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京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

教育基本条例のこと(3)

2011-09-09 06:50:42 | ニュース

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110908-00000571-yom-pol

昨日の新聞各紙の記事やネット配信の記事などを見ていると、大阪維新の会は経済産業省の現役官僚・古賀茂明氏に大阪府知事選挙への出馬を打診して、断られたようです。そのことは、上記の記事でもわかるところです。

ちなみに、この記事がでたので、大急ぎで古賀氏の書いた『官僚の責任』(PHP新書)を読みました。これを読んだ率直な印象は、彼は大阪維新の会のブレーンにはなってもいいと思うかもしれないが(しかし、これも今の大阪維新の会では危うい)、彼自身は自分が府知事になって、大阪維新の会の支持のもと、改革をするような気はさらさらないだろう、ということ。

彼としては「改革派官僚」として、強い基盤をもった政権の、そのなかでも特に強いリーダーシップを発揮する政治家のバックアップのもと、いろんなアイデアを出して「既得権」を持った諸勢力と対峙したい、そういう意欲はあるのでしょう。要するに「失敗したときに責任とってくれる上司と、それを支える強い政治的な勢力のもとで、仕事のできる賢い部下・できる部下でいたい」というのが彼の基本的な基本的なメンタリティのような気もするのです。

その分、彼自身は首長など「上に立つ器ではない」と、自分自身のことを思っているようにも見えます。そして、私が受けた印象では、この本を読む限り、彼は自分が「つかえる上司」は選びたいという思いもあるようで、どうも「改革派」気取りのパフォーマンスが好きな政治家は嫌いなようです。そういうところまで彼のことを見極めて府知事選出馬を打診したのですかね、大阪維新の会は?

それはさておき、本題の大阪維新の会が出した教育基本条例(素案)の話に戻ります。今日もまた前文の話にこだわりますが、一応、いったんここで前文の話は終わろうと思います。次回からはそれぞれの条文についての意見を書きます。

まずは、この教育基本条例(素案)前文の第2段落について。色を変えて引用します。

教育の政治的中立性や教育委員会の独立性という概念は、従来、教育行政に政治は一切関与できないかのように認識され、その結果、教員組織と教育行政は聖域扱いされがちであった。しかし、教育の政治的中立性とは、本来、教育基本法(平成18年法律第120号)第14条に規定されているとおり、「特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育」などを行ってはならないとの趣旨であって、教員組織と教育行政に政治が関与できない、すなわち住民が一切の手出しをできないということではない。

これを読んで「あれ?」というのが私の率直な印象。なぜなら、教育の政治的中立性が問題になる場合、これまでは、2006年(平成18年)改正後の教育基本法の第16条1項のほうが問題になってきたように思うんですよね。具体的には、次のような条文です。

教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。

この「不当な支配」という言葉は改正前の教育基本法第10条のなかにもあって、ここをめぐって、文部省などの教育行政が学校現場に対して行うさまざまな取り組みが「不当な支配」にあたるのかどうか、いろんな場面で問われてきたわけです。その問われてきた諸場面のなかに、全国一斉学力テストの実施や学習指導要領、教科書検定、日の丸・君が代の問題などに関する教育裁判のケースがあります。また、最近では地方議員の教育に対する「介入」も、この「不当な支配」をめぐって問題になっています。このことは、改正後教育基本法第16条に関する『解説教育六法(2011年版)』(三省堂)の「判例」の部分を見ればわかります。

とすれば、条例素案前文のこの部分、議会や首長の教育への「介入」について、改正後教育基本法の「不当な支配」の部分ではなくて、わざと「政治教育」の部分を出すことによって、「法的な論点をすりかえているのではないか?」という疑問がわいてきます。

また、前回も書いたように、今でも首長が議会の同意を得て教育委員を任命するシステムですし、法令にもとづいて、各自治体の教育委員会関連の予算は議会で審議され、首長の権限のもとで執行されているはずです。とすれば、大阪維新の会の建前は「選挙で選ばれた首長と議会に民意が反映されている」ということですから、現行システムでも教育委員の任命や予算のチェックなどで、首長や議会の意向はいろいろと反映できる、ということになるはずです。(もちろん、「首長や議会の意向がいろいろと現行システムで反映できる」となっても、その「意向」の中身にさまざまな問題がある点も否めないわけですが。)

