運動の関係者、あるいは青少年会館の元職員の方などとともに、「暫定利用」が可能となった「もと青少年会館」で、ひきつづき、子ども会・保護者会や識字教室、中学生や高校生の学習会、音楽その他のサークル活動に取り組む人たちの様子を、最近に至るまで追いかけ続けた。

私は当時、上記の現状把握の作業をある研究団体の研究プロジェクトの活動として取り組みながら、その取り組みのなかで、今後、青少年会館所在の各地区で、「子育て・子育ち運動」をどのように立ち上げていけばいいのかを、実際に活動中の人々と共に考えていきたいと思った。そのことくらいしか、条例廃止を迎えた各地区のみなさんに対して、自分の「できること」は「ない」と思ったし、また、そのことが一番、当時、各地区のみなさんが求めていたことのように思ったのである。

もちろん、この研究プロジェクトのとりくみも、いろんな紆余曲折があって、一筋縄ではいかなかった。正直なところ、「もっと、こうすればよかった」とか「あんなことができていれば」と思うところも多々ある。ただ、3年をメドに報告をまとめようという趣旨で始めたプロジェクトなので、今年の夏でいったん、終了する事を予定している。そして、その報告書準備の作業に今、大学での仕事や家事・育児などに追われつつ、なんとか時間をキープしてとりかかっているところである。

しかし、このプロジェクトが終了したとしても、私は3年前の2007年3月31日のことは、決して忘れない。また、このプロジェクトの取り組みを続ける中でであった各地区のみなさんのことを、決して忘れない。そして、何かにつけて、たとえばこのブログで自分の思いや最近の各地区での取り組みの様子について発信を続けたり、あらためて各地区をまわったり、いろんな取材や研究を通して考えたことを論文等々の形で書き続けたり・・・・という形で、この3年間の経験を次につなげていきたいと思っている。もちろん、どこまでやり続けられるかは、私のコンディション次第というところも大きいのだが。

それから、以前、このブログにも書いたとは思うが、古い解放教育関係の文献を読むと、学校関係での取り組みと同じくらい、解放子ども会や親の会、識字教室や青年たちの学習会など、学校外での取り組みが重視されてきたことがわかる。

その歴史的経過に立ち戻って考えるならば、ある意味、いつまでもしつこく、しつこく、大阪市内各地区の子ども会や保護者会、識字教室、青年たちの学習会等々の取り組みに注目しつづけることは、解放教育の「原点」「源流」を守る取り組みと言ってよい。少なくとも、私はそう考えている。他の解放教育や人権教育、あるいは子どもの人権関連の研究者や実践者が、どう思っているのかは知らないが。

また、状況がどれだけ苦しくても、私たちがその「原点」「源流」に何度でも立ち返って、そこから何度でも出直す意志を持ち続けている限り、解放教育の運動の「再生」「再建」が、その「出直し」の場からはじめられると思う。

少なくとも私としては、解放教育や人権教育、あるいは子どもの人権に関する取り組みについては、今ある文科省の施策や、大阪府教委・大阪市教委の施策にひっかけて、何かをやろうという動きからでは、たぶん、「出直し」や「再生」「再建」にはつながらないと考えている。結局、そこに「ひっかけて、何かをやろう」としているうちに、何が「原点」「源流」だったのかが見えなくなりそうに思うからである。

なにしろ、この3年前の出来事でわかると思うが、行政側は何かあれば、今まで長年、地元の人たちとともにつくりあげてきた青少年会館事業という財産を、たった数ヶ月間でなくしにかかるような、そんな存在なのだから。行政施策や行政サイドの動きに対して、今後は常に批判的な感性や警戒心を抱きながら、自分たちにとってほんとうに必要なところだけを使っていく・いらない施策は拒否するのでなければ、後々、とりかえしのつかないことになりかねない。

だから今は、私たちが今よりも少しでもよい生活の場、学習の場を創出していくために、ほんとうに信頼できる行政施策や当局側の人が誰なのか、そこを見極める私たち自身の感性や知性を磨く作業。ここから今一度、それこそ「原点」「源流」に立ち返って、私たち自身がやりなおしていかなければいけないと思うのである。