そのうえで、次の第3段落に行きます。また色を変えてみます。

地方教育行政の組織及び運営に関する法律(昭和31年法律第162号)では、第23条及び第24条において、教育委員会と地方公共団体の長の職権権限の分担を規定し、教育委員会に広範な職務権限を与えている一方、第25条においては、教育委員会及び地方公共団体の長は、事務の管理・執行にあたって、「条例」に基づかなければならない旨を定めている。すなわち、議会が条例制定を通じて、教育行政に関与し、民意を反映することは、禁じられているどころか、法律上も明らかに予定されているのである。

ここについては、「だから、どうしたの?」というしかありません。地方議会が教育行政の事務管理・執行に際して条例制定ができるとしても、それは日本国憲法や教育基本法その他教育関連の法律の範囲内でしょう。とすれば、改正後の教育基本法において「不当な支配」として問題になるような条例の制定は認められない、ということになります。

ちなみに、もしも議会で条例を作るとしても、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(地教行法)の23条、24条、24条の2の範囲内でしか、条例は作れないはずです。なにしろ、ここで条例素案の前文が依拠する地教行法第25条は、次のように述べるからです。

(事務処理の法令準拠) 教育委員会及び地方公共団体の長は、それぞれ前三条の事務を管理し、及び執行するに当たっては、法令、条例、地方公共団体の規則並びに地方公共団体の定める規則及び規程に基づかなければならない。

もちろん、この地教行法23条・24条・24条の2の三つの条文の中身自体が、いろいろと解釈に幅のある条文になっています。たとえば教育委員会の職務権限を定めた23条のなかに、「五 学校の組織編制、教育課程、学習指導、生徒指導及び職業指導に関すること」という項目がありますが、これなどは「学校の指導の範囲」をどうとるかでいろいろと幅が出てきます。その点で、条例でどこまでのことを決めるかには、議論の余地は多々あるかと思います。

そして、次の段落、4段落目の文章です。また色を変えて引用します。

大阪府における現状は、府内学校の児童・生徒が十分に自己の人格を完成、実現されているとはいい難い状況にある。とりわけ加速する昨今のグローバル社会に十分対応できる人材育成を実現する教育には、時代の変化への敏感な認識が不可欠である。大阪府の教育は、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に対応できるものでなければならない。教育行政の主体が過去の教育を引きずり、時宜にかなった教育内容を実現しないとなれば、国際競争から取りのこされるのは自明である。

私としては、これを読んだときに、「この条例素案の作成者は、2008年版の学習指導要領など読んだことはないんだろうな」と思いました。今、手元に2008(平成20)年の『小学校学習指導要領解説・総則編』(文部科学省)があるのですが、その第1章「総説」の「1 改訂の経緯」には、次のような文章があります。

21世紀は、新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化をはじめ社会のあらゆる領域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増す、いわゆる「知識基盤社会」の時代であると言われている。このような知識基盤社会化やグローバル化は、アイディアなど知識そのものや人材をめぐる国際競争を加速させる一方で、異なる文化や文明との共存や国際協力の必要性を増大させている。このような状況において、確かな学力、豊かな心、健やかな体の調和を重視する「生きる力」をはぐくむことが、ますます重要になっている。(p.1)

これを読めばわかるとおり、今の学習指導要領はまさに、大阪府の教育基本条例素案の作成者が前文に書いているような危機意識に立ってつくられています。ということは、わざわざ条例をつくらなくても、この基本条例素案がやりたがっているようなことは、今後、各学校で行われていく、ということになります。もっといえば、この基本条例素案のとおりに大阪府の教育が動くということは、文科省のすすめたい教育をさらに加速的に進めていくという効果を発揮する、ということになるでしょうか。これって、大阪維新の会が大阪の教育の独自性を出すというより、「自ら進んで大阪から、文科省の進めたい教育の動きにあわせていく」という、そんな動きのようにも見えますよね。

そして、前々回にも書きましたが、国連子どもの権利委員会は、日本の競争主義的な学校教育の在り方について、抜本的な見直しをするように総括所見(勧告)を出しています。ということは、大阪維新の会が教育基本条例を出して積極的に追従しようとしている文科省の教育政策自体、「ほんとうにいいのか?」と問われているわけですよね。

このように考えていくと、私などはこの教育基本条例(素案)の前文のところで、なにかとひっかかって、先に読めなくなってしまいます。もうこの時点で「こんな条例、つくらないほうがいい」と思ってしまうわけですが・・・。

ですが、この先の各条文についても、あえて「逐条解説」的な形で、私なりにコメントをしていくことにします。もちろん、いつもいうように、不定期更新になるかもしれませんが。


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