もちろん、その「原点」「源流」に立ち返ってはじまる「出直し」の道が、楽な道だという思いはまったくない。この「出直し」の作業は、最初はひとりひとりの地道な、もしかしたら「孤独な」作業からはじまるのかもしれない。あるいは、金も物も人もない、ほんとうに「なんにもない」ところからはじめるしかないのかもしれない。そして、「出直し」のための活動を続けていく中で、いろんな考え方や、その活動が向かうべき方向性に関する意見の違い等々があって、仲間と離れたり、別れたりすることも多々あると思うし、いろんなことを訴えても誰も耳を傾けてくれない時期、協力が得られない時期が続くかもしれない。

でも、それでも私は、何度でもこの「原点」「源流」に立ち返って「出直す」意志を、ひとりひとりがしっかりと保つこと。それこそが、今後の各地区での解放教育運動を、子どもの人権を守るための取り組みを、そして、各地区でさまざまな学習課題や生活課題を抱えた人々とともに歩む営みを、しっかりと支えていくと思う。

そのためにも、「3年前、2007年3月末の大阪市の青少年会館でのできごとを、忘れずにいる」ということが、今、一番大事なのではないだろうか。少なくとも、私はこのことを、できるだけ長く、忘れないでいたい。どれだけ他の人が忘れ去ってしまったとしても・・・・。

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「学力」とひとことでいうけれど

2010-03-18 18:23:52 | いま・むかし

今日は通勤電車のなかで、最近出たばかりの白井善吾『夜間中学からの「かくめい」』(解放出版社、2010年)を読んでいた。大学に通う道中で一気に読めてしまった。なかなか、面白い本だった。

タイトルからもわかるとおり、この本は大阪府内を中心として、夜間中学のこれまでの取り組みや現状、今後のことなどをまとめた本である。著者は長年、府内の夜間中学の教員をされてきた方。また、この本の書き出しは、橋下知事就任以来の大阪府の行財政改革のなかで、夜間中学の生徒さんたちへのさまざまな支援措置が打ち切られることに対しての、生徒さんたち自らの抗議活動の様子などがまとめられている。

文中に繰り返し出てくる「武器となる文字とコトバ」という表現、あるいは「学ぶことが運動に結び付き、運動することで学びが広がり、深まる」(p.43)とか、「学びを創造することは結局運動を創造することに結びつく」(p.43)、「夜間中学を必要としない社会を求めて」(p.43)の表現には、あらためていろんなことを感じさせられた。「こういうことこそ、反差別や人権尊重の教育・学習活動において、もっともっと、大事にされなければいけないことではないのか」と思ったのである。

とりわけ、p.127からの次の文章には、私もとても共感した。以下、引用しておきたい(青じ部分が引用)。

 夜間中学で追求している学びを文字にすると、「奪いかえす文字やコトバは、明日からの生活をかちとる智恵や武器となるものでなければならない。地域を変え、社会を変えていく力となる学び」ということになる。それを次の六点にまとめてみると、

  1. 自らがおかれている立場を表現する力
  2. 自らがおかれている歴史認識ができる力
  3. 現代社会の諸問題に対し、人権・権利の主張と行動ができる力
  4. 民族の自文化を大切にする力
  5. 自然が発しているさまざまなシグナルを受けとることができる力
  6. 生命系全体の共存を展望し実践する力

となる。(以上、『夜間中学からの「かくめい」』p.127~128から引用)

どうだろうか? こんな課題意識を持って学習活動を進める中で磨かれる力は、おそらく、受験競争に備えて学校や塾で磨かれる力とは、何かが決定的に異なっているのではないだろうか。

この違いは、今ある社会秩序の中に順応し、自らの能力を企業側などに高く評価してもらう(=就職や進学等に有利な)「学力」ではなくて、自分自身と自分の暮らす環境(主に社会的環境)を見つめ、そこをよりよく変えていくための「学力」の違い、とでもいえばいいだろうか。

少なくとも私としては、私たちが人権教育だとか反差別の教育という立場を重視するのであれば、本来、後者の「学力」イメージの追求が必要なのではないかと考えている。しかし、昨今の人権教育関係での「学力」関係の議論を見ていると、どうもこの両者を明確に区別して、整理したうえで論じているというよりは、性質の異なるものをあえて「いっしょ」にして論じているような雰囲気を感じてしまう。

もしかしたら、このような人権教育系の議論のなかには、前者のイメージに立つ形で、各地の教育行政などが推進している「学力」向上策にうまく便乗しながら、その枠内で後者の「学力」イメージに立つ実践を潜り込ませようとしている、そんな立場もあるのかもしれない。また、その立場の人々には、いろいろと切り崩されようとしているこれまでの取り組みを、なんとかして守ろうという「善意」があるのかもしれない。

しかし、私はその一方で、「ちがうものはちがう」とか、「私たちの目指すものは、こういうものではない」と、あえてはっきりと言ってしまうという道もあるように思うのである。

世の中のすべての人が、有名進学校を目指すかのような受験競争にのって、そこで前者のような学力を競って身につける必要はない。

しかし、自らがこの社会の中でどのような位置に置かれ、どのような人々とともに生きていくのか。また、そのために、この社会をどのように変えていく必要があると自分は思うのか。こういったことを冷静に見つめ、アクションを起こしていけるような力は、どのような人にとっても必要な力なのではないだろうか。

こういう発想の転換を行わない限り、今、大阪府や府内各自治体で進んでいる数々の行財政改革の動きに対して、きちんと対峙できるような人が育ってくる教育・学習運動など、到底、できっこないと思うのである。

「学力、学力」と簡単にいうのだけれど、自分たちの目指している学力と行政サイドから持ち込まれる各種施策でいう学力の両面について、その中身をしっかり吟味して、「なんのための学力なのか?」という次元から、きちんと教育・学習運動の側が自らの価値観を磨いておかないといけないのではないだろうか。

そんなことを、この本を読んで、今日はあらためて実感した。

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子どもを入り口にした地域社会の人々のつながりの作り直し

2010-03-17 21:21:25 | いま・むかし

この3年間、大阪市の青少年会館(青館)条例廃止後の各地区の様子を追いかける調査プロジェクトをやっていて、一番思うのは、今日のタイトルに書いたこのこと。

本気で解放運動や人権に関する運動を今後も継続していくのであれば、「あらためて今、各地区で、子どもを入り口にした地域社会の人々のつながりの作り直し、これを一からやっていくしかない」と、このところ、つくづく思うのである。

もちろん、高齢者や在日外国人の取り組み等々、他の人権課題への取り組みがいらないという気はさらさらない。でも、あらためてそういった他の人権諸課題への取り組みを開始するにしても、その「土壌」となる地域社会の人々のつながりがなければ、根付かない。積極的に運動体の幹部層が「こんなこと、やろうや!」と旗をふっても、「そやそや、そのとおりや!」と賛同して、「いっしょにやろう!」と言ってくれる層が育ってこなければ、どのような立場にせよ、人権に関する運動の「持続可能性」は低くなる。

そういう地域社会の人々の「土壌」を耕す取り組みや、何かあったときに「いっしょにやろう!」と言ってくれる層を育てていく取り組み、これが今、大阪市内の各地区においては必要とされているのではないだろうか。

で、こうした取り組みの入り口になりうる活動が、私としては「子ども」に関する取り組みにはいろいろあるのではないか、と思うのである。

たとえば、身近な例で申し訳ないのだが、私の暮らす町内では、このところ、年1回の冬の餅つきと、夏休みのラジオ体操、秋の祭りの「子どもだんじり」に取り組んでいる。また、こうしたイベントがあるたびに、まだ幼稚園に通う5歳の娘を連れていく形で、私や妻が参加している。当然、そこに出て行けば、こうしたイベントの運営に携わっている町内の子ども会の役員や、他の子どもたちの親と、私たち夫婦もいろんな接点を持つことになる。また、イベントの手伝いに来ている近所の高齢者の方々とも顔見知りにもなる。そういうところから、町内の人々の人間関係ができあがり、何かあったときに話ができる仲がつくられることになる。

同じことは娘の通う幼稚園についても言える。幸か不幸か、我が家は共稼ぎで、私もいろんな形で妻の家事・育児に協力しつつ、同じ屋根の下に暮らす義父母の手助けも得る形でなければ、娘の幼稚園通いも成り立たない。そのことが幸いして、毎日の幼稚園の送り迎えに私、妻、義母がかかわるし、また、幼稚園の保護者参加型の行事にも、私、妻、義母が出入りすることになる。そうなると、幼稚園に通うほかの保護者(主に母親だが)にも、私たち一家の事情を理解してもらえることになるし、また、妻だけでなく、私もまた、同じ幼稚園に子どもを通わせているほかの保護者との交流がはじまる。そのようにして、地域社会に親どうしのつながりが生まれてくるわけである。

そんなことから考えると、今、各地区にある公立保育所での保護者参加の取り組み、保護者会の運営のあり方や、各地区での子ども会活動のあり方。ここから積極的に作り直していくことができれば、地域社会におけるおとなの人間関係が変わっていくことにつながるのではないか、と思うのである。

しかも、我が家は残念ながら一人っ子であるが、ふたり、3人と兄弟姉妹の居る家庭であれば、その保護者どうしの地域社会でのつながりは広がる。また、保育所で作り直された保護者どうしの人間関係は、やがて地元小学校・中学校へと広がっていくことになるだろう。こうやって活動を継続すればするほど、新たな層が掘り起こされてきて、地元でのさまざまな取り組みの「持続可能性」が高まるのではなかろうか。

そして、そんな取り組みを何年にもわたって続けていく中で、地域社会の諸活動に積極的にかかわるおとなが育ってきたり、そういうおとなの動きに影響されて、「自分も何かをやってみよう!」という子どもや若者が出てくれば、OKである。また、そんな取り組みのなかでいろんなスキルや感性を磨いた子どもや若者、あるいはおとなたちが、やがて就職や進学を機会に他の土地に出て行くことになっても、そこでまた、新たな人権関係の取り組みや地域社会を活性化させる取り組みをはじめればよい。

だからこそ、本気で今、各地区で解放運動や人権関連の運動を活性化していきたいのであれば、もう一度足元を見つめなおして、「子ども」に関する取り組みを入り口にして、地域社会の人々のつながりを作り直しを始める必要があると思うのである。

それが餅つきであっても、バーベキューであってもいい。ビール工場の見学に親子でいく活動であっても、いっしょに凧揚げする活動でもいい。子どもたちの宿題の面倒を見てあげる活動でもいいし、ハイキングに行くことでも、夏の夜、星空を見ながら花火をすることでもいい。若者たちのバンドでライブをしてもらう脇に、高齢者の三味線や太鼓のサークルが出る形でもいい。それぞれに、いろんな思いついたことからでいいので、はじめてみればいいだろう。

子どもに関する取り組みを入り口にした形で、「できることを、できる人が、できるかたちで」はじめて、それをタテヨコにつなぐ。それを何年も何年もやりつづけるなかで、地域社会の人々のつながりを作り直していく。そのことを地道に、こつこつとやりつづけていくような人が、各地区で現れてくることを願ってやまない。それが結局、解放運動や人権関連の運動の活性化(再建)につながるし、また、その運動の活性化(再建)ができれば、結果的に学校が地域社会に支えられ、学校もさまざまな教育活動に積極的に打って出られるのではないだろうか。

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「政治的支配の道具」としての各種助成金・給付金

2010-03-13 12:58:32 | ニュース

今はやっぱり、この話題からブログを書くことにしましょうか。

http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201003130011.html

(「朝鮮学校、総連と一線を」橋下知事 学校側は検討約束:朝日新聞2010年3月13日付けネット配信記事)

http://www.asahi.com/seikenkotai2009/TKY201003110535.html

(朝鮮学校、無償化除外へ 文科省「教育内容の確認困難」:朝日新聞2010年3月12日付けネット配信記事)

http://www.asahi.com/international/update/0226/TKY201002260141.html?ref=reca

(高校無償化 朝鮮学校除外の検討に国連委から懸念:朝日新聞2010年2月26日付けネット配信記事)

http://www.asahi.com/politics/update/0312/TKY201003120215.html

(朝鮮学校の教育内容、第三者機関が検証へ 4月に設置:朝日新聞2010年3月12日付けネット配信記事)

まぁ、まだまだ探せばこの問題に関する記事はたくさんでてくるのでしょうけど、だいたいこのあたりでいいのではないでしょうか。

まず、この問題に対する政府の対応について、子どもの権利保障等々の観点から見ていろんな懸念、疑義、批判等があることは、次のコメントからもわかると思います。

http://koukyouiku.la.coocan.jp/

このホームページに、この問題について、公教育計画学会が3月7日付けで出した声明文のファイルがあります。私も基本的に、この声明文の内容を支持します(まぁ、この学会の会員でもあるから、当然ですが)。

その上で、最近の一連のこの問題に対する政府の対応、あるいは大阪府知事サイドから発信されている情報を見ると、やはり、子どもの権利保障に限らないのですが、私たちの生活のあらゆる面でおりてくる政府・自治体からの各種給付金・助成金といったものは「政治的な支配の道具」として、その時々の立法・行政などの権力を有する側から用いられる危険性がある、ということに気づきます。

つまり、立法・行政などの権力を有する側は、助成金や給付金など、何らかの形での住民(あるいは国民)に対する「権利保障」の枠組みを準備しつつ、ある特定のマイノリティに対して、その人々が何らかの「権利保障」から「排除」の対象になりうる可能性(危険性)を示唆することによって、自らへの支持・同意等をとりつけようとする。

と同時に、このような手段を講じることによって、その特定マイノリティ以外の集団に対しても、ある種の「みせしめ」「威嚇」的な効果が発揮される。すなわち、ある特定のマイノリティを「やりだま」に挙げてみせることによって、立法・行政などの権力に対して何らかの形で「抵抗」を示すような対象になれば、「排除」の可能性(危険性)が待っていることを示すだけで、損得勘定に長けた人々は自己抑制的に行動する。

そして、経済的に生活困難な状況にあるマイノリティほど、こうした給付金・助成金は、やはり「救いの光」のように見えてしまう。しかし、その「救いの光」のようにみえる給付金・助成金を受け取れば受け取るほど、今の支配的な社会秩序への同化を求められたり、最低でも「おとなしく、じゃまにならないようにすること」が要求されるという、そんなジレンマにも立たされる。

そんな「政治的支配」の手法のあり方が、私には、どうもこの問題から透けて見えるんですよね。

それに、そもそも、長い間「学校教育法1条校」から朝鮮学校をはずしてきた経過自体、日本の戦後教育行政、教育政策の大きな問題があるわけですしね。朝鮮学校が日本の高校に相当する授業内容を持っているのかどうかわからない、国交がないから確かめられない、第三者機関を作って今から検討する、なんて話は、「いまさら、文部科学省がよくいうよ」というしかない話です。

そこで行われている民族教育の賛否はさておき、日本にある朝鮮学校がどんなカリキュラムで運営されているかくらい、教育行政当局はすぐに調べられるでしょう。だいたい、今の制度上、朝鮮学校は各種学校として認可をされているわけですが、その認可をするとき、監督官庁はどんな書類を出させて、何を見て決めたのでしょうかね?

だからこそ、私はこのような方法を使っての「高校授業料無償化」には、たとえ一方では子どもの人権保障を拡大するものという側面はあるにせよ、すんなりと「OK」とはいえません。というか、たとえ政権交代をしても、知事が交代しても、国レベルか地方自治体レベルかはさておき、日本の立法・行政は「こんなことしかしないのだ」という現実を、あらためて見せ付けられたような気がします。

やっぱり、それが国レベルであれ、地方自治体であれ、立法・行政などの権力を有する人々に対しては、住民(国民)は「批判的なまなざし」と「警戒心」を持って接するのが一番。

特に、タレントのようにテレビに出まくったり(現・大阪府知事は「タレント弁護士」でしたが)、選挙のときに「子どもが笑う○○」といった掛け声だとか、マニフェストで各種給付金や助成金などの「甘い汁」をちらつかせながら、私たちの生活の場にすり寄ってくる権力ある人々に対しては、より一層の「批判的なまなざし」と「警戒心」が必要ではないでしょうか。あとで「裏切られた」とか、「あんな人だと思わなかった」とかいわないためにも。

ついでにいうと、ほんものの人権教育というのは、まずはこのような権力に対する「批判的なまなざし」と「警戒心」から出発しないといけないと思うし、その「まなざし」や「警戒心」を支えるものとしての「学力」だと思うのですが・・・・。

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「私たちはタコツボのなかに居る」という自覚の大切さ

2010-03-08 14:36:38 | 受験・学校

このところ、自分の研究上の必要性や、あるいは前回も書いたように、大阪市内の青少年会館条例廃止後の子どもや保護者の状況を把握する調査プロジェクトの報告をまとめている関係で、たとえば児童館・学童保育や子どもの学校外活動(社会教育)に関する文献や、社会福祉系の研究者の手による「学校ソーシャルワーク(School Social Work 略してSSW)」に関する文献をよく読むようになった。

正直なところ、もともと不登校の子どもたちへの社会的支援活動を入り口にして、「子どもの人権」に関することを研究や社会的実践活動のテーマにしてきた私にとって、こうした分野に関する諸研究は、近接する領域とはいえ、一応「異なる研究領域」ではある。そういう近接する諸領域との連携で研究や社会的実践活動をすすめる上で、私が常に意識していることは、「相手の領域ですすめられてきたことに、敬意を払う」ということである。

ただし、これはもともと「そうすべきだ」と思ってきたわけではなくて、今は亡き大学院生時代の指導教授・岡村達雄氏(関西大学)が、私の研究テーマが不登校だと知って以来、ずっと言い続けてきたこと。

私が大学院生で、修士論文を書く時期だった1990年代前半あたりでいえば、その頃の不登校研究の動向を考えたときに、たとえば児童精神医学や心理学系の研究の分厚さ、その方面からの情報発信の量的な多さに比べて、まだまだ教育学系での研究はそれほど多くない状況だった。

その状況のなかで亡き岡村氏が当時、くりかえし言ったのが、「せめてその近接領域でどのような議論の蓄積があり、どのような経過のなかで、どのような論点が形成されていったのか。そのくらいは調べて、その近接領域での研究の蓄積に敬意を払わないと」ということだった。

結果的に私の修士論文は、亡き岡村氏に言われたことをふまえながら、まずは過去の心理学や児童精神医学系の不登校研究史をていねいにふりかえり、時期区分をしながら、その時々の教育行政当局の長期欠席児童生徒対策事業との関係や、生徒指導関連の施策との関係を見ていくという内容になった。

その結果、私の修士論文は、結果的に、教育制度・政策に関する教育学の研究と、児童精神医学や心理学の研究との「架け橋」をつくるものになったわけである。

その経験をふまえてあえていうならば、SSWに関する研究も現在、社会福祉学系の人たちが中心となってすすめられているが、私などがSSWに関する研究に取り組む場合は、社会福祉学の側でどんなことが今まで言われてきて、そこで何が論点として形成され、何が課題として残っているのか。まずは、それを冷静に、自分なりに把握する作業が大事になると考えている。だからこそ、あらためて今、私なりにソーシャルワークの基礎理論などに関する文献を読んで、「なるほど、そういうことか!」と思うことが多いわけである。

と同様に、その社会福祉学系の人たちには、たとえば「既存の教育学の方でどんな研究・実践がこれまですすめられてきたのか。また、その研究や実践のどこに今、課題があって、どういう論点があるのか」といったことについて、それ相応に理解して研究をすすめてほしいと思っている。たとえばSSWで学級崩壊や不登校、非行等のケース対応に取り組むのであれば、従来の教育学における生徒指導論や学級経営論などで、こうしたケースについてどんな対応が重要だといわれてきたのか、そこを社会福祉学の側から研究をすすめる人たちも知っておいてほしいと思うのである。

少なくとも、教育学の側にいるのか、社会福祉学の側にいるのかは別として、「私たちはお互いに、自分の専門領域というタコツボのなかにいる」ということの自覚が、今、教育・福祉の連携に関する研究には必要なのではなかろうか。そして、連携の相手方でどんな議論や研究がすすめられてきたのかについて、まずは冷静に状況を把握する作業が大事なのではなかろうか。

そういう意味では、今、SSWの関係者が実際の担い手養成のとりくみのなかで、教育社会学その他の教育学系の知識を学ぶ機会を作ろうとしている点に注目をしたい。ただ問題は、教育学の側から他領域の人々に、今までの自分たちの取り組み等々をきちんと説明するだけの準備があるのかどうか。また、SSWの関係者が求めている教育学的知識の中身がなんなのか。そういう課題もあるのだが。もちろん、私は先方からお呼びがかかれば協力したい気持ちはあるし、また、教育学の研究者のひとりとしてSSWに関する議論や研究のありようを見ていて、いろいろ気づいた課題などについて、指摘もしようとは思っているのだが。

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私たちの研究体制自体を組み替えないと

2010-03-06 10:32:51 | 受験・学校

このところ、青少年会館(青館)条例廃止後の大阪市内各地区の子どもや保護者の状況に関して、3年近くにわたって調査活動を続けてきたことの「まとめ」にあたる文章を、いろんな文献を読みながらまとめている。そのときに読んだある本のなかに、次のような文章が出てきた。

子どもの成長・発達にとっての「教育」「福祉」「文化」「地域づくり」の営みを、総合的・統合的に捉えるためには、〈子どもの権利保障〉の視点に立つことが不可欠である。少なくとも、「児童憲章」(1951年5月)や日本政府も批准している「子どもの権利条約」(1989年11月)の理念と規定を基本軸に据えて、子どもの発達環境の総合性を捉え、常に子どもの最善の利益を軸にして考える子ども観をベースに置いて検討していかないと、諸分野・諸領域の連携は難しいだろう。(増山均「地域の子育てと『放課後子どもプラン』」、全国学童保育連絡協議会編『よくわかる放課後子どもプラン』ぎょうせい、2007年、92ページ)

ここの文章については、「そう、そのとおりなんです!」と私も思う。

ただ、残念ながら、何かにつけて学校での「学力保障」に傾斜しがちな大阪の解放教育・人権教育系の議論において、このような視点にたった研究は、きわめて弱い。もちろん、それが不要だとかダメだとかいう気はないのだが、今の大阪市内の各地区の子どもや保護者の様子を見ていると、どうも、「それだけでは研究が足りないのではないか?」という思いが強い。

この文章が載っていたのは学童保育関係の本である。そのことにひきつけていえば、たとえば子どもの放課後活動とか学童保育とか、児童館や青少年会館の果たすべき役割など、教育と児童福祉の「谷間」というべき領域に関しては、大阪の解放教育・人権教育系では、過去はさておき、最近では私たちの仲間くらいしか発言していないのではないだろうか。学校関係についての情報発信量に比べてみると、ほんとうにわずかしかないのが実情である。

あるいは、この本には次のような一節もある。

重要なポイントは、「子どもの成長・発達にとっての地域社会が持つ意義」を大切にするという視点、すなわち〈地域の子育て〉〈地域の教育力〉の再生・強化の視点を見失わないことである。

子どもの成長にとっては、同年齢集団を基礎として、教師による教科指導や生活指導を通じて学びあう学校教育だけでは十分ではない。異年齢集団での学び合い、若者や親たち、そして高齢者との人間交流が保障される地域社会での学びが不可欠である。それはいうまでもなく、学校での学びを支える幅広い体験の基盤でもあるし、コミュニケーション能力を豊かにする上でも欠かせない。それらは〈地域の教育力〉といわれてきたが、それは異年齢・異世代の中で練り上げ・継承される力であり、地域社会の文化・伝統・風土を通じて醸し出される力である。(同上、88~89ページ)

ここもまた、私としては「そのとおりです!」と思う。大阪市内で近々発足する「市民交流センター」もまた、こうした理解のうえにたって、旧青館と人権文化センターで取り組んできたことをうまく結び合わせて、「地域の教育力」を高めるための世代間交流の活性化をはかっていかなければ、所期の目的を達成できないのではないだろうか。

それこそ、「学力保障」に向けて、学校内外の「社会関係資本」(ソーシャルキャピタル=「人と人との豊かな繋がり」)の充実への総合的支援が必要であるというのであれば、大阪の解放教育・人権教育は今後、上述の「異年齢集団での学び合い、若者や親たち、そして高齢者との人間交流が保障される地域社会での学びが不可欠」という部分についても、積極的な提案とその裏づけとなる研究が必要なのではないだろうか。

そして、この本には、「放課後子どもプラン」に対する批判として、次のような文章がある。

そこには、明らかに「学校(勉強)中心主義」があり、常に子どもは「生徒」としてとらえられており、「小さな住民」「小さな市民」としてとらえる子ども観が欠落している。「学校」が終わった後は単なる「放課後」ではなく、「地域社会」の中で住民・市民の一人として自由時間を過ごす権利があることが見失われている。将来、市民として生き、市民としての権利と義務を果たすことになる子どもの育ちにとって、「地域社会」の中で生活する時間を増やし、異年齢の子どもと交わることによって社会性を広げ、さまざまな大人世代と交流して文化を継承する機会が不可欠なのである。(同上、87ページ)

いま、子どもの安全・安心が奪われているのは、地域における住民同士のつながり・かかわりが薄れ、地域の親たちがそこに住む子ども一人ひとりの顔や名前を知らず、地域社会の空洞化が起こっていることに根本的な問題がある。子どもを狙った犯罪は、その弱点を突いて起こっているのであるから、「子どもの居場所」を「学校」に収斂して安全管理をまかせてしまう方向ではなく、親自身が地域住民として地域のさまざまな団体・人々と協同して、安全・安心のための〈地域づくり〉を担い、子育てのための〈地域の教育力〉の再生・強化を追及することが不可欠な課題なのである。(同上、88ページ)

ここで指摘されていることは、おそらく、大阪市内の「放課後いきいき事業」についてもあてはまる課題なのではないだろうか。その事業の運営を通じて、校区内に暮らす地域のおとなたちの連携がどれだけ深まったのだろうか。「地域の教育力」の再生・強化は、どこまですすんだのだろうか? あるいは、そもそも、「学校への囲い込み」で「安全・安心な居場所」を用意しておけば大丈夫、という発想でこの「いきいき事業」ははじまったのだろうか?

いずれにせよ、そろそろこの「放課後いきいき事業」も、その成果と課題を「検証」する段階に来ているように思うのだが、しかし、大阪の解放教育・人権教育系の側には、その準備が何もできていない。今から私たちの仲間で、大急ぎでその準備をすすめなければいけないような状態である。

このように、恥ずかしながら、大阪での子どもの人権保障だとか、あるいは、解放教育・人権教育の取り組みに関して、今の私たちの研究体制は、ある特定領域にはものすごく力を持っているものの、それ以外の領域では弱い。このような私たちの研究体制自体を組み替え、今の時代や社会の情勢にマッチしたものに仕上げていかないと・・・・。ほんとうにそのことを、このごろ、痛感する。

そして、私たち子どもの人権に関する研究に携わる者は、いま、これまでの議論や取り組みのなかで生じている私たち自身の課題、弱さを克服しつつ、新たな子どもの人権保障の仕組みと実践づくりに乗り出さなければいけない時期にさしかかっていると思うのである。

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